15. 文化祭 土曜日 23:00
帰宅したのは実に23時近かった。全員疲労困憊だ。
秋人をあの後すぐ学校に送って行った。美香に電話したところ、彼女がうまくごまかしてくれたらしいので、秋人は文化祭の日曜日の準備をするために学校に戻ったのだ。
さらにそこからギルドとのやりとり、後始末。被害者の救済と例の変態の調査など、もろもろに拘束されてのことだった。
へとへとの薫と桜子は神崎家の居間でぐったりと座っていた。
「疲れた…」
流石に声にならない悲鳴をあげて薫がソファに崩れ落ちる。桜子も着替えもできずジャケットだけを脱いで反対側のソファに座りこむ。当夜は今日は家に帰ると言ってふらふらとアパートへ戻っていった。実は秋人とのごたごたで相当消耗していたのだ。
「薫さん、その…本当に大丈夫だった?」
恐る恐る桜子が尋ねる。秋人がそのことに気が付いていなかったので敢えてあの場で質問しなかったのだ。薫がしきりと「変態」と呼んでいたので、そういう事なのだろうとあたりを付けていた。
「ああ、なんとかね。飾る方の変態で良かったですよ」
はははと乾いた声を上げる薫に桜子は苦い顔をする。それはおそらく飾る方ではない変態にも遭遇したことがあるという事である。
「まあ、何というかこれでも成人越えてからは、割と減ったんですけどね。」
深々とため息をつく。
「親が生きてた頃から割と頻繁に誘拐されそうになったり、痴漢にあったりしてたんで、逃げるのは上手いんですよ。変態はすぐに分かるから警戒できるし」
薫は苦笑を零す。
「ほんと、人生でまじでやばかったのは3回くらいなんで大丈夫です」
と告げる薫の表情は諦念という感じだった。
桜子はその3回がどのようなものだったかとても聞けなかった。
「何か作りましょうか」
薫が誤魔化すように笑って立ち上がる。
「手伝います」
と桜子も一緒に台所に向かった。
薫が腕時計を外してチェストの上の小物入れの上に置く。その時計は無骨なデジタル仕様のもので、現代ではあまり好んで使う人がいないようなモデルだった。
「その時計ずいぶん年季入ってますね」
何気に桜子が言うと薫は少し困った顔をした。
「父からの最後の誕生祝いでね。俺の家族は父も母も地元の人だったから、俺が13歳の時に起こったダンジョンブレイクで親戚とかも全滅で、家族の思い出は本当にこれしか残ってないんだ」
瓦礫の中にはもう薫の家はなかった。押し流されたように町がなにもかもなくなっていて、元の住所であった場所に立ったこともあるが、何一つ残っているものはなかった。
これがまだ、父か母の片方が違う地域の出身なら、お宮参りの写真や結婚の時の写真などが祖父母の家に残っていたりもしたのだろうが、不幸なことに彼の両親はどちらも地元の人間で、地元で生まれ育ち就職をし結婚するという人生を歩んだ二人だった。親族のほとんどがそのような暮らしをしており、誰一人生き残りがいなかった。
薫が通った幼稚園、小学校なども破壊されつくしており、卒業アルバムなども手に入れることはできなかった。
神崎薫の13歳までにあった世界は、何一つこの世に形として残っているものがなかった。
「次の誕生日にスマホを買ってもらう約束をしてたから、写真も、動画も、何も持ってなくて」
古い時計を見ながら薫が笑う。
「まあ、俺は本当はこの顔は大嫌いで、何度も整形しちゃおうかなって悩んだんだけど、目元は父に、口元は母に似てるし、鼻は弟と同じだし、鏡を見るたびに何とか朧気でも家族の顔を思い出す唯一の手掛かりだったから、やっぱりなかなかふんぎりがつかなかった」
桜子は聞いた事を後悔した。こんな事を言わせるつもりはなかった。
「俺の固有魔法第一位の審判の眼は記憶を映像にできる魔法だから、覚えてすぐの夜、秋人が見てないところで家族の映像を出してみたんだ」
ふっと薫は苦く笑う。子供のようにわくわくして、泣きそうな気持で魔法を操ったあの日の事を覚えている。
「でも、なんか違ってて、なんでかな、どうしてかなって悩んだんだけど、記憶って美化されるから家族の記憶って上書き上書きしている間になんか全然違うようになってて、実際の記憶から再生される映像とは印象が違ってて…なんか怖くなって見るのはやめた」
薫は苦く笑う。
「10年以上そうやって焼き直してきたから、もう家族の記憶はどれもこれも本当じゃないのかもしれない」
どこにも本当なんてないのかもな…と薫は珍しく俯いて呟いた。
ああ、今日は久々に嫌な目にあったから心が弱っているのだ。
あの連中は薫をモノのように扱う。気持ち悪い自分勝手な理屈を振りかざして何をやってもいいような相手として振る舞う。反吐が出る。
そんな風に扱われても誰も慰めてくれる人も守ってくれる人もいないことに震えるほど孤独を感じる。
油断すると孤独は常に薫を暗闇に引きずり込もうとする。
薫は己を戒める。考えるな。立ち上がれなくなる。大丈夫。自分には守るべきものが沢山あるのだ。
「さ、ご飯作っちゃいましょう。面倒なので、冷凍しているやつ使いますよ」
薫が気を取り直して顔を上げると桜子の腕が彼の頭を抱き寄せた。
「桜子さんっ!?」
薫が慌てて声を掛けるも彼女は答えない。その豊かな胸に薫の顔を抱き寄せてそっと彼の頭を静かに抱きしめた。彼女の髪が薫の頬に当たる。
「薫さんには秋人がいる。私も当夜くんもいる。ちゃんと現実に私たちはいるでしょう。あなたは一人じゃない」
彼女の低い声が少し震えている。薫は目を瞑った。柔らかく温かい。気が抜けてしまって体の中から力が抜ける。
「辛かったね。少し休んでて。後は私がやるから。今日はお疲れ様」
桜子の声と共に柔らかい唇が薫の額に落ちた。それと同時に薫は意識を手放した。
本当に疲れていた。ただ、もうずっと疲れていたのだと気が付いた。
桜子「あ、寝ちゃった」
薫「・・・・」
桜子「うーん、流石に寝室に運ぶの本人の許可なく入るのはなあ。ソファでいっか」
薫「・・・・先生、餃子は一人50個までです」
桜子「何の夢?」




