2-29 北の禁域
第二章
焔帝編
第二十九話
北へ向かうほど。
景色が変わっていった。
森が消える。
動物もいない。
鳥の鳴き声すら聞こえない。
静かだった。
異様なほどに。
グラムが馬を降りる。
「ここから先は徒歩だ」
ノアも周囲を見る。
何かがおかしい。
生命の気配がない。
まるで世界から忘れられた土地だった。
セレスも顔をしかめる。
「嫌な感じがします」
グラムは頷く。
「昔からだ」
静かな声。
「子供の頃から近付くなと言われていた」
風が吹く。
冷たい。
夏のはずなのに。
妙に寒い。
そして。
数時間後。
目的地が見えた。
全員が足を止める。
言葉を失う。
巨大な門だった。
山より高い。
都市より大きい。
人間が作れる大きさじゃない。
黒い石で出来ている。
傷一つない。
何千年も前からそこにあるような。
そんな存在感だった。
ノアの境界が反応する。
今までで最大だった。
頭痛。
吐き気。
視界が歪む。
世界の線が見える。
無数の線。
その全てが。
門へ繋がっている。
帝国。
共和国。
神聖国。
英雄。
人々。
国家。
全部。
まるで世界の中心みたいに。
門へ集まっている。
ノアが息を呑む。
「何だこれは」
セレスも青ざめる。
神聖力が反応している。
本能が警告している。
近付くなと。
その時だった。
グラムが笑った。
「いたぞ」
門の前。
一人の男が立っている。
アベルだった。
背中を向けたまま。
巨大な門を見上げている。
まるで誰かを待つように。
グラムが近付く。
「よう」
静かな声。
アベルが振り返る。
少しだけ笑った。
「来たか」
「呼んだのはお前だろ」
「違いない」
二人が笑う。
師弟だった。
本当に。
戦場で戦っていた二人とは思えない。
だが。
ノアは気付く。
アベルの表情。
どこか疲れている。
諦めているようにも見える。
その時だった。
アベルが門へ視線を戻す。
そして。
静かに言った。
「お前はどう思う」
グラムが聞く。
「何がだ」
アベルは答える。
「英雄だ」
静寂。
グラムの顔が変わる。
アベルは続ける。
「守れたか」
風が吹く。
グラムは黙った。
今まで守ってきた。
沢山。
だが。
守れなかった人もいる。
ベルグ。
リュシア。
消えた都市。
消えた命。
全部は救えなかった。
アベルが言う。
「俺は守れなかった」
静かな声。
「だから剣を振った」
「もっと強くなれば守れると思った」
誰も喋らない。
アベルは笑う。
悲しそうに。
「だが」
「世界は俺より大きかった」
静寂。
ノアは見ていた。
これは戦いじゃない。
英雄の告白だ。
グラムが聞く。
「だから諦めたのか」
アベルは首を横に振る。
「違う」
即答だった。
そして。
巨大な門を見る。
「だから答えを探した」
その時だった。
門が震える。
全員の顔色が変わる。
轟音。
大地が揺れる。
山が軋む。
門の中央。
閉じられていたはずの黒い石。
そこに。
一本の線が走る。
亀裂だった。
静寂。
アベルの顔から笑みが消える。
初めてだった。
本気の表情を見せたのは。
「まずいな」
小さな声。
グラムも剣を握る。
セレスも。
ノアも。
門の向こう側。
そこから。
何かが出てこようとしている。
ノアの境界が悲鳴を上げる。
見える。
門の向こう。
世界の線が存在しない場所。
観測者とも違う。
執行者とも違う。
もっと古い。
もっと根源的な何か。
アベルが剣を抜く。
ゆっくりと。
静かに。
そして。
初めて本気の声で言った。
「下がれ」
グラムが振り返る。
アベルは門を見ている。
その目に。
恐怖があった。
世界最強の剣聖が。
初めて見せる恐怖。
「ここから先は」
静かな声。
「英雄の仕事じゃない」
亀裂が広がる。
門が開き始める。
そして。
ノアは理解する。
自分達は今。
世界の秘密へ近付き過ぎている。




