第二十四茶番 理屈よりジャーキー
人と人が近づくのに、必ずしも理由が必要とは限らない。
理屈を交わすこともあれば、互いの生き方を語ることもある。
そして、ごく稀に。
牛肉ジャーキー一本で、だいたい何とかなる者たちもいる。
◇
特務隊詰所、一般開放ジム。
夕方。
トレーニングを終えたカヨナは、休憩スペースの長椅子に腰を下ろし、冷えたスポーツドリンクを喉へ流し込んでいた。
額には薄く汗が浮かび、黒いポニーテールも少しだけ乱れている。今日もよく鍛えた。身体に残る心地よい疲労へ満足しながら、もう一口。
「おう」
聞き慣れない声に振り向く。
金髪。長身。鋭い眼差し。
腰には、使い込まれた鉈と鎌。
そして――牛肉ジャーキー。
女性は咥えていた一本を口から離すと、袋を差し出した。
「嬢ちゃん」
「はい?」
「食うか?」
カヨナは袋を見た。
牛肉ジャーキー。
女性を見た。
もう一度、牛肉ジャーキー。
「食べます」
即答だった。
「ギャハハハハ!」
何が面白かったのか、女性が豪快に笑い出す。
「あはははは!」
何が面白いのか分からないまま、カヨナもつられて笑った。
周囲の利用者たちが振り返り――何も見なかったことにした。
初対面から、およそ三十秒。
どうやら二人は、もう大丈夫らしい。
◇
数分後。
二人は並んでジャーキーを齧っていた。
「嬢ちゃん、面白ぇな」
「ゆかりさんも面白いです」
「だろ?」
「だと思います」
「ギャハハハハ!」
「あはははは!」
何が、何故、面白いのか。
おそらく本人たちにも分かっていない。
ただ、楽しそうなので放っておこう。
ふと、カヨナの視線がゆかりの腰へ落ちた。
鉈と鎌。
どちらも新品ではない。刃にも柄にも、長く使い込まれた年月が刻まれている。
「それ、格好いいですね」
「あぁ? コイツらか」
ゆかりが柄をぽんぽんと叩く。
「こっちが鵺」
鉈を指す。
「んで、こっちが蛟」
鎌へ手を添えた。
カヨナの目が輝く。
「名前ですか?」
「おう」
「素敵ですね」
「だろ?」
カヨナは改めて二つを眺めた。
「ぬえ」
「おう」
「みずち」
「おう」
「……美味しそうですね」
「何でだよ」
ゆかりの眉間に皺が寄った。
「鵺って鶏肉っぽくないですか?」
「どこがだ」
「蛟は魚っぽいです」
「字面で食おうとすんな」
「違うんですか?」
「違ぇよ!」
カヨナは不思議そうに首を傾げる。
数秒。
「ギャハハハハハ!」
ゆかりが腹を抱えた。
「あはははは!」
また始まった。
近くにいた利用者が、無言で席を一つ遠ざけた。
「そういやコイツら、あーしが遊撃隊入ったばっかの頃に拾ったんだよ」
「拾ったんですか?」
「初任務でな」
「堕転者ですか?」
「牛」
「……牛?」
「牛」
「堕転した牛?」
「普通の牛」
「普通の牛!?」
牧場で暴れていたらしい。
隊長は吹っ飛び、先輩は逃げ、新人だったゆかりだけが残された。
「んで、納屋にコイツらが転がってた」
「はい」
「拾った」
「はい」
「振った」
「はい」
「牛倒れた」
「はい」
「終わり」
「雑!」
カヨナの笑い声が弾けた。
「そんなことあります!?」
「あったんだよ! ギャハハハハ!」
「あははははは!」
難しい話は、ひとつもなかった。
何かを教えられることも、試されることもない。
ジャーキーを食べて。
武器の名前を食材扱いして。
普通の牛の話で笑っている。
それだけだった。
やがて、ゆかりが腹を押さえた。
「あー、腹減った」
「あ」
カヨナも自分の腹へ手を当てる。
「アタシもです」
「よし。飯だ」
「どこ行くんですか?」
「陽だまり」
「陽だまり?」
「この敷地ん中にある。飯が美味ぇ」
「それは重要ですね」
「だろ?」
本日、最も強く意見が一致した。
◇
――和カフェ『陽だまり』。
木造平屋の店内には、夕食の匂いと賑やかな話し声が満ちていた。
特務隊員。遊撃隊員。公安職員。そして一般客。
制服も立場も違う人々が同じ卓を囲み、食べ、笑っている。
カヨナは席へ着くなり、興味深そうに辺りを見回した。
「なんだか不思議ですね」
「あぁ?」
「警察とか軍隊って、もっと堅苦しいと思ってました」
「ギャハハハ! そんな奴らばっかだったら、あーしが真っ先に辞めてるわ!」
「あはははは!」
確かに。
この女が背筋を伸ばし、神妙な顔で規律について語っている姿は想像しづらい。
想像してみた。
少し面白かった。
「そういえば、ユウカさんってどんな人なんですか?」
「姫か?」
「姫?」
「見た目も中身も姫だろ」
「あぁ。確かに」
ゆかりは指を折る。
「頭良い」
「はい」
「偉い」
「はい」
「優しい」
「はい」
「料理下手」
「え?」
「説教長ぇ」
「え?」
評価が途中から急激に怪しくなった。
「あと、ヒロのことになると面倒臭ぇ」
「えぇ……?」
一昨日、因果律を武器に自分を説得しようとした世界最高峰の頭脳が、ずいぶんな言われようである。
「でも、なんとなく分かる気がします」
「だろ?」
「あははは!」
「ギャハハハハ!」
――その時。
「お待ちどーサマー!」
威勢のいい声とともに、巨大な丼が運ばれてきた。
どん。
カヨナの前。
「W豚大ラーメン! 野菜マシマシ、ニンニクカラメ!」
「おぉ……!」
麺が見えない。
山盛りの野菜。その斜面を分厚い豚が覆い、湯気と香りが真正面から殴りかかってくる。
さらに。
どん。
ゆかりの前。
「大ラーメン、ゆかりさん特注! 豚の富士山盛りー!」
「おぉ!」
カヨナの目がさらに輝いた。
野菜の山。
肉の山。
もはや料理というより地形だった。
「いただきまーす!」
「いただきまーす!」
それからしばらく、二人の会話は途絶えた。
ゆかりは豚へ豪快に喰らいつく。
獲物を逃すまいとする肉食獣のように。
対するカヨナは、山盛りの野菜をしゃくしゃくと次々に口へ運んでいく。
こちらは草原で草を食む草食獣である。
肉食獣。
草食獣。
同じテーブル。
和カフェの窓際に、妙な食物連鎖が完成した。
やがて野菜を頬張ったまま、カヨナがぽつりと言う。
「みんな、変な人たちですね」
「あ゛ぁん?」
ゆかりの箸が止まる。
ユウカ。
ホシ。
ヒロ。
ついでに自分。
少し考えた。
「……知ってる」
カヨナが吹き出した。
◇
店を出る頃には、空はすっかり夜へ変わっていた。
火照った頬を夜風が撫でていく。
「「ごちそー様でしたー!」」
声が重なった。
顔を見合わせる。
また笑った。
「じゃあな、嬢ちゃん」
ゆかりが背を向け、片手をひらひらと振る。
「はい」
「またラーメン食おうぜ」
カヨナの顔が、ぱっと綻んだ。
「はい!」
「今度は肉もな!」
「また肉ですか?」
「肉だ!」
「野菜も食べてください!」
「いらねぇ!」
「食べてください!」
「ギャハハハハ!」
豪快な笑い声を残し、ゆかりは夜の敷地を歩いていく。
カヨナはその背中をしばらく見送っていた。
「ゆかりん……」
口にしてから、自分で少し首を傾げる。
いつの間にそう呼ぶことにしたのか。
まあ、いいか。
「面白い人だなぁ」
小さく笑って、カヨナも歩き出した。
ユウカは理屈を持ってきた。
ホシは合理を持ってきた。
神道ゆかりが持ってきたものは、牛肉ジャーキーだった。
勧誘はしていない。
説得もしていない。
特務隊の利点など、ひとつも説明していない。
ただ一緒に笑って、腹が減ったから、一緒に飯を食った。
特務隊へ入りたい理由は、まだない。
ただ――。
次にここへ来た時、一緒にラーメンを食べる相手はできた。




