『聖庁祭祀教範』奉献聖別及び神聖術者の職分について
神に仕えることと、神の力を行使することとは、同義ではない。
聖庁には、祈りを捧げる者、教えを説く者、聖典を記す者、教会を治める者、そして神聖魔術をもって人々を守る者がいる。
これらはいずれも聖職の務めであるが、そのすべてが同じ権能を必要とするわけではない。
聖職者の身分を得たことのみをもって、神聖魔術を行使し得ると考えるのは誤りである。
神聖魔術を行使するためには、奉献聖別と呼ばれる特別な儀式を経なければならない。
この儀式は、単なる祝福でも、聖職への任命でもない。
それは、術者の存在そのものを、唯一神への奉仕に適したものへと改める行為である。
一、血統魔法と神聖魔術
神胤の血を引く者は、その祖神に由来する権能を、血統魔法として行使することがある。
この力は、単に肉体の血脈によって伝わるものではない。
祖神より受け継がれた固有の性質が、術者のエーテル体に刻まれることによって、血統魔法の行使が可能となるのである。
これに対し、神聖魔術は、唯一神への奉献を受けたエーテル体を通じて行使される。
両者は、同じ魔力を用いる場合であっても、その成立の原理を異にする。
奉献聖別においては、術者のエーテル体が唯一神に仕える器として再構成される。
その際、血統魔法を成立させていた固有の回路は閉ざされ、これに代わって神聖魔術を行使するための回路が形成される。
ゆえに、血統魔法と神聖魔術とを、同一の術者が併せて行使することはできない。
ただし、奉献聖別によって、術者の魔力容量やエーテル体そのものの強度が失われるわけではない。
優れた血統魔術師であった者が、聖別を経て優れた神聖術者となることは、十分にあり得る。
しかし、優れた血統魔術師であったことが、神聖術者としての優秀さを保証するものでもない。
魔力の多寡と、術式を理解し、正しく行使するための適性とは、必ずしも一致しないからである。
奉献聖別によって得られるのは、神聖魔術を行使し得る状態であって、その習熟でも、卓越した才覚でもない。
血統魔法を手放した者が、必ずしも神聖魔術において同等の力量を得るとは限らぬことを、候補者は十分に理解しておく必要がある。
二、奉献聖別の不可逆性
奉献聖別は、血統魔法を一時的に封じる術式ではない。
エーテル体そのものを変質させる以上、聖別以前の状態へ復することは、原則として不可能である。
聖職を辞し、聖庁を離れ、あるいは信仰を棄てたとしても、失われた血統魔法が再び使用可能になることはない。
この点において、奉献聖別は通常の誓約や任官とは根本的に異なる。
誓約は破られることがあり、官職は辞することができる。
しかし、奉献聖別によって生じた変化は、そのような世俗の手続きによって覆されるものではない。
エーテル体を再び改変する方法が理論上存在し得るとしても、それは通常の祭祀術式の範疇には属さず、重大な危険を伴う禁術として扱われるべきものである。
したがって、奉献聖別を志す者には、その結果が原則として生涯にわたることを、あらかじめ理解させなければならない。
三、自由意思の原則
奉献聖別において、最も重要な要件は、候補者本人の自由意思である。
儀式の執行者がいかに優れた神聖術者であろうとも、候補者の意志に反して奉献聖別を成立させることはできない。
聖別を受ける者は、自らの血統魔法を手放すことを理解し、自らの意志によってエーテル体を開き、唯一神への奉献を受け入れなければならない。
この受容は、単なる儀礼上の同意ではない。
候補者の自由意思そのものが、奉献聖別の術式を成立させるための不可欠な要素なのである。
ゆえに、眠りにある者、意識を奪われた者、精神を操作された者に対し、奉献聖別を施すことはできない。
また、脅迫によって承諾を強いた場合や、儀式の意味を偽って同意を得た場合も同様である。
口頭の誓約が得られたとしても、真の受容がなければ術式は成立しない。
これは、儀式の執行に際して聖庁が設けた単なる規則ではない。
奉献聖別そのものに内在する、変えることのできぬ条件である。
何人も、他者の意志をもって、他者の魂を奉献することはできない。
四、聖職と神聖術者
聖庁に属するすべての聖職者が、奉献聖別を受けているわけではない。
修道士、書記、神学者、教会行政官などの職に就く者には、神聖魔術の行使を要しない者も多い。
これらの者は、奉献聖別を受けずに聖職へ就くことができ、神胤の血を引く場合には、その血統魔法を保持することも可能である。
一方、クレリックやパラディンなど、神聖魔術を職務の根幹とする者には、奉献聖別が必要となる。
したがって、聖職者であることと、神聖術者であることは、明確に区別されなければならない。
また、聖職者の職分は、その所属によっても異なる。
教区に属する司祭、司教、大司教らは、信徒の教導、宗教儀礼、教区の運営、ならびに地域の領主や諸侯との折衝を担う。
とりわけ東部五公国の大司教座を預かる枢機卿は、教会組織の統治者であると同時に、聖庁と世俗国家を結ぶ重要な役割を果たす。
これに対し、聖都レムリアの中央聖庁及びその専門機関に属する聖職者は、教義の審査、異端審理、軍務、結界管理、遺物調査、聖医、外交その他の専門的な職務に従事する。
いずれも聖庁の秩序を支える務めであるが、求められる知識と能力は必ずしも同じではない。
聖典に精通する者が必ずしも剣を執る必要はなく、剣を執る者が必ずしも教区を治める必要もないのである。
五、特務審理官の祭祀権能
中央七座の枢機卿に直属する特務審理官は、聖庁の高位特命職である。
その職格は司教を上回り、実質的には大司教に比肩するものとされる。
ただし、特務審理官は教区を統治する職ではなく、枢機卿の特命によって専門的な職務を遂行する者である。
その職責に伴い、特務審理官には高位の祭祀権能が認められている。
婚姻、葬送、祝福、浄化、奉献、結界及び高位儀礼など、通常は相応の資格を要する祭祀についても、その能力と資格に応じて執行することができる。
奉献聖別もまた、その権能に含まれる。
ただし、祭祀を執行する能力を有することと、その祭祀を独断で施行する権限を有することとは、別の問題である。
奉献聖別には、候補者本人の志願に加え、教会による審査と、所定の承認が必要となる。
特務審理官は、正式な手続きを経た場合、あるいは正当な枢機卿の命令を受けた場合に、その執行者となり得る。
しかし、候補者の選定や日常的な聖職者の養成は、原則として教区側の職掌に属する。
聖庁の権威を委ねられた者であっても、あらゆる権限を一身に有するわけではない。
まして奉献聖別においては、いかなる高位聖職者の命令も、候補者本人の自由意思に代わることはできないのである。
六、神胤貴族と奉献聖別
神胤貴族にとって、聖職に就くことは、必ずしも祖神の権能を手放すことを意味しない。
奉献聖別を受けない限り、聖職者となった後も血統魔法を保持することは可能である。
しかし、神聖魔術を行使するために奉献聖別を受けるのであれば、その者は祖神に由来する権能を行使する道を棄てなければならない。
神胤の血統魔法は、その家が祖神の権能を受け継いでいることの証である。
それは個人の能力であると同時に、家門の誇りであり、しばしば世俗の権威を支える根拠ともなる。
ゆえに、神胤貴族が奉献聖別を志す場合、その決断は本人のみならず、一族にとっても重大な意味を持つ。
とりわけ、爵位や領地の継承を予定された者、あるいは稀有な血統魔法を受け継ぐ者については、家門が強く反対することもあろう。
しかし、奉献聖別の成立を決するのは、家長でも、領主でも、聖庁でもない。
候補者自身である。
また、奉献聖別は、神聖魔術の才覚を保証するものではない。
祖神の権能を手放したにもかかわらず、神聖魔術の修得に十分な成果を得られぬ者も存在する。
そのような場合であっても、聖別以前の血統魔法を回復することはできない。
したがって、奉献聖別に先立っては、信仰の意志のみならず、儀式の結果と、その後の修練に伴う不確実性についても、候補者に十分な理解を求めなければならない。
七、聖職者の還俗と爵位継承
神胤貴族が聖職に就く際には、原則として世俗の爵位及びその継承権を辞退するものとされる。
これは、聖職者が俗世の統治と家門の利害から離れ、聖庁における職分を果たすための制度である。
この辞退は、奉献聖別の有無とは関係しない。
血統魔法を保持したまま聖職に就いた者であっても、神聖術者となった者であっても、原則として同様に扱われる。
ただし、家門の断絶その他やむを得ぬ事情が生じた場合には、聖皇の特許をもって還俗を認めることがある。
この特許は聖職者としての義務を解くものであり、爵位の授与または継承を直接に認めるものではない。
還俗した者の継承資格については、当該公国の法及び慣習に従う。
また、還俗によって魔術上の性質が変更されることはない。
奉献聖別を受けずに聖職に就いた者は、還俗後もその血統魔法を保持する。
一方、奉献聖別を受けた者は、還俗によって失われた血統魔法を回復することはない。
聖職者としての身分は解くことができる。
しかし、奉献聖別によって生じたエーテル体の変化は、身分の変更によって取り消されるものではない。
奉献聖別を受ける者は、祖神の血を失うわけではない。
その者が何者の子孫であるかという事実も、何人たりとも変えることはできない。
ただ、その血に宿る権能を、もはや己の力として行使することはない。
また、神聖魔術を行使する道が開かれたからといって、その道を自在に歩めるとは限らない。
生まれによって与えられた力と、自らの意志によって選び取る力。
奉献聖別とは、その二つの道が分かれるところに立つ儀式である。
ゆえに、聖別を受ける者に問われるのは、いかなる家に生まれたかでも、いかなる力を得ることができるかでもない。
その者自身が、何に仕えることを望むかである。




