18. それなりに
「子供だ、子供だと思ってたけど、いつのまにこんなに大人になったのかな」
薫が眠ってしまった秋人の髪を撫でる。
たった1年前から一緒に暮らすようになったとは思えないほど、薫は深く秋人のことを見守ってきた。彼の成長が頼もしい反面、少し寂しい気持ちになるのは、親心みたいなものだろうか?そう首を捻っていると、
「男子、三日会わざれば刮目して見よって言うからね」
桜子が部屋に入ってきた。
「お帰りなさい」
「ただいま、秋人の具合は?」
「まだ少し熱があるみたい」
「そっか…」
桜子はここ何日かは会見やインタビューで忙しくしていて、なかなか帰宅できなかったのだ。
桜子が薫の横に椅子を引っ張ってきて座る。
「その…薫さんには、本当に何というか勝手してごめんなさい」
ようやく、二人で話せるタイミングになったので、桜子は頭を下げた。
「結婚を前提にお付き合いしてますってやつですか?」
薫がくすっと笑う。桜子は俯いた。
「はい、そうです。ごめんなさい」
康子から、もし仮に週刊誌やらで二人の熱愛などのスクープが出たら、そういう正式な話なので何もやましいことはないって説明してもいいか?と前もって話を受けていた。
薫は、男なのでそういう場合女性である桜子の方が色々と問題が多いのは分かっていたので桜子の印象を優先してくれて構わないと事前に承諾していた。あの場でそれが使用されるとは思っていなかったが、特に問題はない。
婚約している男女が結婚前に破談になるなんて、よくある話だ。
「あの時はあれが正解でしょう。でも、どちらかというと俺の役得かな。桜子さんにちゃんとした相手ができるまでのつなぎでも…」
自嘲気味に笑う薫の言葉を桜子の指が遮った。
「それ以上言ったら怒ります」
「…すいません」
素直に謝る薫に桜子は困ったような顔を向けた。薫の肩が少し落ちて、本気で謝っているのが分かる。この人は本当に…桜子は苦笑する。
こんな顔で、こんな実力とこんな肩書で女など選びたい放題だっただろうに、まったくもって女慣れしていないのだ。
くすりと小さく笑った。
「私、本気です。あなたのこと好きです。初めて誰かを好きになりました」
「それは…」
薫が絶句している。
「もしかして、全然気が付いてませんでした?」
「いや、ちょっとだけは…流石に、そうかなーとか、ぼんやりとは…」
薫が素直に白状すると、桜子は破顔した。よかった。少しは伝わっていたらしい。それでも、桜子の気持ちを見ないようにするくらいには薫は傷ついていたのだろう。
「私、お得ですよ。強いから薫さんのこと守ってあげられるし、高収入のSランク探索者だから貧乏弁護士でも平気ですし、薫さんの顔はそれなりにしか好きじゃないし、どっちかというとあなたの料理の腕前の方に重きを置いてますし、秋人のことも大好きです。これ以上好条件の女は、薫さんの人生に二度と現れません」
断言して、桜子は華やかに笑った。
「ハレー・ウィンストンとか好きじゃないですしね」
桜子の言葉に、薫は頭を抱えた。
「秋人ですか?」
「ふふ。『師匠、ハレー・ウィンストンの指輪って何?』って聞いてきたので、大概の女性が見栄と欲望とステータスのために欲しがるハイブランド結婚指輪の代名詞って答えたらすっごく面白くなさそうな顔してた」
薫は天を仰ぐ。本当にどうかしていた。欲しいとねだられるままに購入したが愚かだった。
もう、佐代子のことは忘れることにしようと薫は思い切った。
考えても考えても泥沼だ。秋人の言葉で胸のつかえがとれた気がした。向田も佐代子も自分たちの都合ばかりを押し付けるが、人と人の関係はそんなものではない筈だ。
誰かを想って、その人の幸せを願うのは、とても素敵なことだ。
「ありがとう、桜子さん。俺を好きになってくれて。俺も好きです」
薫の渾身の笑顔の前に桜子は撃沈した。
「さっきは、薫さんの顔それなりにしか好きじゃないって言ったけど、今の顔は反則だと思う」
桜子のぼやきに薫は声をあげて笑った。
男は急いでいた。
「くそ、なんで俺が」
明日には謝罪の記事を書けと編集長から言われている。謝罪文を記名で書けばまだ記者として雇っていてもいいとボスに言われている…そう編集長が言った。さらにもしも、断ればお前は禊をしていないことになる。そうなれば、どこでもライターとしては雇ってもらえないぞと編集長は言った。
しかし、そんなの御免だった。誰よりも奴にだけは謝りたくなかった。男は夜逃げするように自宅から逃げ出した。
あのバカ教師が提供してくれた漫画を元に、神崎薫の弁護士生命を断ってやることを諦めてはいなかった。
「地方に行けば、まだ話は伝わってないだろう」
どこか分からないところから動画サイトに中身をアップしてやってもいい。何ならもっとえげつない内容に変えてばらまいてもいいのだ。
「何だ、お前」
男が逃走しようとした道の真ん中に、深くキャップを被った少年が立っていた。深夜のほとんど人通りのない薄暗い路地の一角だ。こんな子供がいるはずがない時間帯なのにだ。
「こんばんは」
少年は礼儀正しい、ある意味場違いな挨拶をする。
「邪魔するな、そこをどけ」
恫喝するように男は腕を大きく振ったが、少年は動かない。彼は目深にかぶったキャップを少し上げた。薄暗い街灯でも分かる端正な顔立ちが顕わになる。その大きな目を男は覚えていた。
「お前…」
「そう、あなたが取材しようとした少年Aですよ」
静かに少年は頷く。男は何故か分からないが、思わず1歩下がった。こちらの方が体格も大きいし、何より相手は華奢で箸より重い物を持ったこともなさそうな餓鬼だというのに、何か見えないものに気おされるように、男は動けない。
「名前を『如月秋人』と言います。あなたの所属する会社のオーナーです」
少年の言葉に男は目を見開いた。
「な、なんだと」
「薫に謝る気がないのでしたら、あなたは僕の敵です。僕は薫ほどやさしくないので容赦しませんよ」
にこりと少年が微笑んだ。
「あまり知られておりませんが、探索者の高ランクの者でしたら監視カメラに映らないように高速移動することが可能です。もっとも、一般人の肉体がその移動手段に耐えられるかは別ですが」
少年はニコニコと笑いながら、一歩、一歩と近づいてくる。その体が燐光のように、薄い緑色に輝いていた。
「新宿第三ダンジョンは竪穴式で最下層は56階。薫が落ちた時はキングホーリースライムだったから助かりましたが、あなたの時はどうかな?試してみます?」
男は恐怖のあまり崩れ落ちた。
「おうちに帰って謝罪文を考えておいてくださいね。内容はちゃんとチェックします。その為に校正の書式も覚えました」
少年の言葉に、男は声もなく何度も頷いた。
「あ、そういえば、一つ聞きたかったんですが、あなた最初から薫を攻撃しようとして取材してましたよね?何か理由があるんですか?」
秋人の質問に男は小さく呻いた。
「高校の時に、好きだった女に振られた。神崎の方がいいからって。神崎は全然その女のこと相手にもしてなかったのに。俺と付き合うより、神崎を眺めてる方が百倍マシだとか言いやがった。俺は神崎に文句を言いにいったが、あいつは彼女のことなどまったく知らなかった」
「完全に逆恨みじゃないですか」
秋人がため息をつく。本当に薫は大変だ。
「分かりました。なんとかご自分の気持ちにけりをつけてください。そうじゃないと、僕は何するかわかりませんよ。あと原稿のコピー返してください」
少年のなげやりな宣言に、男は鞄からコピーを取り出して黙って渡すしかできなかった。
肩を落として去っていく男の後姿を見送っていると、ぽんと肩を叩かれた。
「あ、師匠」
「あ、師匠じゃないよ。こんな深夜に熱があるっていうのに出歩いたりしてたら、治るものも治らないよ」
「ごめんなさい。あのライターさんが逃げたって探偵さんから連絡がきたから」
「・・・・・・帰ろうか」
桜子が呆れ半分に秋人を見る。あの3日間でずいぶん秋人の手駒を増やしてしまったが大丈夫だろうかと不安になった。秋人の口座にある資金だけでも、金子も桜子も顎が外れるような金額を確認した。そりゃあ薫が躍起になってなんとか正体がばれるのを引き延ばそう、少しでも経験を積ませてやろうとするわけだ。
「薫さんはこれ知ってるの?」
「知らないです。薫は僕の魔力を感知できないので。ナイショにしててください」
桜子は心の中で「この似た者親子め」と呟いた。
桜子「彼氏ができましたー」
康子「え?」
ヨナ「え?」
リサ「え?」
久美「今からなの?」




