17. 文化祭 日曜日 5:00
本日も始発に近い電車で学校に向かう秋人は、いつもよりかなり早く起きた。しかし、すでにキッチンには明かりが付いていた。
「あれ?薫おはよう」
と秋人が言うと薫は少し疲れた顔で
「おはよう」
と笑った。
「昨日は秋人が運んでくれたの?」
「そうだよ」
薫の疑問に秋人は答えながら自分の椅子に腰かける。今日はトーストとスクランブルエッグとサラダとカフェオレが準備されていた。
「お昼は模擬店で食べるんだよね?」
と薫が尋ねると秋人は大きく頷いた。昼は美香のメイド喫茶に食べに行く約束である。
「薫、一つ聞いてもいいかな」
秋人がトーストを齧りながら薫に尋ねる。無言で続きを促すと秋人はものすごく深刻な顔で続けた。
「あのね、僕夏の合宿で先輩の水着姿見てるんだけど、なんで昨日のスカートが短い方がドキドキしたんだろう?」
ストレートな質問に薫は一瞬答えに詰まった。しかし、秋人は真剣だ。ここは頑張って答えなければならない。人生の先輩として、男として。
「えっと、そうだな…たぶん、出て当たり前のものよりいつも隠れてるものが見える方がドキドキするんじゃないかな」
「なるほど…そういうことか」
と男二人の深刻かつどうしようもない会話をキッチンの影で聞いていた桜子は出るに出れなくて困っていた。
「それじゃ、行ってきます。疲れてるみたいだから先に寝ててね」
と秋人が告げる。薫は椅子に座ったまま片手をあげて
「行ってらっしゃい」
と微笑んだ。
桜子は出て行きづらく、ドアの陰に隠れていた。チラリと秋人と目が合う。秋人はどうやら桜子の存在に気が付いていたらしい。しかし、魔力をまったく感知できない薫は気が付いていない。ぺこりと秋人が桜子に頭を下げて出かけて行った。
玄関ドアの閉まる音がするとともに、薫はずるずるとテーブルに突っ伏した。
「よかった。秋人の弁当いらなくて」
どうやら発熱しているらしい。味がさっぱりわからない。テーブルの冷たさが額に当たって気持ちよかった。
「今日は、桜子さんは仕事だし、当夜は来てないから…寝なおそう」
ふらふらと立ち上がるが、しかし歩けない。そこそこ高熱なようだ。
「あれ?」
フラリと視界が傾いた。
どさりと何かが崩れるような音がしたので、桜子は慌ててキッチンに向かうと床に崩れている薫を見つけた。
「薫さん!?」
驚いて声をあげる。慌てて駆け寄って抱き起す。探索者の彼女にとって細身の薫の体は簡単に運べる部類である。彼の頬は赤く瞳も虚ろだ。
「桜子さん、すいません。ちょっと熱があるみたいで」
「見たら分かるよ!なんで秋人気が付かなかったの?」
桜子は玄関の方を見るも、秋人が帰ってくる気配はない。こんな高熱の同居人を放っておくような薄情な少年ではないのに。
「ああ、秋人はたぶん…熱がある人を見たことがないんですよ…」
小さく薫が笑うと、桜子は大きくため息をついた。
「確信犯だったってことですね」
「はい。ナイショにしててくださいね」
「私が恨まれるじゃないかぁ」
薫の言葉に桜子はがっくりと肩を落とした。
本人の了承を得て薫を寝室に運ぶ。水とグラスをサイドテーブルに置いた。
「コンビニでスポドリ買ってくるよ。あと、薬はある?」
桜子が薫に尋ねると、彼は小さく頷きテレビの横にある子引き出しに解熱剤やら風邪薬が入っている旨を伝えた。
「桜子さん、お仕事行ってください。俺は大丈夫です」
薫の言葉に桜子は首を振った。
「こんな状態の人間を一人で置いておけないよ」
桜子の本心だったが、薫は目を閉じた。
「大丈夫です。だいたい体調を崩した時はいつもそうやって治すので。今日はここまで世話焼いてもらえて助かったくらいです。独身の一人暮らしの男の生活なんてそんなものですよ」
薫が苦笑を零す。
彼には確かほんの一年前まで婚約者がいたのではないだろうか。彼女は薫が体調を崩しても何もしなかったのだろうか。そんな女のどこが良かったんだろうか。と桜子は矢継ぎ早に疑問を抱いたが、あえて言葉にはしなかった。
「できるだけ早く帰る。大人しく寝ててね」
桜子が氷枕を薫の頭の下に敷きながら言うも、薫はもうすうすうと寝息を立てていた。
宣言通りコンビニでスポドリを買ってきて、薬を薫のベッドサイドに置く。今日の仕事は午前中だけなのですぐ終わる予定だ。
桜子は出かける準備をしながら当夜に電話をかけた。
「もしもし、当夜くん。具合はどう?」
『あ、もう大丈夫っす。昨日の晩三回くらい吐いたら治りました』
秋人と薫に挟まれてあまり目立たないが、当夜もかなり化け物級の探索者なのだいうことがよくわかる言葉である。昨日のあの魔力回路の不具合状態で、三回吐いただけで問題ないと言えるのがおかしい。
「実は薫さんが過労で倒れた」
『え!?』
「来られるかい?私午前中は仕事が入っているんだ」
『分かりました。何か買っていくものとかありますか?』
「今のところは大丈夫。でも来るなら何かお昼ご飯を買っておいで。薫さんは今日はおそらく起きられない」
『秋人には?』
「言ってないよ」
『そうっすか。よかった』
どうやら、薫も当夜も秋人の文化祭を邪魔したくないらしい。困った人たちだ。恨まれても知らないからなと思いつつ、桜子だってあの少年が初めて体験する学校行事に水を差したくはない。
「それじゃ、私はもうじき出るので薫さんをよろしく」
『わかりました』
当夜に後を任せて桜子は仕事に出かけた。
秋人は学校に着くとまず部室に顔を出した。すでに電気が点いているので誰かいるのだろうと思ったが、華と輝美が言い争っていた。
「捨てるのは無理」
「でも、やっぱりこれはまずいよ」
「分かってるけど、最高傑作だよ。誰にも見せないでいいから捨てるのは無理」
「華、神崎先生に訴えられるよ」
「じゃあ、ここに隠しておく。ここなら誰にも見つからないし」
「うーん…でもなぁ」
「すごい苦労して描いたのに捨てるのは絶対に嫌」
鳥本華は大きめの封筒を部誌が並んでいる本棚に突っ込んだ。佐藤輝美はそんな彼女の行動を困った顔で見ていたが小さくため息をついた。
「分かった。でも文化祭終わったら持って帰って家にしまっておくよ」
「うん」
華は納得いかないながらもしぶしぶ返事をして二人は美術部の展示の修正作業に入った。
「薫が関係してるの?」
秋人は華が隠した封筒の中身が気になったが
「如月君、おはよう」
と美香に背後から声を掛けられて確かめるタイミングを失ってしまった。
当夜「兄貴、俺先生の看病しに行ってくる」
聖夜「大丈夫なのか?」
当夜「うん。一晩寝たらすっきり」
聖夜「お前もなんだかんだで化け物じみてきたなぁ」
当夜「酷くない?」




