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『勇者ですが、勇気しかありません』  作者: asnt2026


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第三十七話 魔物使いは命令しない

 灰色の狼は、ついてきていた。


 正確には、ついてきているのかどうか分からない。


 朝にはいない。


 昼になると遠くの岩陰にいる。


 夜になると焚き火から十メートルほど離れた場所に座っている。


 近づけば逃げる。


 呼んでも来ない。


「完全になついてないな」


 レオンが言った。


「それでいいの」


 ノアは嬉しそうだった。


「名前つけないの?」


「つけない」


「何で?」


「本人に聞いてないから」


「本人って」


「この子」


「狼だぞ」


「だから?」


 最近のノアは、魔物を従わせることに以前ほど執着しなくなっていた。


 魔物使いになった頃は、いつか自分にも魔物がなついてくれると信じていた。


 魔物を連れた先輩たちが羨ましかった。


 肩に鳥を乗せ、狼と並んで歩き、竜に乗る。


 そういう魔物使いになりたかった。


 今でも憧れが消えたわけではない。


 ただ、少し考え方が変わった。


「一緒にいたかったら、いればいい」


 ノアは狼を見た。


「嫌ならどっか行けばいいし」


 狼は欠伸をした。


「聞いてないね」


 レオン。


「聞いてる!」


「そうかなあ」


 その日の午後、森の奥から大量の羽音が聞こえてきた。


 黒い鳥型魔物が一斉に飛び立つ。


 その下を、鹿型、狼型、猪型の魔物が走っていく。


「何?」


 ノアの表情が変わった。


「逃げてる」


「何から?」


 答えはすぐに現れた。


 森の奥から、一人の女性が歩いてくる。


 深緑の長い髪。


 褐色の肌。


 細身の身体に軽い革鎧。


 周囲には数十匹の魔物がいた。


 狼。


 大鷲。


 巨大な蛇。


 小型竜。


 そのすべてが、彼女の歩調に合わせて進んでいる。


「獣王」


 ガルドが低く言った。


「魔王軍六将、リュネ」


 ノアの顔が硬くなる。


 リュネが手を上げた。


 それだけで。


 周囲の魔物が一斉に止まる。


「すごい……」


 ノアの口から、思わず言葉が漏れた。


 リュネはそれを聞いていた。


「羨ましいか」


「……ちょっと」


「正直だな」


「嘘ついても仕方ないし」


 リュネの肩へ、一羽の鳥が降りる。


 頭を撫でる。


 鳥は気持ちよさそうに目を閉じた。


「私も昔は、お前と同じだった」


「魔物に嫌われた?」


「近づくだけで噛まれた」


「鳥に糞落とされた?」


「三度」


「私は十四回」


「数えているのか」


「悔しかったから」


 妙なところで話が合った。


 レオンが小声で言う。


「敵同士だよな?」


「多分」


 ミレイア。


 リュネはノアへ手を差し出した。


「適合を受け入れれば、こうなれる」


 その瞬間、周囲の魔物が一斉にノアを見る。


 敵意はない。


 むしろ。


 好意。


 ノアが一歩前へ出る。


 灰色の狼が、遠くからその様子を見ていた。


「触ってもいい?」


「好きにしろ」


 ノアが大鷲へ手を伸ばす。


 逃げない。


 初めてだった。


 自分から近づいた魔物が、自分を嫌がらない。


 指先が羽へ触れる。


「……柔らかい」


 胸の奥が熱くなる。


 これが。


 欲しかった。


 ずっと。


「私も」


 ノアはリュネを見る。


「こうなれる?」


「ああ」


「全部の魔物が?」


「お前を慕う」


「命令も聞く?」


「絶対に」


 ノアの表情が変わった。


「絶対?」


「ああ」


「嫌な命令でも?」


「逆らわない」


 大鷲を見る。


「例えば、この子に空から落ちろって言ったら?」


「落ちる」


「死ぬのに?」


「命令だからな」


 ノアの指が止まった。


「それ」


 小さな声。


「なついてるって言うの?」


 リュネの眉が動く。


「何?」


「私のこと好きだから一緒にいるんじゃないの?」


「違いがあるか」


「あるよ!」


 ノアは大鷲から手を離した。


「全然違う!」


「魔物使いとは魔物を従える職業だ」


「知ってる」


「なら」


「だから、魔物使いやめてもいい」


 全員がノアを見る。


 本人も。


 一瞬、自分の言葉に驚いた。


「……あ」


 能力表示。


《魔物使い適合率――9%》


《8%》


《職業解除条件進行――1/3》


「出た」


 ミレイア。


 ノアは表示を見る。


「私」


 自分の胸に触れる。


「魔物使いになりたかった」


 今でも魔物が好き。


 近くにいたい。


 触りたい。


 一緒に歩きたい。


「でも、この子たちを自分のものにしたいんじゃない」


 リュネがノアを見つめる。


「魔物使いでなくなれば、魔物との接続能力も失う」


「それでもいい」


「二度となつかれないかもしれない」


 ノアは少し困った顔をした。


「それは……嫌だなあ」


「なら」


「でも」


 灰色の狼を見る。


 遠い。


 呼んでも来ない。


 なのに。


 そこにいる。


「一匹もなつかない方が」


 ノアは笑った。


「全部に無理やりなつかれるよりいい」


 沈黙。


 その瞬間だった。


 リュネの周囲にいた魔物の一匹。


 小さな狼が。


 彼女から離れた。


「戻れ」


 リュネ。


 狼が止まる。


「戻れ」


 震える。


 そして。


 初めて。


 命令とは逆方向へ走った。


 リュネの目が大きくなる。


《獣王適合率――100%》


 一瞬。


《99%》


「……なぜ」


 狼はノアの方へ来たわけではない。


 そのまま森へ消えた。


「逃げた」


 ノアが言う。


「私の命令に逆らった」


 リュネの声。


 震えている。


「よかったね」


「何が」


「その子」


 ノアは笑った。


「自分で決めたんだよ」


 リュネは何も言えなかった。


 その後ろで。


 灰色の狼が立ち上がった。


 ノアを見る。


 一歩。


 近づく。


「え?」


 さらに。


 一歩。


 ノアのすぐ横までは来ない。


 五メートル。


 そこで止まる。


「……近い」


 ノアの顔が輝いた。


「レオン、見て!」


「見てる!」


「昨日より近い!」


「うん!」


「触れるかな?」


「やめとけ!」


「だよね!」


 リュネは、その様子をじっと見ていた。


 命令されず。


 呼ばれず。


 自分で近づいてきた一匹。


 その意味を。


 彼女は。


 もう一度考え始めていた。

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