百十話「渦巻く陰謀」
彰たち、学生が夏休みを満喫していたそのころ。
大人たちは着実に動き出していた。
某所。
豪華な机に応接用のソファとテーブルが置かれた広い部屋。高い地位の者が使うことを目的として作られている。
しかし、その部屋中に書類や文献が散乱していた。無秩序に積まれた本は今にも倒れそうで危ない。これではどう考えても人を招く部屋としては不適切であった。
「なかなか上手く行きませんねえ、はい」
もっともその部屋の主――科学技術研究会、能力研究室長の鹿野田修はそんなことを気にしたりはしなかったのだが。
現在、鹿野田は四月に彰や恵梨を襲った生体兵器、戦闘人形の改良にいそしんでいた。……この場合の改良とは兵器としての戦闘人形の性能を上げることで、それすなわち彰たちにとっては改悪である。
そのために実験を行っていたのだが、しかしそれがどうしても予想した通りの結果を得られない。
行き詰まっていることを実感していた鹿野田は、
「……少し気分転換でもしましょうか」
少し机の上を探してリモコンを見つける。そしてそのボタンを押した。
そのリモコンはこの建物のある部屋につながっている。ボタンを押せばそこにいる部下がすぐにやってくるはずだったのだが……。
ボタンを押してから十秒経過。二十秒経過。三十秒経過。
「……おかしいですねえ」
いつもならすぐにやってくるはずの部下がやってこない。
ソファーに座りながら先の実験の結果を分析しながらさらに待って、そして思い出した。
「そういえばデータを取りに行かせていたんでした、はい」
部下の女性に研究に必要なデータを取りに行かせていたことをすっかり忘れていた鹿野田。どうも研究に集中すると他のことを忘れがちになる。
戦闘人形の改良は四月に行ったあの実験からからずっと行っていますからねえ。そろそろ目処がつきそうなだけに少々の無茶はしたくなるものですけどねえ、はい。
そういえば……その四月の実験――戦闘人形の運用実験のさいに相手させたのって誰でしたかね?
「………………」
重要なことのはずなのに思い出せない。負けると思っていなかった相手に負けたはずでしたが……。
「っと、そんなことはどうでもいいんです」
実験の悪かったところを探していたはずなのに、つい思考が脇道にそれた。これはあれだ、集中力が切れている。
「ああ、だから気分転換にコーヒーでも飲もうとしていたんでした」
部下を呼びだした目的を思い出し(信じられないことに、少し前のことなのに今まですっかり抜け落ちていた)鹿野田は立ち上がった。
アメリカ。
能力者ギルド本拠地の建物内でのこと。
「それで『ささやき女』についてはどれぐらい調べがついたんですか?」
金髪の少年、執行官のルークは通い慣れた上司の部屋を訪ねていた。
「あいにくだが全然調べがついていない。……それどころかまたもこのギルド内に侵入されたようだ」
上司も苦々しげな口調で答える。
ルークが現在追っている人物、『ささやき女』とはつい先日モーリスという能力者を唆して連続殺人事件を起こさせた瞬間移動系の能力者であった。
「また入られたんですか?」
「ああ。この前君が担当した事件の資料を盗まれたようだ」
「それってモーリスの連続殺人事件のことですか?」
「そうだ」
厄介なことに、能力者ギルドは『ささやき女』の目的が全く分からなかった。そのためどう捜索すればいいかの方針が明確ではない。
「自分の起こした事件の資料なんてものを盗んでどうするつもりでしょうか?」
「……また謎が一つ増えたな」
分からないことだらけだ、と嘆く上司。
モーリスが起こした事件から一ヶ月も経ったというのに本当に進展がありませんね。
ルークもやきもきとした気持ちは抱いていた。
『ささやき女』を自分の手で捕まえたいと思っているのに、自分では手がかりもないのでギルド内の捜索班――捜査に向いた非戦闘能力者たちで構成されている――に捜査は任せっぱなしである。自分ではどうしようもないことがまたやきもきさせる。
上司が思い出したように言った。
「モーリスの事件といえば、そのときの協力者に『ささやき女』について話していないのか?」
「協力者って……彰さんのことですか?」
「ああ、その学生だ」
自分の友達の顔を思い浮かべてルークは首をかしげる。
「……彰さんは能力者とはいえただの学生ですし、『ささやき女』について調べろっていうのも酷な話ですよ。それに教えたところで、彰さんが捜査の役に立つとは思えないですよ」
「いやそういう話じゃないんだが……。……まあそう気にすることもないか」
上司の頭にちらりとよぎった可能性。
ルークがその学生を『ささやき女』に関わらせるつもりがなくても、『ささやき女』の方からその学生に絡んでいくことがあるんじゃないか?
そのときのためにも、その学生に『ささやき女』についての情報を教えておいた方がいいのではないか?
と、思ったのだが。
「……まあ、一パーセントも無い可能性だな」
ただの学生が標的にされるなんてこともないだろう。
思い直した上司の頭の中から、その可能性は忘れ去られた。
某所。
「この前の風の錬金術者は高野彰というのですか」
『ささやき女』はギルドから盗んだ資料を見ていた。
自身の能力でギルドに忍び込むのは簡単とはいえ危険が全くないわけではない。それなのにこの資料を盗んだ理由は自分の計画に入ってきたイレギュラー因子、モーリスの殺人事件を執行官とともに止めた風の錬金術者の情報を手に入れるためだけであった。
とはいえ、このイレギュラー因子は『ささやき女』にとっても歓迎どころか、諸手をあげて喜びたいものだった。
「けど、まだ足りない……」
前回の計画――モーリスに起こさせた連続殺人事件――で『ささやき女』の目標はある程度は達成された。けれど、まだ完璧ではない。
「だから次なる計画を……」
今回も自分は動かない。ただ少しお膳立てをするだけ。
舞台に上げる役者はどうすればいいか。ギルドの警戒があがっている以上執行官はもう使えないだろう。
「だけどそれでいい……」
もっと手軽な人間を見つけたから。よりよい条件をもつ人間を見つけたから。
「この風の錬金術者を使って新たな計画を……」
日本人の学生ということは……相手役はあいつらが適任か。上手く計画を遂行するためにも、情報収集が必要だ。その後は計画の概要を決めて、必要なら人員も募集せねばならない。そして……。
『ささやき女』の中でこれからやっていくことが決まっていく。しかし、そのどれもが楽な仕事ではない。
もともと陰謀というのは非行率的な手段なのだ。『ささやき女』は力を持っているのだから、隠れることなく力をふるった方がよほど楽なことである。
だが、そのプロセスを踏まないと得られないものもあるのだ。それを『ささやき女』は……いや、その主は求めている。
『ささやき女』は心酔した様子でつぶやく。
「そう、全ては我が主のために……」
日本、某所。
一目見てカタギの人間ではないと分かる雰囲気。その危ない雰囲気を隠そうともしない、なのにシャープな印象を与える男性が電話を片手に毒づいた。
「ちっ、あいつら俺の苦労を分かりやしねえくせに偉そうにするんじゃねえよ!」
男はとある組織に属している者だった。そして近々また別の組織と大きな取引をする予定である。
その取引相手と電話の間は我慢できたのだが、相手方の偉そうな物言いに電話を終えてから不満が爆発したといったところだった。
「口で言うほど楽じゃねえんだよ、くそっ」
悪態をつくほどなら、取引をやめればいい。
しかし、男がそれをしないのには理由があった。
それは報酬の額が法外に大きいこと。それこそ違法なことに手を染めてでも手に入れたいほどに。
『この世は金が全て』という信条の男にとって断るという選択肢は端から存在しなかった。
「ん、来たか」
悪態をついていた男が唐突につぶやく。
すると言葉通りに、扉が開き男の部下が入ってきた。
「電話は終わりましたか?」
「ああ、終わった。……それとこれが今回の取引場所周辺の地図だ。周知徹底させておけ」
男が部下に地図を渡す。
その地図に書かれた地名は夏川市。
彰たちが海に行く予定の場所だった。
「ああ、海楽しみだなあ」
「そうですね」
無邪気にうなずきあう彰と恵梨。
迎えるのが陰謀が渦巻く夏だということを彼らはまだ知らない。




