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5-1 最初の実力試験

王立学院の鐘が三度鳴り響く。


 高く澄んだ音色は学院中に響き渡り、新入生たちはそれぞれの教室へと足を運んでいた。


 アルスもリオンと並んで廊下を歩く。


「なあ、アルス。」


「どうした?」


「お前って王子なのに全然偉そうじゃないよな。」


 突然の言葉にアルスは思わず笑った。


「そんなことを言われたのは初めてだ。」


「普通さ、王族ってもっと近寄りがたいと思ってた。」


「俺もそう思ってた。」


 リオンは豪快に笑う。


「でも昨日話してみたら普通だった!」


 その笑顔を見て、アルスは胸が締めつけられた。


(前の人生でも……。)


 リオンはいつもこうだった。


 身分など気にせず、誰とでも同じように接する。


 だからこそ、多くの人に慕われた。


 そして――。


(三十二歳で帝国軍を一人で食い止めて……。)


 最後まで笑っていた。


 その最期を思い出し、アルスは視線を落とした。


「おい?」


「いや、何でもない。」


 今はまだ十五歳。


 未来は決まっていない。


 必ず変えられる。


 そう自分に言い聞かせる。


 その時、教室の前に教師ガレスが立っていた。


「全員、訓練場へ移動しろ。」


 ざわめく生徒たち。


「今日から授業を始める。」


「え?」


「入学二日目ですよ?」


 誰かが驚きの声を上げる。


 ガレスは腕を組み、厳しい表情で言った。


「王立学院に遊びに来た者はいない。」


「君たちは将来、この国を支える人材になる。」


「だから今日から実力を見せてもらう。」


 教室の空気が引き締まる。


     ◇


 訓練場は想像以上に広かった。


 石畳で造られた円形の闘技場。


 周囲には観客席まで設けられている。


 学院の卒業試験や大会もここで開かれる。


 新入生たちは思わず歓声を上げた。


「すげぇ……。」


「本物の闘技場だ。」


 教師ガレスが中央へ立つ。


「今日は順位を決める試験ではない。」


「今の実力を見るだけだ。」


 そう言うと、大きな木箱を開けた。


 中には木剣が何十本も入っている。


「好きな武器を取れ。」


 アルスは一本の木剣を手にした。


 重さを確かめる。


(軽い。)


 王として百年以上剣を振り続けた感覚が残っている。


 十五歳の身体では力は足りない。


 だが技術だけなら、この場の誰にも負けない。


 しかし――。


(本気は出せない。)


 ここで目立ちすぎれば未来が変わる。


 まだその時ではない。


     ◇


「最初の組!」


 教師が名前を呼ぶ。


「リオン・フェルド!」


「おっしゃ!」


 リオンが元気よく返事をする。


「対戦相手……アルス・レインハルト!」


 訓練場が静まり返った。


「いきなり王子と?」


「運が悪いな。」


「いや、王子のほうが不利じゃないか?」


 周囲がざわつく。


 リオンは苦笑した。


「マジか。」


「よろしく。」


 アルスも木剣を構える。


(前の人生でも、この組み合わせだった。)


 だが違う。


 あの時の自分は剣術も未熟で、一瞬で負けた。


 今回は――。


 教師が右手を上げる。


「始め!」


 リオンが一直線に飛び込んできた。


 速い。


 十五歳とは思えない踏み込み。


 未来の剣聖の才能は、この頃から健在だった。


(でも……。)


 アルスは半歩だけ身体をずらす。


 木剣が空を切る。


「なっ!?」


 リオンの目が見開かれる。


 アルスは反撃しない。


 ただ避ける。


 二撃目。


 三撃目。


 四撃目。


 すべて紙一重でかわしていく。


「すげぇ……。」


「一発も当たらない。」


 観客席からどよめきが起こる。


 リオンの呼吸が少しずつ乱れ始める。


(このまま終わらせる。)


 アルスはリオンの剣が大きく流れた瞬間だけ、一歩前へ踏み込んだ。


 木剣の切っ先を、リオンの胸元へ静かに添える。


「そこまで!」


 教師ガレスの声が響く。


 勝負は、わずか数十秒だった。


 静まり返る訓練場。


 誰もが、王子が勝ったことではなく、その勝ち方に驚いていた。


 力ではない。


 速さでもない。


 最小限の動きだけで相手を制した。


 ガレスはアルスをじっと見つめる。


(……あの動き。)


(十五歳ができる剣ではない。)


 教師の胸に、小さな疑問が芽生えていた。



    ◇


 訓練場は静まり返っていた。


 先ほどまで響いていたざわめきは消え、聞こえるのは風が旗を揺らす音だけだった。


 教師ガレスはアルスとリオンを交互に見つめる。


「勝者、アルス・レインハルト。」


 その宣言でようやく生徒たちが息をついた。


「すごかった……。」


「王子殿下、強いんだ。」


「いや、強いっていうより……。」


「全然動いてなかったぞ。」


 誰もが同じことを思っていた。


 アルスは攻撃をほとんどしていない。


 相手の剣を見切り、最小限の動きだけで勝負を決めたのだ。


 リオンはしばらく呆然としていたが、やがて大きく笑った。


「負けた!」


 その声に周囲が驚く。


「いやー! 完敗だ!」


 悔しそうな顔ではなく、心から楽しそうな笑顔だった。


 アルスも自然と笑みを浮かべる。


「いい勝負だった。」


「いやいや、慰めるなって!」


 リオンは木剣を肩に担ぎながら苦笑する。


「一発も当たらなかったぞ。」


「もっと鍛えないとな!」


 その前向きさは前世と変わらない。


(やっぱり、お前はそういう男だ。)


 アルスは心の中で呟いた。


     ◇


 試験は次々と進んでいく。


 槍術。


 弓術。


 魔法。


 それぞれの分野で新入生たちが実力を披露していた。


 アルスは観客席から静かに見守る。


「次。」


 教師が名前を呼ぶ。


「セレナ・エルミス。」


 青い長髪の少女が静かに前へ出る。


 対戦相手は体格のいい貴族の少年だった。


「お前が魔法使いか。」


 少年は木剣を構え、鼻で笑う。


「魔法なんて詠唱してる間に終わりだ。」


 セレナは何も答えない。


 ただ杖を胸の前で握り締める。


「始め!」


 開始と同時に少年が走る。


 距離は十五メートル。


 普通なら魔法使いには厳しい距離だ。


 しかし。


「《風よ》」


 短い詠唱。


 次の瞬間、強風が少年の足元を払った。


「うわっ!」


 体勢を崩したところへ、小さな光弾が胸に命中する。


 教師が手を上げた。


「そこまで!」


 一瞬だった。


「魔法の勝ち……。」


「速すぎる。」


 ざわめきが広がる。


 アルスは懐かしそうに目を細めた。


(やっぱり天才だ。)


 前世でもセレナは学院始まって以来の魔法の才能と言われた。


 王国最高の宮廷魔導師。


 だが。


(まだ誰にも認められていない。)


 人見知りな性格のせいで、彼女は何度も実力を誤解された。


 この先も孤立することになる。


 前世では、それを変えたのがアルスだった。


(今回は……。)


 助けるべきか。


 歴史を変えすぎるべきではない。


 そう考えていた、その時だった。


「運が良かっただけだろ。」


 誰かが呟く。


「相手が油断しただけだ。」


 周囲から小さな笑い声が聞こえた。


 セレナは俯き、何も言わず自分の席へ戻ろうとする。


 アルスは拳を握った。


(……変わらない。)


 この光景も前世と同じだった。


     ◇


 試験終了後。


 生徒たちは自由時間となり、訓練場のあちこちで今日の試合について話し合っていた。


「アルス!」


 リオンが走ってくる。


「昼飯行こうぜ!」


「ああ。」


 二人が食堂へ向かおうとした時だった。


 訓練場の隅で、一人の少年がセレナに近づいているのが見えた。


「さっきの魔法、偶然だろ?」


「……。」


「黙ってないで何とか言えよ。」


 セレナは目を伏せたまま立ち尽くしている。


 周囲の生徒も見ているだけだった。


 アルスは小さくため息をつく。


(前世では、俺も見ているだけだった。)


 あの時は王子という立場を気にしすぎて、一歩を踏み出せなかった。


 その後、セレナはさらに周囲から距離を置くようになった。


 そして学院を卒業するまで、本当の友人はほとんどできなかった。


(同じ未来にはさせない。)


 アルスは静かに歩き出した。


「何か問題でもあるのか。」


 穏やかな声だった。


 少年は驚いて振り返る。


「お、王子殿下。」


「実力試験は教師が判定した。」


 アルスは落ち着いた口調で続ける。


「その結果を疑うということは、学院の教師を疑うということか?」


「い、いや……。」


「そういうつもりじゃ……。」


 少年は顔を赤くし、慌てて頭を下げる。


「すみませんでした。」


 そのまま足早に立ち去っていった。


 周囲も気まずそうに散っていく。


 静かになった訓練場。


 セレナは驚いたようにアルスを見上げた。


「……ありがとうございました。」


 小さな声だった。


「気にしなくていい。」


「でも……。」


「君は実力で勝った。それだけだ。」


 セレナはしばらく黙っていた。


 やがて、本当に小さく微笑む。


「……はい。」


 その笑顔は一瞬だったが、前世ではもっと後にならなければ見られなかったものだった。


 アルスは心の中で少しだけ苦笑する。


(また未来を変えてしまったな。)


 その時、教師ガレスが遠くからその様子を見ていた。


「……王子。」


 彼は誰にも聞こえない声で呟く。


「剣の腕だけではない。人を見る目まで、十五歳とは思えん。」


 ガレスの胸に芽生えた違和感は、少しずつ確信へと変わり始めていた。


 一方アルスは、まだ気づいていなかった。


 自分が起こした小さな変化が、やがて世界の運命を大きく動かす最初の一歩になることを。


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