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断章  作者: 星軌 あるか
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大破滅前後における五家の継承事情

旧帝国末期貴族家系考

第三篇「東遷諸家の系譜」より抜粋


旧帝国の大破滅(グランド・ブライト)は、帝都とその統治機構を失わせたのみならず、帝国貴族の家系にも甚大な断絶をもたらした。


当時、帝都では例年の社交季節に伴い、諸侯とその家族が多数滞在していた。宮廷行事への出席は、貴族社会における地位と権益を維持するうえで重要な務めであり、家長のみならず、配偶者や子女を伴う例も多かった。


このため、大破滅によって当主と主要な継承者を同時に失った家は少なくない。残された者たちの多くは、親族の生死さえ確かめられぬまま、家督の継承と領地の保全を迫られることとなった。


現在の神胤諸公国連合を構成する五家もまた、こうした混乱を免れたわけではない。


大破滅から三十余年を経た今日、東遷はおおむね完了し、諸家の系譜も新たな土地において整理されつつある。しかし、その成立を論じるには、各家がいかなる事情によって存続し得たのかを明らかにする必要があろう。


以下、現存する家譜、書簡、領地記録および関係者の証言をもとに、五家の継承事情を記す。


一、ネルドリンゲン家


旧帝国の北方国境を守護したネルドリンゲン家は、大破滅当時、当主をはじめとする一族の主だった者を帝都に滞在させていた。


ただし、嫡男は北方国境の検問所で発生した紛争に対処するため、急遽任地へ戻っていた。


この偶然によって嫡男は帝都の災禍を免れ、ほどなく家督を継承した。


新当主がまず着手したのは、散逸した北方軍の再編と、国境の防備を維持することであった。帝都からの命令が途絶えた後も、北方の守備隊が比較的長く統制を保ち得たのは、同家の指揮系統が現地に残されていたためと考えられる。


後の東遷に際しても、ネルドリンゲン家は山岳要衝の支配を引き受け、旧来の軍事的役割を保持した。


同家の継承は、宮廷から離れた任務が、結果として家門の存続を可能にした一例である。


二、アルテンブルク家


帝都近郊に広大な所領を有したアルテンブルク家では、当主と本家筋のほぼ全員が社交季節のため帝都に滞在しており、大破滅によって本家の直系は絶えた。


家督は残存する傍系の一族によって継承されたが、当初は所領の管理のみならず、各地に散在する親族の安否確認にも相当の困難を伴ったと伝えられる。


一方、同家は旧皇室と深い姻戚関係にあった。


旧皇帝および皇弟レオポルドの母はアルテンブルク家の出身であり、帝都を離れていた皇弟には、同家の血が流れていたのである。


皇帝をはじめとする皇室の主だった者の死が伝えられると、アルテンブルク家の残存勢力は、早くからレオポルドを皇統の正当な継承者として支持した。


これは単なる血縁上の判断にとどまらない。帝国の法制と宮廷儀礼に通じた同家にとって、皇統の継続は、混乱のうちに失われかけた諸侯の権利と義務を確認するうえでも重要な意味を持っていた。


なお、アルテンブルク家が東遷に際して搬出した財物のうち、相当の割合を古文書、契約書、法典類が占めていたことは、複数の記録に一致している。


これらの文書は、旧帝国における所領と家格の確認に用いられたばかりでなく、後の諸公国における法制の整備にも供された。


当時の混乱を考慮すれば、その保存と移送に払われた労力は、決して小さなものではなかったといえよう。


三、旧皇室レオポルド家


皇弟レオポルドは、大破滅の当時、帝都を遠く離れ、東方直轄領の巡察に従事していた。


巡察の命令が下された事情については諸説ある。皇帝の命による通常の視察であったとする記録がある一方、宮廷内の不和に起因するとする証言も残されている。


いずれの説を採るにせよ、その結果としてレオポルドが帝都の災禍を免れたことは疑いない。


帝都の消滅と皇帝の死が伝えられた当初、各地の諸侯は相次ぐ訃報と途絶した命令系統に直面し、領地の保全さえ容易ならぬ状況に置かれていた。


生存する皇族の消息も定かではなく、皇弟レオポルドの存在が広く知られるまでには、なお幾ばくかの時日を要したという。


レオポルドは母方のアルテンブルク家の支持を得て、諸侯との連絡と協議を進めた。


後の諸侯会談において、旧皇室の正統な血統を継ぐ者として推戴を受けたレオポルドは、諸家の協調を図る中心的な立場を占めるに至った。


その後、シルヴァーナ家との婚姻によって海運と交易に通じた有力家門との結びつきを強め、東遷の進展とともに、諸公国の盟主としての地位を確立した。


今日の大公家の成立は、この一連の経緯に求められる。


四、モルダウ家


旧帝国南西部の湿地と深林を所領としたモルダウ家では、当主一家が帝都の社交季節に出席していた。


一方、当主の弟は領地の実務を理由として帝都行きを辞退し、現地に留まっていた。


これが同家の継承を可能にした。


弟は大破滅後、速やかに家督を継承し、混乱する所領の統治を引き継いだ。


当時の領地記録には、徴税、食糧の備蓄、街道の警備などに関する命令が、大破滅の前後を通じて比較的途切れることなく記されている。


後世の逸話には、新当主が社交に熱中していた兄一家を冷笑したとするものもあるが、これを裏付ける確かな証言は得られていない。


もっとも、同家の新当主が宮廷での交際よりも領地経営を好んだことは、複数の書簡からうかがえる。


いずれにせよ、モルダウ家が他の諸家に比して早期に実務上の統治機構を回復したことは、現存する記録から確認できる。


その手腕は、後の東遷においても発揮されることとなった。


五、シルヴァーナ家


旧帝国南方の海運と交易を掌握していたシルヴァーナ家もまた、大破滅によって当主を含む本家の大半を失った。


しかし、次期当主は南方の海上都市同盟ミラ・マリスとの交易交渉のため、帝都を離れていた。


帰還後に家督を継いだ新当主は、残存する船舶と港湾施設を掌握し、貴族や避難民、財物の東方移送に尽力した。


帝国の主要街道が混乱し、陸路による移動が困難を極めた時期にあって、同家の有する船舶と交易上の縁故は、諸侯にとって貴重な移送手段となった。


東遷の初期における輸送記録には、シルヴァーナ家の船舶が繰り返し登場する。


また、同家は一族の令嬢を皇弟レオポルドに嫁がせ、盟主家との関係を強固なものとした。


この婚姻は、旧皇室の血統を継ぐレオポルド家と、海運および交易に基盤を有するシルヴァーナ家の双方に利益をもたらしたと考えられる。


今日、同家が南方海域の交易において有力な地位を占める背景には、旧帝国時代から継承された船舶と商業上の関係があることを忘れてはならない。


以上の五家は、いずれも旧帝国の中枢と深い関係を持つ有力家系であった。


しかし、その存続を決定づけた事情は一様ではない。


軍務、巡察、領地経営、外交交渉。


後に諸公国の礎を築いた者たちは、いずれも大破滅の当日、帝都とは別の場所にいた。


その理由の多くは、当時としては何ら特別なものではなかった。


帝都に留まった者の中にも、家門のために尽くした者は数多くいたであろう。また、帝都を離れていたからといって、必ずしも家名を後世に伝え得たわけではない。


大破滅から三十余年、失われた家々の名は、今なお散逸した家譜や断簡の中に見いだされる。


一方、存続した諸家の系譜は、新たな土地において書き継がれている。


かつて帝都の宮廷に列した者の名は、残された出席記録に記されている。


そして、あの日帝都を離れていた者たちの名は、今日の諸公国の系譜に記されることとなった。

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