『創世秘録』第一篇 はじめに言葉ありき
はじめ、創造神が在った。
いずこより来たりしか、何ゆえに生じしか、これを知るものはない。
創造神に先立つものを語る言葉はなく、創造神の生じた時を数える刻もなかった。
ただ、創造神は在った。
そして、創造神は世界を望まれた。
されど、いまだ世界には、世界を語るための何ものもなかった。
明るきものも、暗きものもない。
生ずるものも、滅びるものもない。
隔たりも、繋がりもなく、始まりと終わりを分かつことさえできなかった。
ゆえに、創造神はまず、言葉を生み出された。
言葉とは、ものに名を与えるためのものではない。
ものが在るより先に、その在り方を定めるものである。
火という言葉があるゆえに、熱は熱として在り得る。
流れという言葉があるゆえに、留まらぬものは流れ得る。
名づけられたものが言葉に従うのではない。
言葉が在るゆえに、ものはそのように在ることを許されるのである。
かくして、創造神は二十四の言葉を発せられた。
はじめの六つは、存在の骨組みを成す言葉であった。
『無』はアビス。
在るものが、在らぬものへ還るための言葉。
あらゆるものを受け入れる空虚であり、あらゆるものを失わせる虚無であった。
『光』はルクス。
隠されたものを明らかにし、混じり合うものを見分けるための言葉。
ものを照らす明瞭さであり、あまりに強ければ、見るものの眼を焼く輝きであった。
『闇』はアンブラ。
ものを覆い、隠し、内に蓄えるための言葉。
安らぎを与える帳であり、外なるものを永久に拒む深淵でもあった。
『刻』はクロノス。
過ぎたものを積み重ね、二度と同じところへ戻さぬための言葉。
熟成をもたらす歳月であり、万物を朽ちさせる風化でもあった。
『界』はバリア。
内と外を分かち、それぞれに在るべき場所を与えるための言葉。
守るべきものを囲う境であり、囚われたものを外へ出さぬ牢でもあった。
『形』はフォルム。
定まらぬものに輪郭を与え、存在を確かなものとするための言葉。
ものを完成へ導く造形であり、変わろうとするものを押し留める枷でもあった。
この六つによって、世界は、在ることと在らぬことを分かち得た。
次の六つは、世界を動かし、移ろわせる言葉であった。
『生』はヴィタ。
芽吹き、繋がり、増えゆくもの。
命を育む働きであり、際限を失えば、命そのものを食い尽くす増殖であった。
『死』はモルス。
終わりを与え、役目を終えたものを還す働き。
安息をもたらす帰還であり、いまだ終わりを望まぬものさえ断ち切る途絶であった。
『変』はメタモル。
留まらぬものを、異なる在り方へ導く働き。
成長と適応を許す流転であり、元の姿さえ失わせる変質でもあった。
『繋』はボンド。
隔たるものを結び、互いを求めさせる働き。
共に在ることを許す絆であり、離れる自由を奪う執着でもあった。
『断』はセヴァ。
結ばれたものを切り離し、別々のものとして立たせる働き。
独立をもたらす解放であり、二度と交わることを許さぬ拒絶でもあった。
『律』はリディム。
乱れた働きに巡りを与え、異なるものを調和させる言葉。
秩序を保つ調律であり、あらゆるものに同じ拍子を強いる束縛でもあった。
この六つによって、世界は、ただ在るのみならず、移ろうことを得た。
さらに六つは、知り、望み、選ぶための言葉であった。
『知』はソフィア。
隠された理を看破し、ものの真なる姿を理解する働き。
無知を照らす叡智であり、知らぬものを愚かと断ずる冷徹でもあった。
『誓』はパクト。
交わされた言葉を違えぬものとする働き。
信頼を成り立たせる約束であり、誓ったものを永遠に縛る契約でもあった。
『意』はウィル。
数多の道より一つを選び、その道を進もうとする働き。
困難に抗う信念であり、他のすべてを退ける我執でもあった。
『望』はホープ。
いまだ在らぬものを思い描き、未来へ手を伸ばす働き。
歩みを支える希望であり、決して訪れぬものに囚われる妄執でもあった。
『罰』はジャッジ。
逸れたものを量り、その過ちを糺す働き。
均衡を取り戻す裁きであり、わずかな逸脱さえ許さぬ苛烈な断罪でもあった。
『忘』はレテ。
過ぎたものを薄れさせ、新たなものを迎えるための働き。
苦しみを和らげる忘却であり、己が何者であったかさえ奪う喪失でもあった。
この六つによって、世界には、定められた理に従うだけではない働きが生まれた。
知ること。
望むこと。
そして、選ぶこと。
最後の六つは、成り立ったものの限りを揺るがす言葉であった。
『破』はカオス。
築かれたものを解き、行き詰まったものを打ち砕く働き。
新たな道を開く破砕であり、積み重ねたすべてを失わせる崩壊でもあった。
『試』はオルディール。
ものを困難にさらし、その限りを確かめる働き。
秘められた力を目覚めさせる試練であり、耐え得ぬものを折り砕く絶望でもあった。
『奪』はスポイル。
一つのものより力を引き取り、別なるところへ移す働き。
失われる力を回収する循環であり、他なるものを枯らして己を満たす渇望でもあった。
『封』はシール。
動くものを留め、あるがままに保つ働き。
危うきものを鎮める封護であり、変わる可能性さえ奪う停滞でもあった。
『狂』はフューリー。
定められた働きを激しく励起し、限りへと迫らせる力。
窮地に力を奮い起こす昂揚であり、器の耐え得るところを越えて自らを損なう暴走でもあった。
『偽』はイリュージョン。
在らぬものを、在るもののごとく映し出す働き。
傷ついた心を休ませる夢であり、真なるものを見失わせる欺瞞でもあった。
この六つによって、世界は、定められた姿のままに留まることを免れた。
成り立ったものは崩れ得る。
満たされたものは失われ得る。
そして、限りあるものは、その限りへ挑むことを得た。
二十四の言葉が発せられたとき、言葉はそれぞれに神となった。
彼らは、創造神が定められた理を体現する、最初の神々であった。
後に原初言霊神と呼ばれる者たちである。
彼らは創造神の言葉より生じた。
されど、言葉を繰り返すだけのものではなかった。
己が何であるかを知り、己が何を成し得るかを知り、そして、己が何を成すべきかを選ぶことができた。
創造神は彼らに、意志を与えられたのである。
二十四の神々は、いずれも二つの働きを備えていた。
生み育てるものと、損ない奪うもの。
結びつけるものと、縛りつけるもの。
明らかにするものと、焼き尽くすもの。
人は後に、これを正と負と呼んだ。
されど、正は善ではなく、負は悪ではない。
光がものを焼くことも、闇がものを守ることも、言葉の理に背くものではなかった。
一方を失えば、他方もまた、その完全なる意味を失う。
ゆえに、原初の神々は、いずれも正と負を備えていた。
彼らは己の言葉の、半分ではなかった。
一つの言葉の、すべてであった。
創造神は、彼らのために領域を定められた。
形あるものに先立ち、形なき理と力が満ちるところ。
概念はそこに在り、思念はそこに巡り、神々の意志は力となった。
これを、エーテル界という。
神々はその界に住まい、己が司る言葉をもって、いまだ姿なき世界の理を織り上げた。
そして、創造神は彼らの働きを見守られた。
されど、言葉は二十四で尽きたのではない。
創造神が最初の言葉を発せられる前、そこには『沈黙』があった。
そして、最後の言葉を発せられた後にも『沈黙』があった。
創造神は、その言葉なきものを、世界の根底に置かれた。
二十四の言葉が働くための礎。
形なき界と、やがて生まれる形ある界とを、ともに成り立たせるための核。
あらゆる力が、世界のうちに在ることを許される、その限りを定めるもの。
神々はこれを、ブランクルーンと呼んだ。
あるいは『原』。
あるいは『零』。
数える者は、二十四の言葉の後に、なお一つを数えた。
されど、それは二十五番目に生まれた神ではない。
最初の言葉より前に在り、最後の言葉より後にも在るもの。
ゆえに、最初であり、最後であった。
原初言霊神たちは、その在処を知っていた。
彼らはそこへ至ることを禁じられてはいなかった。
創造神は、己が生み出した神々に、世界の礎を隠されなかったのである。
されど、いかなる言葉も、沈黙そのものを言い換えることはできなかった。
『知』はその理を探り得た。
『界』はその境を見いだし得た。
『形』はそこに働く構造を捉え得た。
しかし、二十四の言葉のいずれも、それを書き換えることはできなかった。
言葉によって成り立つものが、言葉の在ることを許す礎を、己の言葉によって定め直すことはできないからである。
それを成し得るのは、言葉を生み出された創造神のみであった。
かくして、二十四の言葉は世界に満ちた。
二十四の神々は、己の意志をもって、その理を織り上げた。
そして、そのすべての根底には、創造神の沈黙があった。
そのころ、沈黙はまだ、隠されてはいなかった。




