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初めて戦場に立った時、血と土が混じった匂いは一生慣れることがないとエリアスは思った。けれど、今は全く気にならない。それだけじゃない。痛みも、空腹も、恐怖さえ。
エリアスは負傷した仲間を背負って、野営地へと向かっている。必死に仲間に向けて言葉をかけながら──
「なぁ、ケント。士官学校で食べたハムサンド覚えてる?あれ旨かったよね。週に一度の争奪戦に勝つために、皆戦略を練ったよね。覚えてる?」
「……」
「僕さ、最初は全然駄目で食べ損ねてばっかりでさ、もういいやって諦めかけた時さ、
ケントが一つ分けてくれたよね。あれ嬉しかったよ、とっても。食べてみたらビックリするほど美味しくってさ、どうしてももう一度食べたくって、あれから軍略の講義だけは寝ないようにしてたんだ」
「……」
背負っている仲間のケントは、発見した時には虫の息だった。もしかしたら、背負われていることすら気づいていないかもしれない。
それでもエリアスは、必死にケントに話しかける。
「あのハムサンドって、創立当初からレシピが変わってないんだって。すごいよね」
「……」
「また、食べよう。今度は僕がごちそうするよ。だ、だから……さ……」
最後の言葉は喉が震えて、紡ぐことができなかった。
背中から最悪の予感が伝わってくるけれど、エリアスはケントを背負ったまま黙々と野営地へと歩き続けた。
それからかなり歩いて野営地に到着したエリアスは、医療班にケントを託して再び戦場へと飛び出した。ケントの生死は、今は知りたくない。
中堅魔道具巧操者は、低致死性魔道具の使用が許可されるし、解析済みの上級魔導書も扱える。
でもエリアスは、新米軍人だ。第一任務は戦前で敵兵を迎え撃つのではなく、仲間の救助。使用を許可されている魔道具は、奇襲攻撃を受けて散り散りになってしまった仲間を見つけるための共鳴灯だけだ。
腰に付けたランタンは仲間が近くにいれば青い光を放ってくれるので、エリアスはとにかく戦場を歩き続ける。
ランタンは時折、青く光ってくれるが、瓦礫をかきわけて仲間を見つけても救助できる状態ではない。
悔しさと不甲斐なさと、どこにぶつけていいのかわからない怒りで、どうにかなりそうだ。
しかしエリアスはそんな気持ちを心の奥にグッと押し込み、戦場を歩き続ける。
そして陽が傾き、野営地に戻る時刻が迫った頃、エリアスの腰につけてあるランタンがひときわ強く輝いた。
「……クローネ」
名前を呼んだあと、エリアスはその後の言葉が出てこなかった。
大きな岩に身体を預けるように座り込んでいるクローネは、艶やかだった亜麻色の髪は酷く乱れ、強い光を放っていたスフェーンのような瞳は淀んでいる。顔色も悪く、軍服もボロボロだ。
「……エリアス……なの?」
声をかけられたクローネは、しばらくしてから緩慢な動作でエリアスを見上げた。
「うん。迎えに来るのが遅くなってごめん」
君がここにいると知ってたら、もっと早く来たかったのに。そんな気持ちを隠さずに、エリアスはクローネの前に膝をつくと手を差し出す。
しかしクローネは、その手を振り払った。
「もう、もう……嫌なの……!」
クローネは、きっと声の限り叫びたかったのだろう。けれどやつれきった身体では、傍で聞き取るのが精一杯の声量だった。
でもエリアスの心には、クローネがどんな気持ちでいるのか痛いほど伝わった。
「毎日夢を見るの。助けられなかった仲間を、殺した敵国の兵士を。目が覚めても、夢と同じ光景が続いて、どれが現実かわからないっ。怖いの……辛いの……」
ボロボロと涙をこぼしながら弱音を吐くクローネは、エリアスに向けて笑いながらこう言った。
「家を飛び出してここまできたけど、私の決意なんてこんなものなのよ……エリアス、軽蔑するなら、していいわよ」
その投げやりな口調に、エリアスはカチンときた。
誰が軽蔑するもんか、この野郎。っていうか、こんなことで軽蔑すると思っているのか?ふざけるな。僕はそんな最低男じゃない!
そう口にする代わりに、エリアスはクローネを抱き寄せると、強引に口づけをした。
「……エリアス」
「うん」
「あなた、今……何をしたの?」
「キスした」
エリアスが食い気味に答えた瞬間、クローネはエリアスの頬めがけて手を振り上げた。
しかしエリアスはそれを軽々とかわして、クローネの手首をつかむ。
「あのねクローネ。また辛くなったら、今のこと思い出して」
「え……?」
「僕は、戦死した仲間のことを仕方がなかったなんて思いたくない。敵国の兵士のことだって、冥福を祈りたい。でもね、勘違いしないで。こうなったのは、クローネのせいじゃない」
「っ……!」
静かに語るエリアスの言葉に、クローネの瞳に一筋の光が差す。
まるで迷子になった子供が、帰り道を見つけたように。
「きっとさ、クローネは僕がこう言っても何度だって思い出して自分を責めるんだろうね。だからさ、最後に僕にキスされたことを思い出してよ」
そうすれば、この地獄のような光景が違ったものに見えると信じたい。
そんな祈りにも近いエリアスの言葉がクローネに届いたかどうかはわからない。
ただクローネは唇を手の甲で拭うことなく、最後までエリアスの言葉に耳を傾けてくれた。
「それじゃあ暗くなるし、野営地に戻ろう。ほら、乗って」
背負うつもりで、クローネに背中を向けたエリアスだが、返ってきたのは結構強めの蹴りだった。
「……クローネ、痛い」
「先輩を背負うなんて100年早いわよ。ほら、立って」
岩に手をついて立ち上がったクローネは、ふふんっと笑ってエリアスの腕を引っ張った。
「なら、友達として肩を貸すのはアリ……かな?」
立ち上がったエリアスは、おずおずとクローネに尋ねる。気力がちょっと戻っても、クローネの身体がボロボロなのは事実だ。
エリアスもまぁまぁボロボロ状態だが、本気を出せば無理矢理クローネを肩に担ぐくらいの余力はある。
でも、そうしたくなくて、折衷案を提示すれば、クローネは「仕方がないわね」と言って頷いてくれた。
戦場に似合わない美しい夕日に照らされながら、エリアスはクローネを支えて野営地へと向かう。
敵国は奇襲攻撃を得意としている。もしかしたら明日は、今日よりひどい惨状を目にするかもしれない。
そうなったらエリアスのキスごときでは、クローネの心を救えないだろう。どうか、奇跡が起こりますように。
藁をもすがる思いで天に託したその願いは、神様に届いた。ただ天にいる神様じゃなく、軍神──ギルフォード・ディアスに。
寝ずに遠方から駆けつけてくれたギルフォードは、彼だけが扱える魔法武器で戦況を大きく変えてくれた。
『二人に何かあれば俺はいつでも駆けつける』
かつて交わした約束を、ギルフォードは忘れずにいてくれたのだ。




