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神の石 -Back to the Baby-  作者: 中山 英司


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第3話 若返り

隕石落下から四年後。


「どうしよう...。もう隠しきれないかも...」

自宅寝室に置かれた姿見鏡の前で下着姿の女性が怯えている。


彼女の名は田口良枝。年齢は六十七歳で琵琶湖の湖岸に面したホテルの客室

清掃員として働いている。

鏡に映る良枝の姿は二十代の若い女性にしか見えない。

「仕事に行かなくちゃ」

両手で頬を叩いて気合を入れると、見た目を隠す支度を始めた。


家を出て仕事場のホテルへ向かう。自転車を漕ぎながら良枝は自分の体に

次々と起きた変化を思い返していた。

良枝は独身で婚姻歴は無い。容姿に恵まれなかったが子どもの頃から

運動神経が抜群で陸上競技に専念する学生時代を送った。

推薦で大企業のスポーツチームに入り短距離選手として世界大会を目指したが、

求められる成績を残すことができず退職。

人生の目標を失ったまましばらく職を転々としたが、現在のホテル客室清掃員に

落ち着きもうすぐ十五年になろうとしていた。


最初の変化に気付いたのは約三年前 毛髪だった。白髪を染めようと前髪を

掻き揚げた時に根元が黒くなっている髪の毛を見つけた。

見つけた時の黒髪はまだらだったが、三ヶ月もすると白髪染めが不要なほど

黒くなっていた。

この時は”食生活を変えると白髪が少なくなる”健康知識を耳にしたのを

思い出しあまり気にしていなかった。

白髪染めが要らなくなってからおよそ半年後、月のものが再開した。

この瞬間、自分の体にありえない変化が起きている事を良枝は確信した。

当初は不安より喜びの方が大きかった。徐々に肌つやも良くなり、

職場の同僚から羨ましがられた。しかし時間が経つにつれ”その歳で結婚できると

思っているの”とか”好きな男ができて色気付いている”などと陰口を言われて

いるのを仲の良い同僚から聞いた。若くなっていく喜びより年相応でない

外見を知られる不安と恐怖が勝る様になった。

急激に若返っていく外見に戸惑い、仕事以外でも必死に隠すようになっていった。


良枝はホテルに到着すると、ヘルメットを外しすぐに三角巾を被る。

客室清掃員の仕事はベッドメイキングやシーツの交換で埃が舞うので、

マスクや三角巾をしていても怪しまれない。肌は長袖長ズボンで隠すことが

できる。

体力的にきついが今の良枝にうってつけの仕事になっていた。

事務室に入り出勤の打刻を済ませると、客室清掃責任者が良枝に声をかける。

良枝より十歳ほど年下の女性だ。

「田口さん、本日は五階の南フロアをお願いね。502号室は連泊のお客様で

アメニティ補充のみで良いそうです」

「わかりました。カートチェックに行ってきます」

良枝は責任者に一礼し、台車置き場へ向かう。担当のキーピングカートにタオルを

補充していると、ホテルチーフの江口が走ってきた。三年前に入社した若い

男性だ。

「業務が終わったら支配人室へ寄ってください。墨田さん直々に田口さんに

確認したい事があるそうです」

「承知しました。ありがとうございます」

江口はいぶかしげに良枝を見つめた後、何も言わずに台車置き場から去って

いった。

十五年働いてきて支配人室に呼ばれるのは初めてだ。たぶん、見つかった...。

江口の態度を見た良枝は覚悟を決めた。


チェックアウトされた部屋から順番に、良枝は慣れた手付きで清掃を進めていく。

いつもと違い上の空で進めていく。いかにして支配人をやり過ごすか...。

そのことばかり考えていた。

人は不思議なもので、大きな問題に囚われていたり焦っている時ほど時の流れを

早く感じる。ふと気が付くと担当フロアの清掃が完了していた。

業務を終えた良枝は支配人室へと向かう。徐々に心臓の鼓動が大きくなっていく。

支配人室に到着すると大きく深呼吸をした後にドアをノックした。

「失礼します。客室清掃の田口です」

「どうぞお入りください」

入室し一礼をする。部屋を見渡すと支配人の墨田が書類を手にして立っていた。

他に人はいない。

墨田は瘦せ型の男性でいかにも仕事のできそうな容姿をしている。

年齢は噂で五十歳くらいと聞いている。

墨田とは年に数回、ホテル内ですれ違う程度の関係だ。

「田口さんですね。本日の業務お疲れさまでした。今回お呼びしたのは他の客室

清掃員から田口さんについて情報提供がありましたので、事実確認をさせて

ください」

重々しい声で墨田が話し始める。

「単刀直入に言います。顔に付けているマスクと頭の三角巾を外してもらえ

ますか」

もう少し時間をかけてから問い詰めてくると思っていた良枝は少し動揺する。

「申し訳ありませんが...外さなければいけない理由を教えていただけますか」

緊張した声で良枝が言うと

「田口さんではない従業員、つまり全くの別人が働いているとの情報が本当

なのか確認したいからです」

良枝は周りの同僚から”年相応でない外見”を怪しまれ晒される覚悟はしていた。

しかし現実は外見ではなく”別人の疑い”が掛けられている。

良枝は愕然としていた。


長い沈黙の後、

「わかりました」良枝は言われた通り素直にマスクと三角巾を外した。

外した瞬間、墨田は手にしていた書類と良枝の姿を見比べながら信じられない

表情を浮かべる。

墨田が手にしていた書類は良枝が十五年前に提出した履歴書だった。

「ありえない...!」墨田は声を荒げる。

「本人だけど本人ではない?一体どうなっているんだ...」

田口本人であれば年齢は六十七歳の筈である。履歴書の写真は十五年前、五十二歳

のものになる。

だが目の前にいるのは、履歴書の写真よりはるかに若くそしてどう見ても

田口本人としか思えない二十代の女性だった。墨田は混乱し動揺した。


更に長い沈黙の後、墨田はその場を取り繕うかのように履歴書に書かれた

生年月日や学歴、職歴を良枝が答えられるか確認を始めた。

良枝は淡々とそして正確に答えていく。全ての確認が終わると、墨田は額に手を

当てながら口を開く。

「理不尽を承知で言います。私はあなたが田口さんではないと判断しました。

あなたが田口良枝さん本人であるという証拠を提出できるまで出勤停止を

命じます」

良枝は大きく息をすると

「わかりました。本日はこれで失礼します」

外したマスクと三角巾を手に取り一礼すると、良枝は逃げるように支配人室

から退出した。

何も悪い事をしていないのになんて重い処分なんだろう。

墨田が下した処分に怒りつつも良枝はわずかに安堵を感じていた。


「もう隠さなくていいんだ」


事務室に戻り退勤の打刻を済ませようとする良枝を周りの同僚が驚いた

顔で見つめる。

良枝はマスクと三角巾を付けていなかった。付ける必要がなかった。

私は何に怯えていたんだろう。何故不安や恐怖に駆られていたんだろう。

急激に変わっていく外見に思考を奪われ、良枝は隠し続けるしかないと

思い込んでいた。

隠す必要がなくなった途端、良枝はいつか訪れるであろう次の不安に

気付く。


「このまま子どもになってしまうのかな」


良枝は自転車には乗らず、歩いてホテルを出る。

気が付くと、良枝は全力で走っていた。頭の中をからっぽにして走っていた。


自分の身に何が起きているのかはわからない。

でも今日だけは...何もかも忘れて走り続けたいと良枝は思った。

短距離選手だった私。世界大会を目指していた私...。

走り続ける良枝の顔は希望に満ち溢れていた。



数日後。


良枝は自分の身に起きているありえない変化を調べる為、県内にある市民病院へと

向かっていた。



遂に未知の変化が人類へ牙をむき、広がり始める。


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