第4話 幼化症
ホテル客室清掃員の田口良枝は、滋賀県某所の市民病院に到着した。
自分の身に起きているありえない変化をどのように伝えるか。総合受付に
向かいながら良枝は迷っていた。
「信じてもらえるのだろうか」
無理もない。私は高齢者ですがありえないほど若返ってしまい困っていますと
言われて誰が信じてくれるのだろうか。
良枝は総合受付の看護師に声をかける。
「すみません。自分の体に起きている状態をどのように伝えればよいか...
どこの科で診てもらえばよいか困っています」
看護師は少し困惑した後「それでは総合診療科へご案内しますね。お待ち
いただいている間、この初診アンケートに記入をお願いします」
良枝はアンケートを受け取ると、わずか三年の間に起きた体の変化を順番に
書いていった。
アンケートを書き終え受付の看護師に返す。待合ソファに座り受付を
眺めていると、アンケートに目を通す看護師の表情がみるみる変わって
いくのがわかる。
マスクと三角巾を外した時に支配人の墨田も同じような表情をしていたのを
良枝は思い出した。
次第に受付周辺があわただしくなっていく。
アンケートを返してから二十分ほど経つと、良枝は総合診療科ではなく
心療内科のカウンセリングルームへ案内された。
良枝はすぐに精神異常か妄想性障害と思われているとわかった。
ここまでは予想通りだ。前例の無いありえない変化を信じてくれる医師は
いるのだろうか。
良枝は一抹の不安を覚えながらカウンセリングルームへ入った。
カウンセリングルームに入ると、一目で役職が高いとわかる男性が立っていた。
「こんにちは。院長の大和田といいます。田口良枝さんですね」
良枝に診察椅子への着席を促す。良枝が座るのを確認すると、大和田も
ゆっくりと椅子に座った。
「アンケートを拝見しました。大変でしたね」
続いて大和田は意外な言葉を口にする。
「安心してください。田口さん、あなただけではありませんよ」
”私だけではなかったんだ”良枝は少し気が楽になると同時に次に来る不安を
思い出す。
「このままだと私はこどもになっていくのでしょうか」
良枝が吐露すると
「数日中に東京にある病院で精密検査を受けていただきます。これ以上症状が
進行しないよう特別に編成された医療チームが全力を尽くします」
大和田はやさしい顔で良枝を見つめる。
「紹介状を書きますね。お大事にしてください」
診察が終わり良枝は受付で精算を済ませると、紹介状を受け取った。
「明後日までに東京へ行かないといけないのか」
紹介状と一緒に受け取った紙を見た良枝は小さなため息をつく。
ふと受付の奥を見ると、大和田がやさしい顔で自分を見ている事に気付いた。
良枝は軽く一礼をして病院を後にした。
大和田は良枝が正面玄関から出ていくのを見届けると、一瞬で険しい顔に
変わった。
急ぎ足で院長室に戻り一本の電話をかける。
「大和田です。二日以内に一名そちらに行きます。管理番号は...」
用件を伝え終え電話を切ると、大和田は机を叩く。
「ここまで早いとは...」
右手で頭を押さえながら大和田は倒れ込むように椅子に座り込んだ。
二日後。
良枝は指定された東京の病院にいた。予想を遥かに超える量の検査項目が
書かれた診察票を見て驚く。
「変化の原因、早くわかるといいな」
仕事に復帰する為に必要な検査なのだと良枝は心の中で自分に言い聞かせて
いた。
看護師の指示に従い良枝は診察台で横になる。
「田口良枝さんですね。採血しますね」
「お願いします」
体の変化が収まり元の姿に戻っていくまでの間...。また短距離選手として
再挑戦できるかな。
いや、喫茶店や美容院とか何か新しい仕事を始めてみるのもいいかもしれない。
検査を受けながら良枝はこれからの生き方を模索していた。
一方で
同病院の特別医療チームが最優先で随時送られてくる良枝の生体データの
研究を進めていた。
医師会や学会、研究会では未知の身体変化の発見や報告が数年前から
寄せられていた。
報告数は時間が経つにつれ増加していく。一部の医師や看護師の間では
”若返り病”や”若人症候群”などと呼ばれ始めた。
しかし報告の多くは外見に大きな変化が現れず、美容外科や迷信で片づけられる
程度のものであり、世間に公表はせず秘密裏に未知の身体変化の原因と解明が
進められていた。
そんな最中、とうとう隠し切れない人物が現れてしまう。田口良枝だ。
良枝の血液、毛髪をはじめとしたあらゆる生体情報が蓄積されていく。
それらは採取した時間毎に分類し、データ化されていった。
良枝は体の変化が収まる事を信じ、病院と自宅を往復する日々が続いた。
一ヶ月、三ヶ月、半年...時間だけが過ぎていく。
生体データ解析の結果、六十七歳の良枝が変化を自覚して三年で推定二十二歳
にまで若返っている事実が判明した。一年平均で十五歳ずつ若返っていった
計算になる。
得られた結果を元に様々な処置が行われるが、良枝の体の変化は一向に
収まらない。
成人女性から少女へと外見は更に変わっていった。
そして更に時は流れ、良枝が初めて東京の病院へ来て一年が経とうとする頃...。
良枝は遂に自宅へ帰ることができなくなった。
その体は小学校低学年くらいにまで幼児化し、記憶の欠落が始まっていた。
記憶が欠けていく中、良枝は走馬灯のように過去の出来事を辿っていた。
早朝。仕事場のホテルに向かっている。自転車を漕ぐ自分がいる。
老いた懐かしい自分がいる。
しばらくすると急に空が明るくなり凄まじい轟音がしたかと思うと、
目の前を青白く光る飛翔体が通り過ぎてゆく...。
「ああ、なんて綺麗なんだろう...!」
良枝は琵琶湖に落下した隕石と遭遇していた。
良枝が自宅へ帰れなくなってから二ヶ月後。
”滋賀県大津市のホテル従業員 田口良枝 六十八歳が未知の奇病を発症。
わずか四年で異常とも思える若返りを経て乳児にまで変貌、後に死亡が
確認された”
政府直下の特別医療組織から公式に発表される。
未知の奇病は『幼化症』と名付けられた。
名を得た未知の変化が人類を試し始める。




