第二十一茶番 理屈が通じない男
散る花を 惜しむがゆゑに 枝を読む
風の理を知り 春を守らむ
散ってしまう花を惜しむからこそ、
私は枝を見て、風の道理を読む。
春を失わないために。
昨日。
一人の少女が、自分の人生を歩き始めた。
そして今日。
その人生を尊重すると言った男が、再び彼女を勧誘するための会議を開いていた。
矛盾しているように見えるだろう。
安心してほしい。私にもそう見える。
人の決意というものは、そう簡単に変わるものではない。
筋肉の決意については、知らない。
◇
感情保安庁警察部、特務隊詰所。
筆頭室の窓の向こうでは、朝から蝉が鳴いていた。
まだ盛夏と呼ぶには少し早い。それでも日差しは日に日に力を増し、窓から入り込む風にも近づく夏の匂いが混じり始めている。
室内では、庁舎の社会供給網から感情素子由来のエネルギーを受けた空調が静かに冷気を送り続けていた。壁面に表示された供給状態も正常。照明も正常。
設備に問題はない。
なのに。
今日の筆頭室には、妙に重たい空気が漂っていた。
机を挟んで座るのは四人。
特務隊筆頭、ヒロ・アシハラ。
公安本部特務隊支部長、ユウカ・ツクヨミ。
遊撃隊筆頭、スバル・ホシ。
そして。
遊撃隊副長、神道ゆかり。
性格も考え方もまるで違う三人が、今だけは揃って同じ男を見ていた。
ヒロは腕を組んでいる。
真剣だった。
本当に、真剣だった。
やがて重苦しい沈黙を破り、低い声で切り出した。
「どう思う」
誰も答えない。
窓の外では蝉が鳴いている。
先ほどまで耳障りだったはずの鳴き声が、今だけは妙に頼もしかった。
ヒロが続ける。
「冷静に、且つ慎重に熟考した結果――」
一拍。
「あの戦力は、やはり特務隊に必要だ」
昨日。
カヨナへ、自分の人生を大切にしろと言った男である。
舌の根も乾いていない。
いや。
本人の中では矛盾していない。
カヨナの人生はカヨナが決める。
それはそれとして。
特務隊には欲しい。
実に簡単な話だった。
少なくとも、ヒロの中では。
「あの身体能力。戦闘技術。判断力。何としても確保したい」
再び沈黙が落ちた。
ユウカが額へ片手を添える。
「陽主様」
「なんだ」
「まず、確認させてください」
「何だ?」
ユウカは一度呼吸を整え、ヒロを真っ直ぐ見た。
「あれはスカウトではありません」
「……?」
ヒロが首を傾げた。
その顔を見て、ユウカのこめかみが僅かに動く。
「先日は、手伝ってほしいと仰るので私も同行しましたが……」
記憶を辿るように目を閉じる。
贈り物。
待ち伏せ。
尾行。
追跡。
女装。
その他諸々。
目を開いた。
「あれは、なんですか?」
「スカウトだ」
即答。
ユウカは数秒黙った。
「いいえ」
訂正する。
「ナンパです」
「……?」
「いえ。もっと悪いですね」
柔らかな笑みを浮かべた。
「ストーカー行為です」
ヒロの眉が上がる。
「ほう」
「感心している場合ではありません」
その横で、ホシが静かにコーヒーカップを置いた。
「シャワールームへの侵入もある」
「うむ」
「行為態様によっては、複数の法的問題に発展する可能性がある」
「なるほど」
ヒロは深く頷いた。
理解したらしい。
そして。
何故か胸を張った。
「手段を選ばないぐらい必死な『スカウト』だろ」
沈黙が部屋を一周して帰ってきた。
ホシはコーヒーを一口飲む。
「何も理解していない」
その瞬間。
「ギャハハハハハハ!!」
ゆかりが爆発した。
机を叩き、腹を抱える。
「また話通じてねぇぞ筋肉ォ!! おめぇ一応は警察だろォ!?」
「俺は真面目だ」
「それが一番怖ぇんだよ!!」
さらに笑う。
ヒロは不満そうに眉を寄せ、ホシは黙ってコーヒーを飲み、ユウカは深いため息を吐いた。
まともに議論しようとした方が間違っていたのかもしれない。
そんな諦めまで連れていきそうな吐息だった。
「ですが……」
ユウカの声色が変わった。
「カヨナさんには、私も少し興味があります」
ヒロが反応する。
「ほう」
「戦闘能力はもちろんですが、先日の堕転者事案で見せた反応が気になります」
ユウカの脳裏に、報告書の内容が浮かぶ。
異常化した感情素子回路を前に、カヨナは通常の観測機器や解析とは異なる形で、その感情の揺らぎを感じ取ったような反応を見せた。
声を聞いたわけではない。
思考や記憶を読み取ったわけでもない。
現行の感情素子解析で説明できる現象なのかさえ、まだ分からない。
だからこそ。
研究者としては、気になる。
「一度、直接お話ししてみたいですね」
先ほどまでの呆れとは違う。
公安調査官。
そして研究者の目だった。
一方。
ホシは即答した。
「俺は反対だ」
「何故だ」
「実力は認める」
コーヒーを一口。
「だが、今のまま特務隊へ入れることには賛成できない」
「そうか」
「それだけか?」
「何がだ」
「いや。もういい」
ホシはそれ以上説明しなかった。
その理由を語るには、ここでは少し早い。
そして最後の一人。
ゆかりが椅子へ深く腰掛けたまま身を乗り出す。
「その嬢ちゃん、面白ぇんだろ?」
「あぁ」
ヒロは即答した。
「じゃあ会いてぇ」
こちらも即答だった。
ユウカは興味。
ホシは確認。
ゆかりは面白そう。
理由は三者三様。
どうやら多数決を取るまでもない。
「では」
ユウカが姿勢を正した。
「今度は私たちから、お声掛けしてみましょうか」
ヒロの目が輝いた。
「頼んだ」
ホシは何も言わない。
おそらく、言っても無駄だと判断した。
ゆかりは楽しそうに口角を上げる。
こうして。
話はまとまった。
少なくとも。
ヒロの中では。
「んじゃ、行くか」
ゆかりが椅子から立ち上がる。
そのまま扉へ向かい――。
止まった。
「……ん?」
振り返る。
ヒロを見る。
頭から。
ゆっくり。
下へ。
髪。
胸。
腰。
脚。
そして、もう一度顔へ戻る。
「筋肉ォ……?」
「何だ」
ゆかりの口元が震え始めた。
「何でおめぇ――」
一拍。
「まだデパート風の女装してんだ!?」
ユウカが目を閉じた。
ホシも目を閉じた。
ヒロだけが、何故そんなことを聞くのか分からない顔をしている。
「スカウト用の衣装だ」
「まさか、おめぇ……」
ゆかりの目が見開かれる。
「昨日からその格好か!?」
「そうだが?」
「ギャハハハハハハハハ!!」
爆発した。
ゆかりは机へ突っ伏し、拳で天板を叩きながら笑い転げる。
「腹いてぇ!! 筋肉! おめぇ最高だわ!!」
「何がおかしい」
「全部だよ!!」
笑い声が筆頭室を突き抜けていく。
ユウカは額へ手を当て、ホシは眉間を押さえた。
窓の外では蝉が鳴いている。
感情素子の供給状態は正常。
空調も正常。
照明も正常。
やはり。
設備に問題はない。
問題があるとすれば、この部屋の人間たちである。
こうして。
カヨナ・ワダツミに対する――第二次スカウト作戦が始まった。
最初に向かうのは。
感情保安庁始まって以来の天才にして、世界最高峰の頭脳を持つ女。
ユウカ・ツクヨミ。
理論を組み立て、情報を分析し、答えを導くことを得意とする彼女ならば。
きっと。
話せば分かる。
――話せば、分かるはずである。




