9. 本命チョコ
「え?今日は先輩お休みですか?」
授業前に美術室に寄った秋人は、目当ての人が不在でがっかりした。
「如月君、明日は楽しみにしてなよー」
ニヤニヤと華が笑う。
「あ、こら。サプライズを邪魔しないの」
とこちらは輝美の言葉だった。
「明日はバレンタインだからねー。美香は頑張ってるよ」
「???」
バレンタインと美香が頑張るがイコールで結べない秋人は頭上に山のように疑問符を浮かせて教室へ戻った。できれば、薫からもらった勇気が残ってるうちに美香に会って告白したかったのだが、欠席なら仕方ない。
そういえば、明日がバレンタインだということもすっかり忘れていた。
「先輩とチョコレート買いに行きたかったな」
しょんぼりと肩を落とす。
ここ数日の騒動でそれどころではなかったのだが、色とりどりのパッケージに綺麗に並んだチョコレートを美香と一緒に見るのはどれほど楽しいだろうか。彼女はきっと色々と説明してくれて、一番センスの良いチョコを選ぶに違いない。
「そうだ!今日帰りに買いに行って、明日の朝先輩と食べよう」
明日はバレンタインだ。本命チョコを一緒に食べたら楽しいに違いないと秋人は呑気にそう思っていた。
桜子は昼休憩中の当夜を捕まえて昼食を奢ると言い張った。
「何でも好きなもの食べて」
「じゃ、じゃあラーメンで」
「ええ、もっとどどーんと奢っちゃうよ」
「いや、怖いんで。ラーメンで」
あわあわと当夜が遠慮するので、桜子は面白くない。
「何か言う前から怯えないでよ」
「いや、無理っしょ」
事務所の入っているビルのいつものラーメン屋でチャーシュー麺の大盛りを注文する。桜子も同じものを頼んだ。
「あら、美味しい」
「でしょ。んで、奢ってくれた理由は?」
当夜は仕方なく水を向ける。
桜子は意を決して当夜に尋ねた。
「薫さんへのチョコレートへのアドバイスがほしい!」
ものすごくシリアスな雰囲気から発せられた問いかけに、当夜はラーメンの器に顔を突っ込みそうになった。ぶっちゃけどうでもいい。
「へ?」
「だから、薫さんにあげるチョコだよ。もう時間がないの」
「バレンタイン明日っすよ」
「分かってるよう」
天下の霧崎桜子がラーメン屋のカウンターで突っ伏す姿を世間の人に見せるわけにもいかないので、当夜は渋々知恵を絞った。
「ノーマルで」
「ん?」
「ごく普通の当たり前の本命チョコでお願いします」
「えー。つまらなくない?」
不満の声をあげる桜子に、周囲の男もいやいやと首を振る。
「薫は、毎年この時期になると顔に縦線入って、ふらふらになるくらい酷い目にあってるんだよ、姉ちゃん」
ラーメン屋の店主が腕組みして頷く。常連客も次々と口にする。
「そうそう。神崎先生女難の相、極まれりって感じの悲惨さなんだよね」
「ストーカーが3倍マシって感じでなぁ」
「気の弱い男ならノイローゼになるってもんよ」
「そんなに…」
桜子はごくりとつばを飲み込んだ。
「でも今年は、姉さんって彼女がいるわけだから。ほんと普通に平和にどノーマルに綺麗に包んだお高めのチョコレートとちゅーの一つでいいと思うぜ」
店主の言葉に、周辺の男連中がうんうんと頷く。
「え?ちゅー?!」
桜子が真っ赤になって腰を浮かすと、全員が「ああ」という顔で桜子を見た。
「え?まだっすか」
当夜が思わず確かめてしまう。
「いや、だって。そんな…」
しどろもどろの桜子に向かって、当夜が大きくため息をつく。
「あー、先生奥手っすからねぇ」
「いや、あれは奥手っていうよりトラウマなんじゃ」
「ああ」
どうやら、桜子と薫の関係はこのビルに入ってる店子にとっても、かなり関心の高い出来事のようだった。
「その…前の婚約者さんは薫さんにチョコレートあげてなかったんですか?」
思わず気になっていた事を聞いてしまった桜子に、店主は顔を顰めた。
「ぶっちゃけ言うと、あの女が薫の事を好きじゃなさそうだってのは、薫以外はみんな何となく分かってた」
「ええ?」
黙ってたのは酷くないか?と桜子は思ったが、話はそう簡単ではない。
「何度か言おうと思ったんだぜ?加藤先生も四苦八苦してたからなぁ。でも、薫的には唯一自分とまともに話してくれる女性だってんで、目が曇っちまってて」
「とにかく先生は女運の悪さが突き抜けてたから、『好き』って言える女ってだけでも貴重かなって思うとなかなか言い出しづらくってなぁ」
地獄である。
「まあ、とにかく男は別にサプライズやらフラッシュモブとかの変な演出はいらねえ。ストレートにいかにも本命っぽいチョコ。手作りならなおよし!って感じだぜ」
ラーメン屋の店主の言葉に桜子は大きく頷いた。
「分かった!とにかく本命っぽいチョコを買いにいってくる。そんでもって、製菓材料のとこで手作りキットを買ってきて、上手くできたらそっちを渡す」
桜子の方針が決まった。とにかく、最初の一個は普通だ。普通によくあるパターンでいいらしい。
桜子は戦士らしく腹を括った。
新宿のデパートに向かった桜子は、そこで秋人と会った。
「あれ?秋人?何やってんの?」
「あ、師匠。お疲れ様です?」
何故だか疑問形の秋人は、両手いっぱいにチョコレートを抱えていた。
「もうもらったの?」
桜子はバレンタインは明日の筈だと不安になって、思わずスマホで日付を確認してしまった。今日はまだ13日だ。
「自分で買ったんですよ」
秋人の言葉に桜子は首を傾げた。なんで自分で買ってんだ?と。
「秋人なら明日沢山もらえるだろ?」
「友チョコってやつですか?」
クラスのみんなからそれは貰えるかもしれないと、秋人は少し楽しみになった。
「いや、女の子から沢山…はもらっちゃだめか」
桜子の脳裏に眼鏡の優しい少女の姿が浮かんだ。
「秋人がチョコレートが好きなのは知ってるけど、好きな子が悲しむような真似はしないように」
と釘を刺す。秋人はもちろん先輩を悲しませるようなことはしたくない。でも、告白したら悲しい想いをさせるだろうか。
「師匠、あの…僕、先輩に好きって言ったら迷惑かな」
貴重な女性の知り合いである桜子の意見を聞いてみたくなった。
「いや、まさか。秋人に言われたらきっと嬉しいよ」
桜子の言葉に秋人はぱっと顔を輝かせた。
「これ、あげます」
秋人は持っていた紙袋の中から大きめの包みを一つ、桜子に手渡した。
「本命チョコの1つです。絶対美味しいはずなので、薫と食べてくださいねー」
と秋人は笑って、その場を去った。
「なんで?」
その場に疑問符を浮かべた桜子が一人取り残された。
しかし、大問題だったのはこの光景を遠くから見ていた人がいたことである。
「如月くん…」
美香は茫然と立ち尽くした。
秋人「この端から端まで全部ください」
店員A「君が買うの?」
秋人「はい。あ、お金は大丈夫です」
店員A「ありがとうございました」
店員B「今時の子は堂々としてるわねー。彼氏にあげるのかしら」
店員A「や、確かに綺麗な子だったけど端から端まで買ってったわよ。自分で食べるんじゃない?」
店員B「彼氏が大食いなのかもしれないじゃない」
秋人「はくしょん」




