第三十六話 力のない戦士が守るもの
魔王軍六将と別れてから二日。
六人は国境沿いの山道を西へ進んでいた。
世界から《秩序破壊対象》に指定されている以上、街道を堂々と歩くわけにはいかない。町に入れば衛兵に止められ、宿では宿泊を断られ、商人からは食料さえ売ってもらえないことがある。
そのため最近は、森や山を抜ける時間の方が長かった。
「勇者って、もう少し豪華な旅をするものだと思ってた」
レオンが岩場を登りながらぼやくと、前を歩いていたミレイアが振り返った。
「例えば?」
「城に歓迎されたり、宴会を開いてもらったり」
「現実は?」
「教会に追われて、昨日の夕飯は木の実」
「一昨日は干し肉だったじゃない」
「あれ、ノアが灰色の狼用に残してたやつだぞ」
「食べたの!?」
後ろからノアの声が飛んできた。
「ちょっとだけ!」
「最低!」
「腹減ってたんだよ!」
そんなやり取りをしながら歩いていた時、先頭のガルドが突然足を止めた。
「静かに」
全員が口を閉じる。
谷の下から、何かがぶつかるような鈍い音が聞こえてきた。
さらに人の叫び声。
「助けてくれ!」
レオンが反射的に走り出そうとする。
だが、すぐに足を止めた。
「……確認してから行こう」
以前なら、声を聞いた瞬間に飛び出していただろう。
勇者だからではない。
放っておけなかったからだ。
その気持ちは今も変わらない。ただ、自分一人が飛び込んで仲間まで危険に巻き込むのは違うと、少しずつ考えられるようになっていた。
シオンが崖の縁から下を確認する。
「荷馬車が横転している。人間が四人。それと岩甲鬼が一体」
「岩甲鬼?」
ノアが顔をしかめた。
「岩みたいに硬い皮膚を持つ大型魔物。力はオーガより上。普通の剣じゃほとんど通らない」
「倒さず助ける方法は?」
レオンが聞く。
「追い払うのも難しい。かなり縄張り意識が強いから」
ガルドは谷を見下ろしたまま、しばらく黙っていた。
「俺が行く」
「一人で?」
「岩甲鬼の攻撃は遅い。動きなら読める」
「でも受けたら?」
「死ぬかもしれない」
「それ、さらっと言うなよ」
ガルドは背中の大剣を抜いた。
以前なら一人では持ち上げられなかった武器だ。適合率の上昇によって、今では振ることができる。
ただ、最近のガルドは必要以上に大剣を使おうとしなくなっていた。
「レオン。荷馬車の人間を頼む。ノアは岩甲鬼の習性を見てくれ。ミレイアは援護。シオンは退路を確保。エルナは負傷者を」
「ガルドは?」
「時間を稼ぐ」
「一番危なくない?」
「戦士だからな」
言った直後、ガルドは苦い顔をした。
「……今のは忘れろ」
「適合率上がりそうだった?」
「ああ」
レオンは少し笑った。
「じゃあ言い直せば?」
ガルドも考えた。
「俺が一番、あいつの動きを読める。だから行く」
「それなら?」
「俺が決めた」
六人は谷へ降りた。
岩甲鬼は三メートル近い巨体だった。灰色の皮膚はまさに岩そのもので、拳一つが人間の頭ほどもある。
ガルドが前へ出る。
「こっちだ」
岩甲鬼が振り向いた。
拳が振り下ろされる。
ガルドは真正面から受けない。わずかに身体をずらし、盾の角度を変えて拳を滑らせた。
轟音とともに地面が砕ける。
「次は右!」
ガルドが叫ぶ。
レオンたちは横転した荷馬車へ走った。
一人の商人が足を挟まれている。
「持ち上げるぞ!」
レオンが荷台へ手をかける。
「無理よ、それ」
ミレイアが言う。
「ガルド呼ぶ?」
「呼べないだろ!」
その頃、ガルドは岩甲鬼の攻撃を紙一重でかわし続けていた。
何度目かの拳が迫る。
今なら。
大剣で受けられる。
以前より筋力は上がっている。
戦士として戦えば、もっと効率よく時間を稼げる。
ガルドは大剣を構えかけた。
その瞬間、砦で会った男の姿が頭をよぎった。
闘将。
巨大な身体。
圧倒的な筋力。
《職業適合率――100%》
自分が欲しかったものを、すべて持っていた男。
「……違うな」
ガルドは大剣を捨てた。
「ガルド!?」
レオンが叫ぶ。
腰から短剣を抜く。
岩甲鬼の拳を避け、足元へ滑り込んだ。
攻撃はしない。
短剣を地面の亀裂へ差し込み、体重をかける。
「ミレイア!」
「何!」
「この崖、崩せるか!」
「全体は無理!」
「一部でいい!」
ミレイアが意図を理解した。
「拒風!」
風が岩壁の一部を押す。
亀裂が広がった。
ガルドは岩甲鬼の次の攻撃を誘導する。
「ここだ!」
巨大な拳が地面へ叩きつけられる。
亀裂が一気に走った。
岩場の一角が崩れ、土煙が上がる。
岩甲鬼の前に新しい壁ができた。
魔物はしばらく唸っていたが、やがて谷の奥へ戻っていった。
「追ってこない!」
ノアが叫ぶ。
「縄張りの境界が変わったんだ!」
ガルドはその場に座り込んだ。
大剣は一度も使っていない。
敵にも傷を負わせなかった。
それでも、全員を守った。
能力表示が浮かぶ。
《戦士適合率――24%》
数字が揺れる。
《23%》
さらに新しい表示。
《職業解除条件進行――1/3》
「出た」
ガルドが呟く。
レオンたちが集まる。
「何したんだ?」
「分からん」
「大剣を使わなかった?」
ミレイアが言う。
「それだけではないでしょう」
エルナが負傷者を治療しながら答えた。
「戦士なら力で敵を止めるところを、ガルドは敵の力そのものを利用しました」
ガルドは地面に落ちた大剣を見る。
「力が欲しくないわけじゃない」
「うん」
「強くなりたい」
レオンも黙って聞いていた。
「だが、力がないならないなりに、守る方法はある」
ガルドが大剣を拾い上げる。
「それを忘れてまで筋肉が欲しいとは思わん」
ノアが腕を見る。
「でもちょっとくらい筋肉欲しい?」
「かなり欲しい」
「欲しいんだ」
「当たり前だ」
ようやく皆が笑った。
その時だった。
谷の上から、低い声が降ってきた。
「その程度で守ったつもりか」
全員が見上げる。
崖の上に、巨大な男が立っていた。
魔王軍六将の一人。
闘将バルガ。
ガルドと同じ、かつて筋肉がつかなかった戦士。
「また来た」
レオンがため息をつく。
「今日は誰の担当?」
「俺らしいな」
ガルドが立ち上がった。
バルガは腕を組み、谷を見下ろしている。
「俺なら、あの魔物を一撃で殺せた」
「だろうな」
「荷馬車も一人で持ち上げられる」
「羨ましい」
「なら完成を受け入れろ」
ガルドは少し考えてから首を振った。
「断る」
「なぜ」
「お前を見て思った」
「何を」
「筋肉は欲しい」
「…………」
「だが、お前ほどはいらん」
レオンが吹き出した。
ミレイアも口元を押さえる。
バルガの眉間に深い皺が寄った。
「そこが理由か」
「半分はな」
ガルドは笑った。
「残り半分は、自分で考える」
バルガは何も言わず、しばらくガルドを見ていた。
やがて背を向ける。
その胸元で。
《自律率――0%》
表示が一瞬だけ揺れた。
ガルドは、それを見逃さなかった。




