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アタシ(私)はひまわり(月) ~Find Me Again~  作者: 南馬一六三
【巡逢編】 第二章 へんなひと

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第十九茶番 背中を預ける安心感

 夜の街に、赤い眼が増えていく。


 隣の建物。

 非常階段。

 路地。

 道路。


 感情素子の供給を受けた街灯が次々と夜を照らしていく中、その光の下を、本来そこにいるはずの人々がゆっくりと歩いていた。

 いや。

 もう、人々とは呼べない。

 異常化した感情素子回路に身体を支配された者たち。


 ――堕転者。


「……来るぞ」

 ヒロが祢々切丸を構えた。

 その隣で、カヨナも二本のコンバットナイフを逆手に握る。


「はい!」

 最初の一体が屋上へ飛び込んできた。


 ヒロが踏み込む。

 巨体からは想像もできない加速だった。床を蹴った力が脚から腰、背中、肩へと繋がり、振り抜かれた祢々切丸が堕転者の胴を薙ぐ。


 刃に組み込まれた感情素子受信チップが、ヒロの感情素子回路と同期する。

 ただ肉体を斬るための一撃ではない。

 異常化した回路そのものへ干渉する刃。


 堕転者の身体が吹き飛び、屋上を転がった。


 その横を。

 黒髪が駆け抜ける。


 カヨナは正面から伸びてきた腕を紙一重でかわすと、そのまま懐へ潜り込んだ。身体を沈め、床へ手をつき、脚を跳ね上げる。


 顎を蹴り抜く。


 堕転者の上体が浮いた。

 その下を抜けながら身体を反転させ、二本の刃を走らせる。


 一切止まらない。


 水が岩を避けて流れるように、回避と攻撃が一つの動きになっていた。

 堕転者が崩れ落ちる。


 そして、また。

 再生しない。


 カヨナのナイフには、感情素子受信チップなど搭載されていない。

 それでも刃が触れた先で、異常化した回路は沈黙していく。


「筋肉さん!」

「何だ!」

「スイカ割りみたいですね!!」

「横に割るスイカ割りはない」


 祢々切丸が、別の一体を真横へ吹き飛ばした。


「でも、そんな感じです!」

「そうか」

「はい!」


 納得したらしい。

 何に納得したのかは分からない。

 戦闘は続いている。

 ヒロが地面を蹴る。

 カヨナが風のように走る。


 一方は圧倒的な筋力を速度へ変え、一方は身体の柔らかさと重心移動を使って、ほとんど勢いを殺さず敵の間を抜けていく。


 まるで違う。

 それなのに。

 互いの邪魔をしない。


 ヒロの斬撃で体勢を崩した堕転者の脇を、カヨナの刃が走る。カヨナを追った一体が背を向ければ、祢々切丸がその先を断つ。


「……見事だな」

 ヒロが呟いた。

「え?」

「いや。よく鍛えている」

「えへへ」

 褒められた。

 素直に嬉しかった。

 その時。


「カヨナ!」

 ヒロの声色が変わった。

「え?」


「振り向くな!」

 振り向いた。


「何ですか?」

「振り向くなと言っただろ!」


「え?」

 視界にヒロしかいない。


 その背後。

 カヨナの死角から、何かが滑り込んだ。

 音がない。

 先ほど、自分の首を掴んだ個体と同じだった。


「しまっ――」

 間に合わない。

 振り下ろされた腕とカヨナの間へ、巨大な身体が割り込んだ。

「きゃっ!」

 そのままカヨナの身体が、ヒロの胸元へ抱き寄せられる。


 直後。

 鈍い音。

 堕転者の指がヒロの背中へ食い込んだ。

 ――はずだった。


「……?」

 堕転者の動きが止まる。


 指が。

 曲がっていた。

 筋肉に負けたらしい。


「うぐっ……」

「筋肉さん!?」

 カヨナが顔を上げる。


「大丈夫ですか!?」

「あぁ……」

 ヒロは苦い顔で背中へ手を伸ばした。


「ニキビに入った」

「そこ!?」

「ちょうど痛いところだった」

「心配して損したぁ!!」

「それより」


 ヒロがカヨナを下ろす。

 表情が変わった。


「今のヤツだ」

 カヨナも振り返る。


 他の堕転者とは動きが違う。

 ただ暴れているのではない。

 こちらの死角へ回る。

 隙を待つ。

 そして、狙う。


「特異体が混じっている」

「とくいたい?」


「普通のヤツと動きが違う。背中を見せるな」

「先に言ってくださいよ!」

「言おうとしたら振り向いた」


「あ」

 それはそうだった。

 堕転者たちが距離を詰めてくる。

 ヒロがカヨナへ背を向けた。


「カヨナ」

「はい?」

「背中合わせで戦ったことは?」

「ありますよ」


 何度も。

 海神近衛兵団にいた頃。

 敵に囲まれた時。

 仲間を守る時。

 背中を合わせて戦ったことなど、一度や二度ではない。


「なら話は早い」


 ヒロの背中が、カヨナの背へ触れた。

 大きい。

 そして、熱い。


「攻撃は任せた」

「え?」

「俺がお前の背中を守る」


 堕転者が飛び込んできた。

 カヨナは反射的に後ろを確認しようとする。


「前だけ見ていろ!」

 声が背中越しに響いた。

「でも!」

「後ろは俺が見る」


 祢々切丸が走る。

 カヨナの死角へ入った堕転者が吹き飛んだ。

「お前は前を見ろ」


「……」

 カヨナは正面へ向き直った。


 一体。

 右からもう一体。

 二本のナイフを構える。

 踏み込む。


 一体目の腕を潜り、腹へ刃を走らせ、その勢いのまま二体目へ身体を回す。

 後ろは見ない。

 背後で風が鳴った。

 祢々切丸だ。

 また一体。


「右!」

「はい!」

 右へ跳ぶ。


「前!」

「分かってます!」

 刃を走らせる。


 少しずつ。

 肩から余計な力が抜けていった。


 不思議だった。

 背中合わせなら、何度も経験している。

 けれど。

 海神近衛兵団にいた頃は、いつだって自分が守らなければならなかった。

 仲間を生きて帰す。

 自分が倒れてはいけない。

 後ろにいる者まで、自分が守る。

 それが当たり前だった。


 なのに今は。

 背後から敵が来ても、振り向かなくていい。

 大きな背中が動くたび、そこから伝わる振動と熱だけで分かる。

 いる。


 ちゃんと、そこにいる。


「カヨナ」

「はい!」

「海ではどうしていた?」

「海?」

「後ろが見えない時だ」

 カヨナはナイフで攻撃を受け流しながら答える。


「水を感じます!」

「水?」

「流れとか、圧とか! 肌に当たる感じとか!」

 ヒロが一体を斬り伏せる。

「なら同じだ」

「何がですか!?」

「水が空気になっただけだ」

「そんな雑な!?」

「やってみろ」

「無茶言うなぁ!!」

 言いながら。

 カヨナは目の前の一体を蹴り飛ばした。


 一歩。

 止まる。


 風が頬を撫でた。

 街の夜風。

 けれど、その中に別の動きがある。

 誰かが走れば、空気が押される。

 腕を振れば流れが変わる。


 背後。

 右。

 ――来る。


 カヨナは振り向かなかった。

 身体を沈める。

 頭上を腕が通過した。


「!」

 そのまま振り返りざまに蹴り上げる。

 命中。


「見えた!」

「見えてはいない」

「細かい!!」

「だが見事だ」

 ヒロの声が少し笑った。


「好きだ」


 カヨナの身体が固まった。

「えっ!?」


「好きな戦い方だ」

「……」


「どうした?」

「何でもないです!!」

 頬が熱い。

 絶対に振り向かない。


 今だけは別の意味で振り向けなかった。


 背中合わせのまま、再び構える。

 ヒロの背中は相変わらず大きかった。

 戦闘で熱を持った身体から、じんわりと体温が伝わってくる。


 ――安心する。

 その感覚に気づいた途端、カヨナは少しだけ背中を預けた。

 ほんの少し。


「……えへへ」

「何だ?」

「ふわふわ筋肉……」

「硬いだろ」

「でも、ふわふわする……」

「意味が分からん」


 カヨナの頬が背中へ寄る。

「……」


「カヨナ」

「はい?」


「よだれを拭け」

「出てないです!!」

 慌てて口元を拭いた。


 出ていた。

 ヒロは何も言わなかった。

 その優しさが少し腹立たしい。


「変態」

「何故だ」


「何となくです」

「変態に変態と言われたくない」


「誰が変態ですか!!」

 その声に反応するように、残っていた堕転者たちが一斉に動いた。

 カヨナの顔から笑みが消える。


 今度は。

 目を閉じた。


 風。

 足音。

 床を蹴る振動。

 空気の流れ。


 そして――。

 何かが触れた。

「……?」


 風ではない。

 冷たい。

 重い。

 胸の奥へ沈んでくるような、濁った感情。

 怒り。

 恐怖。

 苦痛。

 何かを失った悲しみ。

 異常化した感情素子回路から溢れたものが、周囲の空気へ混じっている。


 言葉ではない。

 誰かの記憶でもない。

 けれど。

 その奥にあるものを、カヨナは知っていた。


 苦しい。

 怖い。

 ここから出たい。

 帰りたい。

 誰かに――。


「……助けて」

 ヒロの動きが止まった。


「カヨナ?」

 目を開く。


 正面にいる堕転者を見る。

 赤い眼。

 歪んだ顔。

 人を襲う腕。

 それでも。

 この人たちは、人だった。


「声が聞こえたわけじゃないです」

 カヨナはナイフを握り直す。


「でも……分かるんです」

 冷たい感情が、まだ肌に触れている。


「この人たち……苦しいんだ」

 ヒロは何も言わない。

 カヨナが振り返る。


「筋肉さん」

「何だ」


「アタシ……」

 一度、息を吸った。


「一緒に……堕転者を助けたいです」


 ヒロは理由を聞かなかった。

 祢々切丸を握り直す。


「分かった」


 それだけだった。

 二人が動く。

 同時に。


 カヨナが先へ出た。

 堕転者の攻撃を紙一重でかわし、腕へナイフを走らせる。刃が触れた先で異常化した回路の働きが鈍り、その一瞬へヒロの祢々切丸が重なる。


 斬る。

 だが、殺すためではない。

 止めるために。

 戻すために。


 ヒロが踏み込めば、カヨナが死角へ回る。

 カヨナが一体を崩せば、ヒロが次の一撃を繋ぐ。


「左!」

 言う前にカヨナがいた。


「後ろ!」

 言う前にヒロの刃が走っていた。


 やがて。

 言葉すら要らなくなった。


 一つの呼吸が終わる前に、もう片方が動く。

 吸う。

 踏み込む。

 吐く。

 刃が走る。

 ヒロが前へ出る。

 カヨナがその背後を埋める。

 カヨナが跳ぶ。

 ヒロが着地点を守る。

 違う身体。

 違う武器。

 違う戦い方。


 それでも。

 二人の呼吸だけが、重なっていく。


 最後の一体がカヨナへ飛び込んだ。

 カヨナは避けない。

 正面から踏み込み、振り下ろされた腕を身体ごと外へ流すと、懐へ潜って刃を走らせる。

 異常化した回路の動きが止まる。


「筋肉さん!」


「あぁ!」

 ヒロが前へ出た。

 祢々切丸が夜を斬る。


 一閃。


 堕転者の身体から力が抜けた。

 赤かった眼が閉じる。

 倒れた身体が、静かに呼吸を始めた。

 

 その周囲にも。

 一人。

 また一人。

 先ほどまで暴れていた者たちが、人として地面へ横たわっている。

 

 ヒロは祢々切丸を下ろし、しばらく彼らを見ていた。

「……全員、生きている」


 カヨナの肩から力が抜けた。

「良かったぁ……」


 その場へ座り込む。

「疲れた……」


「そうだな」

 ヒロも腰を下ろした。

 自然と。

 二人の背中が触れた。

 戦っている時と、同じ姿勢。


 もう敵はいない。

 だから今度は、背後を守る必要もなかった。

 それでもカヨナは離れなかった。


 背中から伝わってくる体温に、そっと身体を預ける。

 街を照らす感情素子の灯りの下で、救われた人々の呼吸が少しずつ夜へ戻っていく。


「筋肉さん」

「何だ?」

「背中、大きいですね」

「そうか」

「あと、やっぱりふわふわします」

「硬い」

「ふわふわです」

「硬い」

「……じゃあ、硬ふわ」

「何だそれは」


 カヨナは小さく笑った。

 ヒロも、それ以上は言わなかった。


 夜風が屋上を抜けていく。

 少し前までなら。

 その風の向こうに何があるのか、カヨナは一人で確かめていた。

 

 今は。

 後ろを見なくてもいい。

 

 それがこんなにも安心することを。

 カヨナは、初めて知った。

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