9. 宣戦布告
智輝と別れて帰宅すると、自宅へのエレベーター前にまた別の人物が立っていた。
またか…と秋人はため息をつきそうになったが、今度の人物はそれまでの男たちとは一線を画していた。
スラリとした長身に高級そうなコートとスーツを着こなしている。顔立ちは柔和で人が好さそうだったが、秋人はその顔を知っていた。
「やあ、こんにちは」
向田篤弘が笑顔で手を挙げた。秋人は無言でペコリと頭を下げた。
「あれ?俺の事知ってるのかな」
男は不思議そうに首を傾げた。
「向田さんですよね?金子さんから聞いてます」
秋人は十分な距離をとって向田の前に立った。秋人よりだいぶ上に顔があるので、自然とあちらが見下ろす形になるのが、無性に腹が立った。
「ああ、彼まだ薫の傍うろちょろしてるんだ。困ったもんだよね。薫が優しいからってさ」
人を小馬鹿にするような物言いだ。いっきに秋人の中で向田に対する評価がマイナスに振れていく。
金子はいい人だ。確かに守銭奴らしいということは、楠本や小林の話から感じるが、それは何か理由があってのことらしい。
それ以外では、顔を合わせると一人で大丈夫か?とかちゃんと食べてるのか?など気にかけてくれる。
仕事もできて薫は事務所のことは何一つ心配していない。ある意味、今まで出会ったどの人物より薫が頼りにしている人だ。
そういう信頼関係が二人の間にあることがとても羨ましい。金子達也は現在、秋人にとって憧れの人である。
「金子さんは薫の大の親友ですよ。同期で一番腕がいいって薫はいつも褒めてます」
秋人は金子の苦虫を噛み潰したような顔を想像しながら、そんな事を言い放った。薫が面と向かって金子をほめると彼は嫌な顔をするのだ。
向田の笑顔にほんの少しの亀裂が入ったのを、秋人は見逃さなかった。
「それで、何か御用ですか?そこは部外者は立ち入り禁止ですよ」
秋人は自分の顔の良し悪しについてあまり興味がない。しかし、ほんの少しのさじ加減で相手を煽ることができることは知ってる。
これでも5年間一人でダンジョンを攻略してきたのだ。質の悪い連中を相手にすることもままあった。なので、挑発はお手の物だ。だから、ほんの少し口角をあげて笑顔を向けた。相手が不快に感じるように。
美しい少年から自信満々の笑顔で部外者扱いされた向田の笑顔が歪んだ。
彼は懐に手を入れ、一枚のカードを取り出した。
「いくらでも使って構わない。これを持ってどこか、薫の知らないところへ行け」
彼の手から弾かれたクレジットカードが秋人の足元に落ちる。
「災害孤児にはすぎた待遇だぞ」
向田の投げたカードを秋人は拾って裏と表を確認した。秋人がカードを拾った事で、向田は馬鹿にしたような顔になったが、秋人の表情はクレジットカードを喜ぶようなものではなかった。
「ふうん。黒くないんだ」
「あ?」
向田の喉から怪訝な声が漏れる。
「僕のカードは黒だよ?ほら」
秋人が財布から取り出したカードを見て向田は眉を寄せた。ブラックカードなど子供が持ち歩くものではない。
「出直してきなよ。その程度で薫を手に入れようとか、烏滸がましい」
秋人が向田のカードを指で弾くと、カードが向田の足元に突き刺さった。アスファルトにカードが刺さっている違和感に向田は気が付かなかったが、彼を遠目で護衛している人物は眉を寄せた。
「偉そうに。どうせカードのデザインが黒いだけだろう」
顔を歪めて向田が告げるも、秋人は余裕を崩さない。
「さあ、僕の口座にいくら入ってるのかは知らない。興味もない。でも、これは利用額無制限で何でも買えるカードだよ。特別に作ってもらったんだ」
秋人がにこりと笑う。その表情でそれが嘘ではないということを悟った向田は、ぐっと唇を噛んだ。
「薫のストーカーって言うからどれほどのものかと思ってたけど、期待外れだったかな」
秋人が一歩前に踏み出した。
「坊ちゃん!!」
一瞬の隙に護衛の男が向田と秋人の間に割って入った。
「何をしてる、やれ!」
向田が醜悪な表情で男に命令するも、男はガタガタと震えていた。その手にはダガーナイフが握られていた。秋人が言う事を聞かなければ顔を傷つけろと向田は命令していたのだ。
「だ、だめです。一端引きましょう。そのガキは…」
男は探索者崩れだった。これまでは、高い給料に見合った暴力を提供してきたが、今は逃げ出せと本能がしきりと警鐘を鳴らす。ダンジョンで自分以外のパーティーメンバーが全滅した時と同じだ。今引き返さないと命で失敗を贖うことになる。そういう警告を本能が告げている。
男は秋人と目があった。底知れない何か見てはならない深淵が見えた。
「お、おれは御免だ!契約は破棄する!!」
男はそれまでの暮らし、信用などを全て放り出す宣言をした。こんなことをすれば、もう護衛としては生きていけない。それでも、死ぬよりはマシだと思った。
しかし、足が動かない。ダンジョンでモンスターに出会った時でも逃げ出すことができたのに、秋人から放たれる威圧でそれができないのだと気が付いた時は遅かった。
「そのガキは何?」
「ひっ」
いつの間にか男の横に秋人がいる。向田が目を見開いた。
「薫の敵は僕の敵だ」
トンと秋人が護衛の男の頭を突く。それだけで、男は白目をむいて失神した。
地面に崩れ落ちた護衛は、高い金を払っただけのことはある凄腕で、Cランクまでいった男だった。それがこうも簡単に手玉に取られるなどあり得ない。
「お、お前は何者だ?」
「ただの高校生だよ」
ニコリと笑う笑顔は無邪気に見えるが、目が笑っていない。
「お前のような高校生がいるものか!」
叫ぶと同時に向田は走り出した。どうやら尻尾を巻いて逃げるらしいと踏んで、秋人は肩を竦めた。
「家来を忘れてるよ。」
秋人はそう言うと、大の男を軽々と担いで向田に向かって放り投げた。男は放物線を描いて向田の上に落ちた。
「ぎゃ」
と短い悲鳴が聞こえるも、秋人は知らぬ顔でエレベーターホールに向かった。
「俺はいつから神崎の大の親友になったんだ?」
エレベーターホールで一部始終を見ていた金子が頭を抱える。
「今帰りですか?お疲れ様です」
にこやかに秋人が告げる。
さきほどまで大立ち回りを演じていた人物とは思えない無害な笑顔の少年だった。
金子「秋人くんはさっきの男くらいなら簡単に倒せるのかい?」
秋人「えっと?向田さんですか?」
金子「いや、もう一人いたでしょ。乱暴そうな人」
秋人「ああ、あの人くらいなら、カメラに映らないようにどうとでもできますよ」
金子「待って!今なんかものすごく不穏な言葉を聞いたんだけど」
秋人「気のせいです」




