百五十話「遠足1」
祝百五十話!
翌日、金曜日。
斉明高校からバスに揺られること一時間。
小高い山がよく見えるところまで来たところでバスは停車。一年生全員が降り立つ。
「バスから降りたら各クラス二列で並ぶように!」
一年二組担任、畑谷の号令が響く。
「……えっと全員いるな。先生に報告してくるか」
学級委員長の彰が二組の人数を確認する。
「ああ、全員揃っているようですね。……今日はこんないい天気に恵まれました。これも皆さんの日頃の行いが良いからかもしれませんね。
ええ、山登りといえば私は若い頃………………」
全クラスの報告が終わるのを待って、前に立った学年主任のおじいさん先生(世界史担当)が話し出す。……悪い先生ではないんだが、話が長いところが生徒からすれば欠点だ。五時間目に世界史があった日には催眠術でもかけているんじゃないかというレベルで半分ほどの生徒は寝てしまう。
「先生そのくらいで」
幸い今日は畑谷が途中で打ち切ってくれた。
「……まあ、そうですね。皆さんも山を前にうずうずしているでしょうし、年寄りの話にも集中できないでしょう。それでは私の話はこれくらいにして、出発とします」
畑谷の言葉にも悪い顔をせずに、話を打ち切る。……本当仏みたいな先生だよな。
「それじゃ班ごとに固まって……えっと一気に出発すると危険だからまずは一組からスタートだ。準備ができたものから先生に声をかけてくれ」
畑谷が全体に声をかけた。
今日は彰たち斉明高校一年生は遠足である。遠足の内容は山登り。
そこそこ本格的な山登りで、登って降りるだけで今日の行程は終了する予定だ。
山というのは一人でも登ることができる。
が、遠足のしおりの上の方に書いてある『この遠足の目的は周りの人との絆を深めて~~』なんたらを達成させるためか、今回の山登りは班ごとに固まって登るように言われている。
まあ登っている途中、先生の監視の目が無くなったあたりで空中崩壊し、気の合う者同士勝手に新たな班を作って登っていくのは目に見えているのだが、建前上必要なのだろう。
一つの班は四人で構成される。
さっき言った趣旨のため、この班は先生によって勝手に決められる。
それなのに彰の班はというと。
「うわー高いですね」
山を見上げる恵梨。
「これくらいなら疲れなさそうね」
剣道で体を鍛えているからか余裕そうな彩香。
「それよりも早く出発したいで」
うずうずとしている火野。
「まあちょっと待てって。そろそろ二組の順番になるはずだから」
それを押さえる彰。
この四人、知り合いばかりであった。
一組の生徒が一斉に畑谷のところに押し掛けたため混んでいる。そのため出発までは少し時間がかかりそうだ。
「それにしてもこの時期に遠足って変わっているやな」
手持ちぶさたな火野が聞く。
「確かにそうね。……普通なら遠足って十月とか十一月あたりにするものだと思ったけど。少なくとも学期始まりすぐにやった覚えは今までないわ」
火野と彩香が転校してきたのは三日前だ。
「ああ、それなら一応聞いたことあるぞ。何でも体育祭前に体力をつけて欲しいという理由からこの時期に山登りをするんだとさ」
「逆に疲れや筋肉痛で練習に響きそうですけどね」
斉明高校に四月から在籍している彰と恵梨はその理由を知っていた。
「って、そろそろ人が捌けてきたな」
「じゃあ二組も来ていいぞー。ちゃんと班ごとに一固まりになって並ぶんだぞー」
彰が前方の人の流れについて気にしたところで、ちょうど畑谷の声が飛ぶ。
「よし。じゃあ行くで!」
それから少ししてようやく一組の班が全て出発し終えて二組の番となる。
「……おっ、高野たちが二組の最初か」
「早く出発したかったので」
畑谷は四人を回してチェックをつけながら口を開いた。
「それにしても風野も火野も転校したばかりで学級に慣れてないかも、と思って委員長の彰と組ませたんだが……」
「あれ? 班は抽選で決めたんじゃないんですか?」
そう聞いた覚えがあるんだが。
「この時期の転校生ということもあるし、特別措置を取ってもらうように頼んだんだ。なのに二人ともすぐに学級に馴染んでいるし余計なお世話だったな」
「そうなんですか。……じゃあ俺と恵梨が一緒の班なのは?」
「ああ、それは純粋な抽選の結果だ」
なんだ知り合いばかりの班だと思ったが、運が絡んだのは恵梨だけだったのか。
「早く行くでー、彰」
「ちょっと待てって。……それで先生、チェック終わりましたか?」
「……よし、終わったぞ。それじゃ気を……あっ、ちょっと待ってくれ」
畑谷が足下に置いていた物を手に取る。
「高野、これを持っていってくれないか?」
「……何ですか、これ?」
彰の目の前にあるのは何の変哲もない絵の具セットだ。
「一組の連中が忘れたのか、近くに落ちてたんだよ。さっき気づいてな。道中で声をかけて、落とした人に渡してくれないか?」
「いいですけど……絵の具セットなんて持ってきてる人がいたんですね」
「山の頂上からの風景でも書くつもりだったんじゃないか? まあそういうことでよろしく」
彰は絵の具セットを背中のリュックサックに入れる。
「それじゃ気をつけて行ってこい。先生もチェックが終わったら出発するから追いつかれるなよ」
「そんなにトロくありませんよ」
「行ってきます、先生」
「よし、まずは先頭に追いつくで!!」
「最初から走ると後でバテるわよ」
そうして彰たちは出発した。
「そういえば剣道部に見学行って、入部することに決めたんだってな」
「目を見張るような選手もいないし、顧問も悪くはないけど普通だったわ。けど周りを気にしてもしょうがないから。剣道ってのは己を高めるスポーツだし」
「だよな」
「彩香が言うとサマになりますね」
「あっ、俺もサッカー部に入ることにしたんやで。部員も俺が仁志と友達だって分かってたみたいやから、すぐに打ち解けてくれたしな」
「おまえはどんな環境に行っても生きていける気がするよ」
「外国に行っても言葉無しのコミュニケーションだけでやっていけそうな感じですよね」
「分かるわ、それ」
山を登りながら、普段と変わらない雑談を繰り広げる四人。
舗装されていた駐車場辺りと比べて、山は横に四、五人歩けそうな登山道以外は鬱蒼と森が茂っていた。道から外れて十分も歩いたら戻ってこれなさそうだ。
今はこうやって談笑しながら歩けているけど、帰りは話す余裕すら無くなってるだろうな……。いや、俺も含めてみんなスタミナはありそうだし大丈夫か?
「それにしても周りに誰もいないな」
火野が前後を見ながら言う。確かに視認できる範囲に同級生の姿はない。
「結構な人数は抜きましたからね」
追い抜いた一人一人に絵の具について彰は聞いたが、誰も落としたという人はいなかった。そもそも持ってきていないのだから落とすわけも無い、という反応がほとんどだった。
「一組の早い方の人はまだまだ先にいるのでしょうね」
「そうだな……」
スタミナがあって歩くのが早い人というのは、大体において積極的だから出発も早めに並んでさっさと出発したはず。
逆に歩くのが遅い方は出発も遅くなっている。だから一組の登山道を歩いている生徒の分布図は早い連中、空白、遅い連中みたいな並びになっているはずだ。それで俺たちは二組の足の速い方だから、一組の遅いやつらを抜いてちょうど空白地帯にいると。
周りに誰も見えない理由はそんなところだろう。……道が曲がりくねっているから視認できる範囲が少ないって理由もあるだろうけど。
「彰さん考えごとですか?」
「ん? ああ、前後に誰も見えない理由について考えてたんだが……」
話題のタネにと考えてたことを話す彰。
(あれ、道が二手に分かれているけど……)
話しながら登山道が分かれているのを見つける。
(どっちに進んだら……って親切にも張り紙が置いてあるな)
『斉明高校一年生はこっちが登山コースです』という文句と右向きの矢印がセットで印刷されている。
「こういうのって誰が張ったんですかね?」
恵梨も同じ物を見ていたのか。
「先導している先生が張ったんじゃないか? 一組の最初の班と一緒に歩いていったのを見たし」
「そうでしょうね」
「それにしても………………?」
張り紙を見ながら首をひねる彰。
「……一応対策しておくか。他の人の見ればいいし」
「彰、どうしたんや? さっさと進むで」
「ああ、分かっている」
そうして彰たちは『右』に進んでいった。
「もう由菜そんなに急がないでよ」
「あれ? 速かった?」
そんなつもりは無かったんだけど……。同じ班の女子は確かに少し息を切らせている。
斉明高校一年生の由菜も当然ながら山登りに参加している。
彰たちと違っていつも昼食を一緒に食べる特に仲の良いメンバー(彰、恵梨、彩香、火野は同じ班だから、残りの美佳と仁志)と一緒の班ではないが顔の広い由菜は上手くやっていた。
「俺も普通だと思うぜ」
「僕には速く感じましたが……それは帰宅部で体を鍛えてないからでしょう。由菜さんも確か運動系の部活に所属していましたよね」
同じ班になった斉藤が指摘する。
「うん、私はテニス部に入っているけど」
「俺もバスケ部だからな」
「私は美術部だからね。……そっか。体鍛えているから自然と歩くスピードが速いのね」
同じ班の女子が納得する。
私はこれくらいのスピードが普通だと思ってたけど、これでも速いって思う人がいるのね。
由菜も納得したところで。
「というのは理由の半分でしかありません」
斉藤が言い放つ。
「……じゃあ残りの半分って何だよ?」
「教えてもらえる?」
「私も分から……」
二人に続いて由菜が聞こうとしたところで、斉藤が答えを発表する。
「そんなの由菜さんが高野くんに追いつきたいから急いでいるに決まっているじゃないですか」
「「あー………」」
「な、何で納得するの!?」
由菜としては不当、残り二人にとっては妥当な理由だったようだ。
「だって八畑さん、高野のこと好きだろ?」
「す、好き!?」
「こら、もうちょっとオブラートに包みなさい。……由菜は委員長のことを思っているもんね」
「オブラートに包んでも一緒よ!!」
「彰くんは二組の一番最初に出ていきましたからね。水谷さんは分かりませんが、他の三人は体力ありそうですし結構先まで行っているかもしれませんね」
「……だったら何だって言うのよ。そんなの私と関係ないじゃない!」
由菜精一杯の強がり。
「……本当にバレバレだってのに否定するんだな。噂には聞いてたけど初めて見たぜ」
「……委員長以外にバレているってのに頑張っているわよね。まあ、そこがかわいいんだけど」
「そこ! こそこそ話しない!!」
顔を寄せあって話し始める二人に注意する。
「おまえらどうしたー? 揉め事か?」
そのとき後ろから間延びした声がかかった。
「あっ、いえ、そんなんじゃありませんって」
「ただ由菜さんのことをからかっていただけで」
振り返ってみるとそこにいたのは担任、畑谷であった。
ちょうどいい話題の転換先だ、と由菜は畑谷に質問する。
「それにしても先生速いですね。三組まで出欠取ってから出発したんですよね?」
「まあ結構急いだからな。それにこう見えてもバスケ部の顧問だぞ俺は。体力には自信がある」
「先生は俺ら高校生の中に入ってプレーしても遜色ないレベルだから」
バスケ部の男子がしみじみという。
「ところでどういうネタで八畑をからかってたんだ? あまり本人が嫌がるようなことを言うのは感心しないぞ」
「先生……」
いつもと違い普通の先生のような畑谷の言動に由菜が謎の感動を覚えたところで。
「「高野(委員長)とのことです」」
「ああ、なら良いわ」
「良い訳ないでしょう!?」
やっぱり畑谷先生は畑谷先生だと思い知らされる由菜。
「あのなあ。いじられたくないならちょっとは隠す努力をしろよ。普段の八畑を見てると、ツッコミ待ちだと思われてもしょうがないぞ」
「そ、そんなつもりありません」
「つってもなあ……。ときどき職員室でも話題になるくらいだし」
「う、嘘っ!?」
「まあ、嘘だが」
ズルッ、とコントのようにこけそうになる由菜。本当この先生は先生らしくない。
「しょうもない嘘つかないでください!」
「すまんすまんって。……話題になるとしても一年生を担当している先生の間くらいだって」
「またそんな先生は嘘を言って……。一年生を担当している先生教科ごとに数えれば結構いますよ。そんな多くの人に知られているなんて……」
「……………………」
「え、嘘ですよね。冗談だって言ってくださいよ。ねえ……!」
「……おっと。ちょうど分かれ道だな」
「嘘だって言ってくださいよーー!!」
気まずそうに目を逸らす畑谷。
「分かれ道なんて初めてだな」
「ご愁傷様、由菜」
「山に入ってからここまでずっと一本道でしたね」
「ここ一つだけなんだけどな。一つは頂上に向かう道で、もう一方は隣接している他の山に向かう道だったはずだ」
「そこ、同情しない! そして他三人! わざとらしく話題を変えない! それより先生、さっきの話は嘘ですよね!?」
「ああ嘘だ、嘘。……これで満足か?」
「…………まさか本当だって言うの?」
絶望する由菜。
それを見て畑谷は困ったように頭を掻く。
なるほど、こいつらが八畑をいじる気持ちが分かった気がする。こんなに反応が良いとなるとエスカレートするわ。
それにしても今さら嘘だって言っても信じてくれないしどうするか……。
「……まあ後で考えるか」
今は何を言っても無駄だと判断した畑谷は後でフォローを入れることに決める。
「それでどっちに行けばいいんですか?」
「あの張り紙に書いてある通り……」
畑谷は張り紙を指さす。
「『左』が頂上に向かう道だ」
張り紙には『斉明高校一年生はこっちが登山コースです』という文句と一緒に左向きの矢印が印刷されていた。
祝百五十話! ……ですが、特に何もありません。五十話のときも何もしてませんし。
さて、正しい道は左右どっちなのか?




