『創世秘録』第四篇 原初破絶の戦い
七柱の原初言霊神は、創造神の御前に進み出た。
彼らを率いたのは、『知』を司るソフィアであった。
ソフィアは、人の世を隔てる境を取り払い、肉体に定められた限りを改めるよう求めた。
人は弱く、容易に傷つき、短い生涯のうちに知り得ることも僅かである。創造神が与えた肉体は、命を守る一方で、その成長を妨げてもいた。
ゆえに守りを緩め、より大いなる力と試練を与えるべきである、と。
「愛し子をいつまでも幼子のままに留め置かれるおつもりか。彼らは、我らを超えることさえできるかもしれぬ。その可能性を、なぜ御自ら閉ざされるのか」
ほかの六柱も、それぞれの望みを申し述べた。
ボンドは、人の愛が移ろい、容易に失われることを嘆いた。
ジャッジは、罪を重ねる者に与えられる寛容を非難した。
フォルムは、人の造る不完全なものを正すことを求めた。
ホープは、叶わぬ望みを抱かせることの残酷さを説いた。
クロノスは、神々にも有限の生を与えるよう願った。
フューリーは、あらゆる器に定められた限りを取り払うことを望んだ。
創造神は七柱の言葉を聞かれたが、その願いをことごとく退けられた。
人は弱き身に生まれ、己の意志によって歩むものとして造られた。その歩みを神々が代わって定めることは、創造神の望むところではなかった。
ソフィアはなおも説得を試みたが、創造神の答えは変わらなかった。
七柱は御前を退き、別の道を探ることにした。
ソフィアが向かったのは、世界の礎たるブランクルーンであった。
そこには、二十四の言葉が生まれるより前の『沈黙』が置かれていた。
その在処は原初の神々にも知られていたが、いかなる言霊神も、ブランクルーンに定められた理を書き換えることはできなかった。
ソフィアは、その理由を知っていた。
言葉によって成り立つものが、言葉の根源を改めることはできない。
しかし、ブランクルーンの働きが世界に及ぶ以上、そこには何らかの構造があるはずだった。
構造あるものは、解き明かすことができる。
ソフィアは六柱を率い、世界の礎を守る理そのものへ干渉を試みた。
フォルムはその構造を捉え、フューリーは力を激しく励起させた。クロノスは刻まれた時を探り、ボンドは隔てられたものを繋ごうとした。ジャッジは禁を犯す者を裁く働きを退け、ホープは、いまだ存在しない道を求めた。
ソフィアは六柱の権能を束ね、その交わるところに僅かな綻びを見いだした。
七柱がその綻びへ手を伸ばしたとき、残る十七柱の原初言霊神が立ちはだかった。
創造神の定めた理を守ろうとする十七柱と、それを改めようとする七柱。
いずれも退くことなく、ついに神々の戦いが始まった。
はじめに『断』が、ブランクルーンへ伸びる七柱の力を切り離した。
『繋』は断たれた力を結び直し、『形』はその結び目を固定した。『封』が七柱の権能を留めようとすると、『狂』は封じられた力を内側から激しく励起させ、封を打ち砕いた。
『律』が乱れたエーテルを鎮め、『破』が固められた術式を崩した。『光』が隠されたものを暴けば、『偽』は真なるものを覆い隠した。
神々の権能が衝突するたび、エーテル界は震え、裂け目が生じた。
『生』によって生じたものは『死』によって還され、『変』によって姿を変えたものは『形』によって固定された。
かつて世界を成り立たせるために生み出された二十四の言葉が、今や互いを損なうために振るわれていた。
戦いは長く続き、エーテル界の深部にまで及んだ。
やがて神々の争いは、形なき界と形ある界の境をも揺るがし始めた。
マテリアル界では大地が震え、海が荒れた。山は崩れ、空には幾日も消えぬ光が走った。
人々は災厄の理由を知らず、ただ身を寄せ合って耐えるほかなかった。
神々の戦いは、もはや神々だけのものではなくなっていた。
そのとき、創造神が現れた。
創造神は七柱に、最後の命を下された。
ブランクルーンより退き、己の権能を収めよ、と。
しかし、ソフィアは従わなかった。
「我らは、あなたの世界を滅ぼそうとしているのではない。あなたが愛されたものを、あなたの望みを超える存在へ導こうとしているのだ」
創造神は問われた。
「そのために、どれほど多くの命が失われようともか」
「失われるものがあれば、そこから学ぶものがある。あなたは人に、その力を与えられたはずだ」
ソフィアはためらわずに答えた。
創造神は、ほかの六柱にも目を向けられた。
誰一人として、ソフィアの言葉を退ける者はいなかった。
彼らは創造神の御業を愛し、その御業を正そうとしていた。己が司る言葉に従い、それぞれが望む完全な世界を造ろうとしていたのである。
しかし、創造神は彼らにその権利を与えられなかった。
七柱はなおも退かなかった。
ついに創造神は、彼らの罪を定められた。
原初言霊神は、一つの言葉の正と負、その両面を備えた完全なる存在であった。
創造神は、その完全性を奪うことを刑罰とされた。
『知』からは、理解し、導き、育むための叡智を。
『繋』からは、互いを尊び、離れる自由を許す絆を。
『罰』からは、過ちを糺し、赦しと均衡をもたらす裁きを。
『形』からは、変化を受け入れ、新たな形を生み出す造形を。
『望』からは、明日へ向かうための希望を。
『刻』からは、成長と成熟をもたらす時の恵みを。
『狂』からは、命を奮い立たせ、その力を正しく導く昂揚を。
創造神は、七柱より正の権能を剥ぎ取られた。
それは力を封じることとも、命を奪うこととも異なる罰であった。
七柱は己の言葉の半分を失い、残された半分によってのみ、永遠に在り続けることを命じられたのである。
彼らが二度と完全な存在へ戻れぬことを、創造神は知っておられた。
七柱の神性は、もはや以前のものではなかった。
『知』は万象の構造を看破する力を保ちながら、他者を育む叡智を失った。真理を知るほどに、知らぬ者の愚かさが際立ち、あらゆる不完全さが憎むべきものとなった。
ソフィアは、かつての真名を捨てた。
アスタロス。
それが、堕ちゆく知の神が自ら選んだ名であった。
『繋』は、結ぶことを知りながら、解き放つことを失った。
その名をヴェノムという。
『罰』は、罪を見いだしながら、赦すことを失った。
その名をネメシスという。
『形』は、ものを定めながら、新たな形を受け入れることを失った。
その名をゴーゴンという。
『望』は、願いを抱かせながら、その先へ歩ませることを失った。
その名をパンドラという。
『刻』は、時を進めながら、その時が育むものを顧みることを失った。
その名をタナトスという。
『狂』は、力を高めながら、それを保つことを失った。
その名をベリアルという。
七柱はなお、神々であった。
負の権能は彼らの内に残り、世界を成り立たせる二十四の言葉との結びつきも失われてはいなかった。
創造神は、彼らをエーテル界の最も深きところへ追放された。
そこは光も届かず、神々の住まう界の豊かさもない場所であった。創造神はその地を封じ、七柱が再び神々の領域へ戻ることを禁じられた。
かくして、世界の底に『地獄』が生まれた。
創造神に背いたがゆえに堕とされた七柱は、後に『七つの歪言』と呼ばれるようになった。
彼らは地獄に囚われても、創造神を忘れなかった。
アスタは、なお己の知によって創造神の御業を正そうとした。ヴェノムは創造神の愛を求め続け、ネメシスは創造神の世界から罪を絶やそうとした。
ほかの四柱もまた、かつての望みを捨てることはなかった。
七柱は創造神を愛していた。
ただし、その愛を形にするために残されたものは、もはや負の権能だけであった。
創造神は、七柱から剥ぎ取った正の権能を御手に留められた。
世界にはなお、二十四の言葉が在った。
されど、そのうち七つは、もはや一つの神のうちに収まってはいなかった。




