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アタシ(私)はひまわり(月) ~Find Me Again~  作者: 南馬一六三
【巡逢編】 第三章 へんなひとたち

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第二十二茶番 因果律の始点

 公安本部地下五階。

 地上の蝉時雨など届かない研究区画では、朝から膨大な数字が流れていた。

 壁面いっぱいに浮かぶのは、葦原界各地から送られてきた感情素子の観測情報。放出量、出力、捕捉率、送信効率――人の感情を文明の力へ変える以上、その流れもまた、電気や水と同じように観測され、管理されなければならない。


 その一角で、一人の研究員が端末を睨んでいた。


「主任。第七区域の感情素子供給量が低下しています」

 呼ばれた女が振り返る。


 ユウカ・ツクヨミ。


 差し出された端末へ視線を落とし、指先で数度画面を送る。

「供給量ではありませんね」

「え?」

「ここです」

 細い指が、一つの数値を示した。


「供給元の出力は正常です。低下しているのは途中から。送信効率を再計算してください」

 研究員が慌てて端末を操作する。


 数秒。

 目を見開いた。


「……一致しました」

「輸送路の中継設備を優先して調べてください。交換が必要なら保全部へ連絡を」

「はい!」

 研究員が駆けていく。


 ユウカはもう見ていなかった。

 次の資料を開いている。

 感情素子から分かるのは、あくまでその状態と挙動だ。どれほど精密に解析しても、人の思考や記憶まで覗けるわけではない。


 だからこそ。

 ユウカの指が止まった。

 画面には、一人の女の資料。


 カヨナ・ワダツミ。


 先日の堕転者事案。

 異常化した感情素子回路を前にして、彼女は既存の解析とは異なる形で、その感情の揺らぎを感じ取ったような反応を見せている。

 加えて、戦闘結果にも既存理論では説明しきれない点が残っていた。


「……面白いですね」

 研究者の顔になった。

 そのとき。


「ユウカ」

 聞き慣れた声に、表情がふっと緩む。


「お兄ちゃん」

 入ってきたホシが机を見る。

 一冊の分厚い帳面が置かれていた。


『陽主様観察日誌 第十七巻』


「……十七巻まで何を書いた」

 ユウカは無言で帳面を伏せた。


「見ないでください」

「見ていない。表紙が主張している」


「プライバシーです」

「表紙は公開情報だ」


 兄妹はしばし見つめ合う。

 やがてユウカが、カヨナの資料へ視線を戻した。


「昨日の件ですね」

「ああ」

「少々不思議な方ではありますが……」

 資料を閉じる。

 柔らかく笑った。


「きちんとお話しすれば、分かっていただけると思います」

 ホシは妹を見た。

 何か言おうとして。

 やめた。


 ◇


 数時間後。

 ユウカはジムにいた。

 目的の人物は、すぐに見つかった。


 床へ座り、両脚を左右へ大きく開いている。

 百八十度。

 いや。

 それ以上。

「……人間の股関節は、そこまで開くものでしたか?」

「開きますよ?」

 カヨナは当然のように答え、上体を起こした。


「あっ! 筋肉さんと一緒にいた人!」

「覚えていてくださったんですね」

 ユウカが微笑む。


「改めまして。感情保安庁公安本部特務隊支部、支部長。兼、公安科学技術研究所、主任研究員。階級は一等保安監――弐。ユウカ・ツクヨミです」

 淀みなく言い切った。

 カヨナは目をぱちぱちさせながら、目の前の女性を改めて眺める。


「……念仏みたいな長さの肩書ですね」

「ええ。私も途中で、どこまで言ったか分からなくなることがあります」

 にこり。

 もちろん、そんなわけはない。


「っていうか、その歳でその肩書はズルしてません?」

「してません」

 即答だった。


 ◇


 休憩スペース。

 ユウカの前には紅茶。

 カヨナの前にはプロテイン。

 それだけで、二人の生き方がおおよそ見える気がする。


「特務隊へ来るつもりは、本当にないんですか?」

「はい」


 カヨナはプロテインを一口飲んだ。


「アタシ、まだ旅したいんです」

「旅、ですか」

「いろんな場所を見て、いろんなもの食べて、知らない人と会って。そういうの、楽しいじゃないですか」


 実に単純な答えだった。

 だが、単純であることと、間違っていることは同じではない。

 ユウカは紅茶を置く。


「では、少し考え方を変えてみましょうか。因果律というものをご存じですか?」

「いんがりつ?」


「簡単に言えば、物事には原因があり、その結果として次の出来事が生まれるという考え方です」

「ほうほう」


「あなたは旅をして、この葦原界へ来ました」

「はい」


「そこで、このジムを見つけた」

「はい」


「陽主様と出会った」

「筋肉さんですね」


「……陽主様です」

 少しだけ間があった。

「そして堕転者と戦い、今こうして私とも話している」

 カヨナが頷く。

「つまり、旅とは場所を移動することだけではありません。新しい場所へ入り、知らなかった人と出会い、今まで経験しなかったものを知ることでもある」


「なるほど……」

 カヨナの顔が真剣になった。

 ユウカは続ける。

「これらはすべて、あなたが旅に出たことから連なった因果です。ならば、特務隊へ入ることもまた、その先に続く新しい旅の一つになり得るのではありませんか?」


 沈黙。

 カヨナが考えている。

 真剣に。

 深く。


 ユウカは確信した。

 届いた。

 世界最高峰の頭脳が組み上げた因果は、一本の線となって彼女の中へ――。


「あっ!」

 カヨナが顔を上げた。

「分かりました!」


 ユウカが微笑む。

「そうでしょう?」

「アタシ、旅に出たのも強くなりたかったからで、ここに来たのもジムを見つけたからで、筋肉さんと会ったのも筋トレしてたからですよね?」


「……ええ」

 雲行きが怪しい。

「堕転者と戦ったのも、そのあとですよね?」

「え、ええ」


 カヨナの顔がぱっと輝いた。

「じゃあ――」

 嫌な予感がした。

「全部、筋トレから始まったんですね!」

 世界最高峰の頭脳が止まった。


「これからも筋トレしてれば、また面白いことが起きそうです!」

「…………」

 理論は間違っていない。

 因果関係も理解している。

 むしろ。

 きれいに始点まで遡っている。

 だから困る。


「では……」

 ユウカは立て直した。

 まだ手はある。

「特務隊へ入れば、陽主様とも毎日のように顔を合わせることになりますよ?」

「筋肉さんと?」

「ええ。陽主様と」


 カヨナが腕を組んだ。

 考える。

 ユウカは待った。


「うーん……」

「毎日だと、お腹いっぱいかな」


「…………」

 本日二度目。

 世界最高峰の頭脳が止まった。

 やがてカヨナが吹き出した。

 ユウカも耐えきれず、口元を押さえる。


「ふふっ……」

「なんで笑うんですか!」


「いえ。あなた、本当に面白い方ですね」

 勧誘には失敗した。

 だが。

 ユウカ・ツクヨミは少しだけ、カヨナ・ワダツミという人間を好きになった。


 ◇


 その夜。

 特務隊筆頭室。

 ユウカは机へ突っ伏していた。

「……理論が通じません」


 ホシが答える。

「違う」

 ユウカが顔だけを上げる。

「何がですか」

「通じていた」

「……」

「あいつは、お前の話を理解した。その上で筋トレを選んだ」


「…………」

 反論できない。

 理屈が通じなかったのではない。

 むしろ、通じてしまったのである。

 世界最高峰の頭脳が示した因果を、カヨナはきちんと辿った。


 ただ一つ。

 ユウカより、少しだけ遠くまで遡っただけだ。


 そして――。

 カヨナ・ワダツミにとって。

 因果律の始点は、筋トレだった。


 ホシが椅子から立ち上がった。

「次は俺が行く」


 ユウカは頬を机につけたまま、兄を見上げる。

「お気をつけて」

「何にだ」

「分かりません」


 だからこそ。

 お気をつけて。

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