5. 向田
金子はコーヒーを注文、秋人はメニューをじっくり検討してから、ケーキセットとフルーツサンドとチョコレートパフェを頼んだ。
「流石高校生だな」
金子が感嘆の声をあげる。
「あ、自分の分は自分で払います。僕お金持ちです。大丈夫」
金子が金に一癖ある人物だということを秋人は思い出してそう告げたが、彼はがっくりと肩を落とした。
「いや、流石にそれは堪えるな。高校生と割り勘はない。大丈夫。気にしなくていいからおじさんに払わせてくれ」
「おじさんって、金子さんは薫と同じ年でしょう?」
クスリと秋人が笑う。
「普通に十代の少年少女からした29歳なんておじさんだろ。神崎は例外」
自嘲気味に金子は言うが、大人びては見えるが老けては見えない。おそらく10人中8人がイケメンだという容姿である。秋人はそのあたりの機微は分からなかったので、ただ首を傾けた。
「神崎とはどれくらい一緒に暮らしてるの?」
「そろそろ1年くらい?」
と秋人が告げると金子は大きく頷いた。
「それならたぶん何回かあいつが変な連中に粉かけられているとこに遭遇してるか…」
ついこの前誘拐されましたとは言いにくいので秋人は無言で頷く。
「さっき言ってた厄介な男ってのは、向田篤弘。神崎の大学の時の親友的なポジションにいた男で、当時奴の彼女と刃傷沙汰になって大変な騒ぎになったんだ」
「薫は変態は見れば分かるって言ってたけど、その人のことは分からなかったの?」
秋人の疑問に金子は額を抑えた。
「あいつ、高校生に何教えてる」
と呻いたが、気を取り直した。
「まあ、神崎には確かにそういう特技はあるんだが、それはあくまでも邪な気持ちを持っている相手に限るらしくて、向田は本気で神崎のことが好きだったらしい。そういう人は判別できないんだそうだ」
「舐めるように見てなかったって事か」
「本当に、アイツは10代の少年に何を教えてやがるんだ」
金子が眉間に縦皺をくっきり寄せて呻いた。
「向田はすごくいい奴で人気者でな。神崎と双璧って言われてたくらいの男だったんだ」
金子は訥々と当時の事を話し始めた。
「大学生時代の神崎はあの通り、容姿がずば抜けてよく、成績も優秀で金にも困っていなかった。普通なら同性から妬まれて苦労するポジションの筈だったが、あいつの女運が極端に悪かったり、容姿の所為でひどい目に合っているのを皆が目撃しているおかげで、入学して半年も過ぎるころには普通に人気者だった。その神崎と学生の人気を二分していたのが向田篤弘だった。」
金子はコーヒーを一口含んだ。苦みが当時の気持ちをよみがえらせる。
「向田は、成績優秀で頭の回転もよく、テニス部のエースでさわやかな好青年だった。同じ年の美人の彼女がいて、教授からの信頼も厚く、俺や神崎ともプライベートでも遊びに行ったり飲みに行く仲だった。」
だから、その事件が起きたときの薫のショックは計り知れなかった。
「ある日、俺たち三人が学食でしょうもない話をしていた時だ。向田の彼女が刃物を振り回して神崎に突撃した」
「ふえ」
秋人は変な声をあげる。金子は深くため息をついた。今でもあの時の狂気に染まった彼女の目を思い出すと身震いする。
「神崎は女性に切られるようなのろまじゃないので、彼女をあっさりと取り押さえたが、その子はひたすら『篤弘を誘惑するな!』って叫んでるんだ。もうね、学食中が好奇の目で溢れてたよ」
「よくよく事情をきくと、なんと薫と向田の薄い本が原因だった。大学の漫画研究サークルの一部の女子が面白がって作った本を、うっかり彼女が見てしまったのだという。
神崎はたまにその手の女子からネタにされていたので「ああ、またか」くらいにしか思っていなかったらしいが、まさかそれを本気で信じる人がいるとは思っていなかった」
その時の薫の遠くを見る目を今でも金子ははっきりと覚えている。毎度毎度酷い目に合ってるなという印象だった。
「神崎は誤解であること、自分は向田に対して友情以外は何も感じていない事、他に好きな人がいることを学食で説明する羽目になった。しかし、彼女は神崎の想い人が誰なのかをしつこく尋ねた。そんなものいないだろうというわけだ。俺はたまたまあいつの好きな女を知ってたから『本当だ』と証言したよ」
そこで終わっていれば、笑い話で済んだ事件だった。
しかし、そこからが薫にとっては悪夢だった。
なんと親友だと思っていた相手から本気のガチ告白をされることになったのだ。それもその場で。
「向田は神崎の好きな相手が自分の事だと思ったみたいで、山のようなギャラリーのいるところで、刃傷沙汰まで起こした彼女の横で、神崎に本気で好きだと告白した。向田の無神経極まりない発言に神崎は固まっていた」
彼女は泣き喚いた。そりゃあそうだ。さっきまで「それは誤解だ」という話で終わるところだったのにだ。当の本人がそんな事を言い出したのだ。
完全に薫にとってキャパオーバーだった。こいつは何を言い出したのだろうか?という疑問だけが頭の中をぐるぐると回っている状態だった。傍から見ていた全員が薫に同情した。
「向田は反応できない神崎の手を取って囁いた。『アメリカに行けば結婚できる。薫、俺と一緒に結婚しよう』そこで神崎の例の変態センサーが働いたらしい。問答無用で奴は向田を叩きのめした。完膚なきまでに容赦なく。アイツがこれほど喧嘩が強いということをその時まで誰も知らなかった」
ああ、それでこの前薫はあんなに嫌がっていたのだなと、秋人は美香の叔父との一幕を思い出した。セリフがよく似ている。
「神崎は学食の床に沈んだ向田に対して、『気持ち悪い。触るな、変態』と冷ややか告げた。しかし、向田はいわゆる勘違い野郎だった。神崎のそれは照れ隠しだとか、本気じゃないとかいう妄想に取り付かれ、常に彼につきまとって求愛行動をとるようになった」
悪夢だった。ついこの前まで親友だと思っていた男に公衆の面前で迫られ続けるのだ。
薫の様子がどんどんおかしくなっていくのが見て取れて、同じゼミのメンバーはそれとなく向田との間に入ったりして薫を助けようとしたが、なかなかうまくいかなかった。
「向田は人気者で、教授からの信頼も厚く、学校サイドの人物がいる時はけしておかしな言動を取らなかった。だから、学校から接近禁止などの措置をとってもらえなかった。授業だったりゼミだったりで顔を合わせないわけにもいかず、神崎は追い詰められた」
薫はほとほと困りはて疲れ切っていた。未だに向田の彼女には悪口を言いふらされ、向田自身に付きまとわれという日々に憔悴していた。
だから、金子はあるアドバイスをした。
「俺は、最悪のアドバイスをした。『野田に告白しろよ。お前が好きだって言って断る女なんていないだろ』と。結果、彼女の返事はOKだった」
それでようやく向田は失恋し、留学と称してアメリカに旅立ち、そのままあちらの大学へ編入した。向田の彼女もいつの間にか別の男を作り、何食わぬ顔で学生生活を送るようになった。大学生活に平穏が戻った。
ただ、あの告白が後に薫の命に係わる事件に発展したのだ。金子にとっては苦い苦い思い出だ。
「向田は神崎が女性相手に恋愛をするという状況に勝ち目がないと逃げ出した」
ある意味、金子の思惑どおりにことは進んだのだ。
「アイツは、外面のいいストーカーだ。奴が帰国したのはおそらく神崎と野田が別れたことを知ったからだろう」
金子の言葉に秋人は無言である。
「だから、君がもしも神崎と二人暮らしで、恋人同士だとか誤解されたら大変なことになるんじゃないかと危惧したんだ」
向田は巧妙で、世論を操り彼の好意に応えない薫が悪いという雰囲気を作り上げようとしていた。そういうことが出来る男だ。しかも実家が金持ちだったので、色々と画策していたようで、薫のことを心配して傍にいた友人の何人かが病院送りになったりもした。証拠はなかったが金子は向田を疑っている。
「一般人に僕が後れをとることはないです」
きっぱりと言い切る秋人に、金子は困惑する。どこからどうみても武闘派に見えない少年の言葉に違和感しかない。
「しかし、相手は大人で汚い手も使える。何というか、暴力的な面からいうと神崎と向田なら神崎の方が上だったんだよ。その上で、奴は神崎をあそこまで追い詰めたからね」
金子は不安そうだった。
しかし、秋人の表情に気が付き言葉を飲み込んだ。ヒヤリとした圧力に思わず背筋が伸びる。
「写真かなんかありますか?その人を薫には近づけません」
少年はきっぱりと言い切った。
「薫の敵は僕の敵です」
少しだけ唇を端をあげて笑う秋人の迫力に、金子は黙って頷くしかなかった。
あ、これは本物の『如月秋人』だ…とやっと実感した。
金子「ところで、一つ聞いていいか?」
秋人「はい、何でしょう」
金子「三つのデザートいつの間に食べたの?」




