第七話 まだ、お前が残っている
「会えます」
翌朝。
宿の主人からその言葉を聞いた瞬間、レオンは身を乗り出した。
「本当に!?」
「そんなに叫ばなくても」
「第三十二代勇者ですよ!」
「この町じゃ普通のお爺さんだけどね」
アルベルト・グラン。
二十年前、魔王ベリアスを討った英雄。
現在六十二歳。
勇者を引退した後、王都から離れ、このラグナで暮らしているという。
「どこに?」
「東門近くの家。白い屋根だからすぐ分かるよ」
「ありがとうございます!」
レオンは朝食も途中で立ち上がった。
「待ちなさい」
ミレイアがパンを食べながら言う。
「一人で行くつもり?」
「みんなも来る?」
「行く」
ガルドが答えた。
「勇者適合率百%というものには興味がある」
「私も!」
ノアも手を挙げる。
「元勇者って魔物飼ってたりしないかな」
「なぜそこに期待する」
シオンが言った。
「私は行きます」
エルナも立つ。
結局、六人全員で向かった。
東門近く。
白い屋根の小さな家。
英雄が住んでいるとは思えない、ごく普通の家だった。
レオンは緊張しながら扉を叩いた。
返事はない。
もう一度。
「アルベルト様?」
しばらくして扉が開いた。
老人が立っていた。
白髪。
深い皺。
背筋はまっすぐ伸びている。
左頬に古い傷。
「誰だ」
低い声。
「レ、レオン・アルヴァです」
「知らん」
「あ、いや、今代の勇者で……」
老人の目が変わった。
「勇者?」
「はい」
老人はレオンを上から下まで見た。
「弱そうだな」
「初対面でそれ言います?」
「事実だ」
「否定できないのが悔しい」
アルベルトはレオンの後ろを見る。
「そいつらは」
「仲間です」
「魔法使い。戦士。魔物使い。忍者。僧侶か」
「分かるんですか?」
「見れば分かる」
シオンの肩が鳴った。
ポキッ。
「……忍者?」
「見れば分かると言ったばかりでしょう」
シオンが傷ついた顔をした。
アルベルトは無表情のまま家へ戻る。
「入れ」
室内には驚くほど何もなかった。
机。
椅子。
寝台。
武器すら飾られていない。
レオンは少し拍子抜けした。
「もっとこう……聖剣とか、魔王の角とか飾ってあるのかと」
「捨てた」
「聖剣を?」
「必要ない」
六人は椅子に座った。
アルベルトは立ったまま。
「何を聞きたい」
レオンは迷った。
聞きたいことは多い。
「勇者って、どうすればいいんですか」
「意味が分からん」
「俺、強くないんです」
「見れば分かる」
「二回目だ」
「だから聞きたいんです。どうすれば勇者になれるのか」
アルベルトはレオンを見る。
「レベルを上げろ」
「やっぱり」
「敵を倒せ」
「はい」
「適合率を上げろ」
レオンの心臓が跳ねた。
「知ってるんですか?」
「当然だ」
「職業適合率を?」
「ああ」
ミレイアが身を乗り出す。
「どういうものなんです?」
「職業への適応度だ」
「高くなると?」
「能力が上がる」
「それだけ?」
アルベルトは一瞬黙った。
「それだけだ」
レオンは違和感を覚えた。
「アルベルトさんは百%なんですよね」
「ああ」
「どんな感じなんですか?」
「何が」
「勇者として」
老人は少し考えた。
「迷わない」
「迷わない?」
「勇者が取るべき行動が分かる」
「例えば?」
「魔物がいるなら倒す」
「人が困ってたら?」
「必要なら助ける」
「必要なら?」
「勇者の使命に必要なら」
レオンは眉を寄せた。
「困ってる人ですよ?」
「だから何だ」
空気が変わった。
エルナがアルベルトを見る。
「あなたは、人を救いたくて勇者になったのでは?」
「覚えていない」
レオンが聞き返す。
「覚えてない?」
「昔のことだ」
「でも、勇者になる前のことくらい」
「必要のない記憶だ」
ミレイアの顔から笑みが消える。
「好きだった食べ物は?」
「知らん」
ノアが訊いた。
「子供の頃、何して遊んでた?」
「知らん」
ガルド。
「家族は?」
「いたはずだ」
「名前は?」
「覚えていない」
静寂。
レオンの背中に冷たいものが走る。
「じゃあ……何なら覚えてるんです?」
アルベルトは迷わず答えた。
「魔王を倒した」
それだけ。
「それ以前も、その後も?」
「必要ない」
レオンは立ち上がった。
「必要ないって何だよ」
「座れ」
「自分の人生だろ」
「勇者に過去は必要ない」
「そんなわけ――」
「お前もいずれ分かる」
アルベルトが初めてレオンを真正面から見た。
その瞳は。
怖いほど静かだった。
「勇者として完成すればな」
レオンは能力表示を開いた。
《職業適合率――12%》
アルベルトを見る。
《勇者適合率――100%》
その数字が、昨日とはまったく違って見えた。
「俺も……あんたみたいになる?」
「当然だ」
「嫌だって言ったら?」
「意味が分からん」
「俺が俺じゃなくなるのが嫌だって言ったら」
アルベルトの表情が。
ほんの一瞬。
揺れた。
老人はレオンへ近づく。
顔を覗き込む。
「十二%……」
「見えるんですか」
「ああ」
アルベルトの手が震えた。
初めてだった。
無表情だった老人に感情らしいものが浮かぶ。
「どうしたんです?」
「低い」
「知ってます」
「違う」
アルベルトの声が小さくなる。
「まだ……」
「何?」
老人の瞳が、わずかに潤んだ。
「まだ、お前が残っている」
「…………」
レオンは意味が分からなかった。
「それ、どういう――」
突然。
アルベルトの表情が消えた。
完全な無表情。
「帰れ」
「え?」
「話すことはない」
「待ってください!」
「帰れ」
「さっきの意味を!」
「知らん」
「でも!」
アルベルトは扉を開いた。
六人は追い出された。
外へ出る。
扉が閉まる。
ノアが小さく言った。
「……怖かった」
誰も否定しなかった。
レオンは閉ざされた扉を見る。
まだ、お前が残っている。
その言葉だけが。
頭から離れなかった。




