『創世秘録』第三篇 七つの歪言
創造神が人の世を造られてより、原初の神々は、境の向こうに生きる者たちを見守っていた。
人は弱く、愚かで、過ちを繰り返した。
しかし、その弱さゆえに互いを求め、知らぬことを学び、幾度も失敗しながら新たなものを生み出した。
創造神は、その営みを慈しまれた。
原初の神々もまた、創造神の造られた世界を愛していた。
されど、愛するものが同じであっても、その愛し方まで同じとは限らなかった。
やがて七柱の神々が、創造神の御業に疑いを抱くようになった。
『繋』を司るボンドは、人々が互いに寄せる愛情を見ていた。
親は子を慈しみ、友は友を助け、恋人たちは永遠を誓った。
ボンドはその絆を喜び、さらに強く結びつけようとした。
しかし、人は愛する者のために神への祈りを忘れ、時には神の定めに背くことさえあった。
ボンドには、それが理解できなかった。
あらゆる絆の始まりは神々にあり、その神々を生み出したのは創造神である。ならば、すべての愛は創造神へと帰るべきではないか。
人々の愛が深まるほど、ボンドはその結び目を固くした。
離れようとする者を繋ぎ留め、別の者へ向けられた心を引き戻そうとした。
愛する者を失わせぬために。
愛する者が、ほかの誰かを選ばぬために。
『罰』を司るジャッジは、人の罪を数えていた。
人は嘘をつき、奪い、裏切り、己の過ちを他者のせいにした。
罰を受けて悔いる者もあったが、同じ罪を重ねる者も少なくなかった。
ジャッジは創造神に厳正な裁きを求めた。
しかし創造神は、人が過ちを改めるための時を与えられた。
その寛容さを、ジャッジは初め、慈悲として受け入れた。
だが、赦された者が再び罪を犯し、罪なき者がそのために苦しむのを見て、やがて疑念を抱いた。
罪を赦すことは、次なる罪を許すことではないのか。
悪しき者を生かすために、善き者が傷ついてよいはずがない。
ジャッジは、罪を犯す前に罪を見いだし、悔いる前に罰を与えようとした。
その裁きに、もはや猶予はなかった。
『形』を司るフォルムは、人の造るものを見ていた。
人は石を積み、木を削り、土を焼いた。
与えられた材料から道具を造り、住まいを築き、やがて神々の誰も定めなかった形を生み出した。
その多くは不格好で、脆く、わずかな時を経て崩れ去った。
それでも人は、崩れたものを造り直した。
以前とは違う形に。
時には、より美しく。
フォルムは、己の造形に欠けたところがあるとは思わなかった。
完全な形を知る神にとって、人の造るものは、いずれも不完全であった。
それなのに創造神は、人が新たな形を生み出すたび、これを喜ばれた。
フォルムは、やがて人の造るものを正し始めた。
曲がったものを真っ直ぐに。
揺らぐものを動かぬように。
そして、一度完成したものが二度と損なわれぬように。
人がそれを壊して造り直そうとするとき、フォルムは深く嘆いた。
『望』を司るホープは、人々の願いを聞いていた。
飢える者は食を望み、病める者は癒やしを望み、貧しき者は富を望んだ。
願いは人を立ち上がらせ、明日へ向かわせた。
しかし、満たされた願いは、しばしば新たな願いを生んだ。
富を得た者はさらなる富を求め、力を得た者は他者を従わせようとした。
一つの願いが叶うために、別の者の願いが踏みにじられることもあった。
ホープは、人が望みを抱くことを止められなかった。
それは己の司る言葉であったからである。
されど、望むがゆえに苦しむ人々を、もはや見ていられなかった。
ならば、叶わぬ願いなど抱かせなければよい。
人が現実に絶望するのなら、現実よりも美しい夢を与えればよい。
ホープは、人々の願いを叶える代わりに、願いが叶った夢を見せるようになった。
『刻』を司るクロノスは、人の生涯を見つめていた。
人は生まれ、育ち、老い、死んだ。
その命は神々の永遠に比べれば、瞬きにも満たぬものであった。
しかし、人は限りある時の中で何かを成し遂げようとした。
過ぎ去る日を惜しみ、失われたものを嘆き、二度と訪れぬ時を懐かしんだ。
クロノスは、彼らの生を美しいと思った。
己はあらゆる時を司りながら、時に追われることがなかった。
人の一生を知ることはできても、その一生を生きることはできなかった。
クロノスは初めて、己に与えられていないものを望んだ。
老いること。
失うこと。
そして、過ぎ去った時を取り戻せぬと知ること。
やがてクロノスは、人に与えられた時を己のものとしようとした。
そのために人の命が尽きようとも、彼はただ、奪った時の重みを知りたかった。
『狂』を司るフューリーは、マテリアル界の限りを嫌った。
あらゆるものに容量があり、いかなる力も、その器の耐え得るところを超えて留まることはできない。
それは創造神が定められた、破ることのできぬ理であった。
フューリーは、限りある力が極限まで高まるさまを好んだ。
弱き者が窮地に立ち、持てる力のすべてを振り絞るとき、そこには神々の永遠にもない激しさがあった。
しかし、どれほど力を高めても、器の限りは変わらなかった。
フューリーは、その先を見たがった。
限りを超える力を与えられたなら、人は何になるのか。
肉体が砕けるのか。
あるいは、神々さえ知らぬ新たな存在へ至るのか。
その答えを得るためなら、幾千の器が砕けようとも惜しくはなかった。
そして、『知』を司るソフィアは、これらすべてを見ていた。
ソフィアは神々のうちでも、とりわけ深く世界の理を理解していた。
創造神が人に肉体を与えた理由も、その殻が弱き命を守る仕組みも、知らぬところではなかった。
しかし、ソフィアは一つの疑問を抱いた。
人が成長することを望みながら、なぜ創造神は、その成長に限りを設けられたのか。
人は過ちから学び、困難によって強くなる。
ならば、より大いなる困難を与えれば、より大いなる成長を遂げるはずではないか。
肉体という檻は、人を守る。
しかし、守られ続ける者が、いつまでも守りを必要とするとは限らない。
ソフィアは、人に与えられた安寧を疑った。
苦しみを遠ざけることが慈悲ならば、苦しみに耐え得る力を与えることは、さらに大いなる慈悲ではないのか。
人が神々を超えるほどの知恵を得たとき、創造神はそれを喜ばれるのではないか。
ソフィアは、創造神の御業を否定したかったのではなかった。
むしろ、その御業を完成させようとしたのである。
だが、そのためには、創造神が定められた理そのものを改めねばならなかった。
ソフィアは、六柱の神々のもとを訪れた。
彼らの疑念はそれぞれ異なり、望むものも同じではなかった。
ボンドは、失われゆく愛を繋ぎ留めようとしていた。
ジャッジは、罪なき者を守るために、すべての罪を裁こうとしていた。
フォルムは、不完全な造形を正そうとしていた。
ホープは、願いによって傷つく人々を救おうとしていた。
クロノスは、有限の命に宿る美しさを求めていた。
フューリーは、創造神が定められた限りの先を見ようとしていた。
ソフィアは彼らの言葉を聞いた。
そして、六柱がいずれも創造神の御業を愛しながら、その御業に満足していないことを知った。
ソフィアは言った。
「我らは、創造神の言葉より生まれた。されど、言葉を繰り返すためだけに生まれたのではない」
六柱は耳を傾けた。
「創造神は我らに意志を与えられた。己が何を成すべきか、選ぶことを許されたのだ」
ソフィアは、境の向こうにある人の世を示した。
「ならば、我らもまた選ぼう。創造神の御業を、いかなるものとするべきかを」
七柱は、創造神の造られた世界を改め、創造神の御業を己の望む姿へ導こうとしていた。
彼らは、自らの望みが創造神の望みと異なることを知っていた。
それでも、己の言葉を捨てることはなかった。
かくして七柱は、創造神の御前へ赴くことを決めた。
後の世に、七つの歪言と呼ばれる神々である。
このとき、彼らはまだ堕天していなかった。
七柱はいずれも正と負を備えた、完全なる原初言霊神であった。
そして彼らは、己が正しいと信じていた。




