6-1 小さな違和感
翌朝。
王立学院の鐘が、王都の澄み切った空へ高らかに響いた。
寮ではなく王城から通うアルスは、馬車を降りると校門の前で足を止める。
朝日に照らされた学院は、昨日と何も変わらない。
生徒たちは友人と談笑しながら登校し、教師たちは今日の授業の準備に追われている。
どこにでもある平和な朝。
だが、アルスの心だけは落ち着かなかった。
(あと六日。)
黒いローブの人物が残した言葉。
『一度目の悲劇まで、あと七日。』
昨日が過ぎた今、残された時間は六日しかない。
だが、その「悲劇」が何を指すのかは分からない。
前世で起きた事件なのか。
それとも、この世界ではすでに歴史が変わっているのか。
アルスは校門をくぐりながら、小さく息を吐いた。
「考えても答えは出ないか。」
今できることは、情報を集めることだけだった。
◇
「おはよう!」
教室へ入ると、真っ先にリオンが手を振った。
「今日は俺のほうが早かったな!」
「珍しいな。」
「いつも寝坊すると思ったか?」
「少しだけ。」
二人は笑い合う。
そんな何気ないやり取りに、教室の空気も少し和らいだ。
昨日の実力試験でアルスが見せた実力は、多くの生徒に衝撃を与えていた。
それでも王子という肩書きではなく、一人の学生として接しようとする者が少しずつ増えてきている。
「アルス君。」
小さな声が聞こえた。
振り向くと、セレナが教科書を抱えて立っていた。
「昨日は……ありがとうございました。」
「礼を言われるようなことはしていない。」
「でも、あのままだったら……。」
言葉を探すように俯く。
「助かった。」
それだけ言うと、恥ずかしそうに自分の席へ戻っていった。
その姿を見て、リオンが肘でアルスを軽くつつく。
「お前、もう友達できたのか。」
「そういうわけじゃない。」
「いや、絶対そうだろ。」
アルスは苦笑するしかなかった。
◇
午前の授業は王国史だった。
教壇に立つのは歴史教師、エドワード・ハインズ。
白髪混じりの老人で、学院でも有数の歴史学者として知られている。
「今日は世界の歴史について学ぶ。」
教師は巨大な地図を広げた。
そこには現在の世界地図が描かれていた。
サウザンド王国。
ロイアグナ自由同盟。
魔物王国シャベルト。
そして、西の大陸に並ぶ九つの国。
「諸君も知っている通り、西大陸の五か国──ノルディア王国、ヴァルディス帝国、エルガル公国、ミレシア王国、ベルグ自治連邦は、およそ三千年前から戦争を続けている。」
教師は杖で地図を示す。
「停戦はあっても、完全な終戦は一度もない。」
「先生。」
一人の生徒が手を挙げた。
「どうしてそんなに長く戦争が続いているんですか?」
「理由は分かっていない。」
教師は静かに答える。
「資源、宗教、領土、民族……時代によって理由は変わる。しかし戦争そのものは終わらない。」
「まるで呪いみたいですね。」
「そのように表現する学者もいる。」
アルスは教師の言葉を聞きながら考えていた。
(理由は分かっていない……か。)
歴史書には、そう書かれている。
だが本当の理由は違うはずだ。
誰かが意図的に歴史を隠している。
その確信だけはあった。
◇
「では質問だ。」
教師は教室全体を見渡した。
「世界で唯一、人類が詳しく調査できていない場所はどこだ。」
何人もの生徒が手を挙げる。
「未開地です!」
「その通り。」
教師は頷いた。
「未開地へ向かった探検隊は数え切れない。しかし、生還した者は極めて少ない。」
「魔物が多いからですか?」
「それも理由の一つだ。」
教師は少しだけ間を置いた。
「だが、不可解な点もある。」
教室が静まり返る。
「ある探検隊は魔物と遭遇した形跡もないまま消息を絶った。」
「またある探検隊は、帰還したにもかかわらず『何も覚えていない』と言っていた。」
ざわめきが広がる。
アルスも眉をひそめた。
(……前世では聞かなかった話だ。)
それとも、自分が知らなかっただけなのか。
教師は本を閉じた。
「未開地には、まだ我々の知らない何かがある。」
その言葉だけが、アルスの胸に強く残った。
◇
授業が終わり、昼休みになる。
アルスは一人、学院図書館へ向かった。
重厚な木製の扉を開くと、紙とインクの香りが漂う。
天井まで届く本棚には、数千冊を超える書物が並んでいた。
(ここなら何か見つかるかもしれない。)
アルスは迷わず「古代史」の棚へ向かう。
そこで一冊の分厚い本を手に取った。
表紙には金文字でこう書かれている。
『建国年代記』
ゆっくりとページをめくる。
初代国王。
建国。
戦争。
同盟。
どれも教科書で読んだ内容と変わらない。
しかし、一か所だけ違和感があった。
あるページだけが、不自然なほど新しい。
周囲の紙は黄ばんでいるのに、その一枚だけ色が白い。
「……貼り替えられている?」
アルスは目を細める。
本の修復にしては不自然だった。
まるで、最初からそこに書かれていた内容を、誰かが意図的に差し替えたように。
その瞬間だった。
「その本に興味があるのですか?」
背後から、落ち着いた女性の声が響いた。
アルスが振り返る。
そこには学院の司書服を身にまとった、一人の女性が立っていた。
長い黒髪。
切れ長の瞳。
年齢は二十代半ばほど。
優しげな笑みを浮かべている。
だが――。
アルスの鼓動が、一瞬止まった。
(この人は……。)
前世では、一度も会ったことがない。
歴史が変わったことで現れた人物なのか。
それとも、前世で気づかなかっただけなのか。
女性は静かに微笑む。
「その本には、少し面白い秘密がありますよ。」
アルスは無意識に息をのんだ。




