とある愚者の日記
某年 春
母上が日記をくれた。小さな鍵付きで、深緑の表紙だ。
「誰にも言えないことはここに書きなさい」って。
母上は、とても優しい。
きれいで、いい匂いがする。お会いできるのがいつも楽しみだ。
でも、たまにとても悲しそうな顔をしてらっしゃる。
母上の笑い顔をもっと見るには、どうすればいいのだろう?
某年 秋
弟が生まれた。
とてもちいさかった。なんだか柔らかくてぐにゃぐにゃしている。
母上が、
「貴方もこうだったのよ」
だって。
「兄弟で力を合わせて、帝国を治めるのよ」
そうだ、私は、立派な父上と同じ、この帝国の皇帝になるんだ。
某年 夏
母上は、お会いするたびに私の手を取り、何か変わったことはないかとお尋ねになる。
今日も「何もないです」と答えた。
母上は「そう」とおっしゃって微笑まれた。
今度は何か、よいお返事ができるといいな。
某年 春
また、母上から贈られる「外してはいけない装身具」が増えた。
私の立場を守るためなのだと。
まるで、全身を覆う枷だ。
臣下を、民を、欺いている罪への罰なのだろうか?
そうだ、私は罪人なのかもしれない。
母上の視線がつらい。
母上が弟のレオポルドに向ける眼差しは温かい。
私も、あのように見てほしい。
そんな資格がないのはわかっているのに。
だって、私は、出来損ないなのだから。
某年 冬
最近、母上の体調が優れないらしい。
めずらしく、母上から呼び出しをされた。
何かと思えば、とある書物を渡されたのだ。それは、見たことがあるような無いような皮で装丁されていた。
「正式に立太子すれば、神胤として人前で魔術を行使する機会も増えましょう。それまでに備えを整えておきなさい。決して、誰にも悟られてはなりませんよ」
との事だ。
これ以上、嘘を重ねないといけないのだろうか。
私は母上に伝えた。レオポルドでよいのではないかと。
皇帝に相応しい魔力を持たない、出来損ないの私など、廃嫡してくれてかまわないのだと。
「よいですか。正当な皇位継承者は貴方です。忘れないように」
母上は、聞き飽きた台詞を繰り返すばかりだ。
ただ、偶然、レオポルドより早く生まれただけなのに。
レオポルドは、私の事をどう思っているのだろうか。知っているのか?
あの、さも純粋そうに兄を慕う笑顔の裏には、何かが潜んでいるのではないだろうか。
某年 秋
母上が逝去され、ひと月が経った。
半年後には立太子も控えている。
今まで知らなかったが、母上が周囲の反対を押し切って、本来の立太子の予定を遅らせていたそうだ。
ほら、本当は母上だって、私では荷が重いと思っていたのではないか。
もう、笑いしか出ない。
某年 冬
気分が重かったが、母上からいただいた書物に目を通してみると、思いのほか興味深かった。
ちょっとした犠牲で、私の全身を包む拘束具から解放されるようだ。
こんな事なら、もっと前に読んでおけばよかったと後悔した。
某年 春
レオポルドが鬱陶しい。
私の体調が良くなさそうだから休めだと。
そう言って、私の座を奪おうとしているのだろう。
生憎だが、そのような陳腐な手には乗らない。
某年 夏
母上が亡くなり、父上も以前のような覇気がないように思える。
立太子も済み、公務も順調だ。
父上には、生前退位も考慮していただく頃合いだろう。
もう少し、手足になる者が欲しいな。
『あの存在』が、もっと餌があれば、人心を操るくらい容易いと言っていた。
また適当なのを集めさせて、狩りにでも行くとしよう。
某年 春
戴冠式は滞りなく終わった。
諸侯は忠誠を誓い、臣民は歓呼した。
これで誰も、私が皇帝にふさわしくないなどとは言えまい。
しかし、玉座というものは奇妙だ。
座ってみれば、思っていたよりもずっと低い。
某年 秋
私は、歴史に名を残す皇帝になるべきだ。母上もそう望んでいた。
しかし、今のままでは足りないのだ。
『あの存在』をも凌ぐ、より大きな存在力が欲しい。欲しい。欲しい。
某年 冬
レオポルドのやつめ。この私を憐れむような態度が気に入らない。
邪魔だから、東の果ての直轄領に飛ばしてやった。
数年は帰ってこれないだろう。
とても心が晴れやかだ。
最初から、こうしていればよかったのだ。
私は、いつも気づくのが遅いな。
某年 春
『あの存在』が言うには、より強い力を得るには、『穴』が必要らしい。
臣民も、私の力になるのだから、誉れなことだ。
たくさん、たくさん、と。親鳥に餌をねだるような声が愛らしい。
某年 夏
待ちに待った社交シーズンが来た。
『愛しい存在』が、貴族がたくさん欲しいと言うから待っていたのだ。
そのために、私の名でひときわ盛大な夜会を催す準備もしてきた。
あゝ、今からその時が楽しみで仕方ない。




