2-16 執行者
第二章
焔帝編
第十六話
世界が止まっていた。
暴走していた光。
崩壊しかけていた空間。
砕けていた大地。
全てが静止している。
まるで時間そのものが凍ったみたいだった。
セレスの前に。
執行者が立っている。
ただそれだけで。
世界が従っていた。
グラムは目を離せなかった。
ノアも。
案内人も。
誰も。
執行者だけが動いている。
それが異常だった。
「何をした」
グラムが聞く。
執行者は振り返らない。
セレスを見たまま答える。
「何も」
静かな声。
「止めただけだ」
意味が分からない。
だが。
誰も追及できなかった。
目の前の光景が常識を超えていた。
執行者が手を伸ばす。
ゆっくりと。
優しく。
そして。
セレスの額へ指を置いた。
「思い出せ」
静寂。
セレスの身体が震える。
「お前は何故ここへ来た」
涙が溢れる。
「何を願った」
唇が震える。
「何を守りたかった」
その瞬間だった。
ノアの視界が揺れる。
世界が歪む。
知らない景色が流れ込んできた。
燃える街。
泣いている子供。
倒れている兵士。
血に染まった神殿。
膝を抱えて泣いている少女。
若い頃のセレスだった。
まだ英雄ではない。
まだ聖女でもない。
ただの少女。
少女は泣いていた。
何も守れなかったから。
何も救えなかったから。
だから願った。
誰も悲しまない世界を。
誰も傷付かない世界を。
だから戦った。
だから英雄になった。
景色が消える。
ノアは息を呑んだ。
今見えたものは何だったのか。
分からない。
だが一つだけ分かる。
セレスは壊れていない。
迷っているだけだ。
理想と現実の間で。
苦しんでいるだけだ。
執行者が言う。
「思い出したか」
セレスの瞳に光が戻る。
ほんの少し。
だが確かに。
「……私は」
声が震える。
「守りたかった」
涙が零れる。
「みんなを」
執行者は静かに頷く。
「なら立て」
セレスが顔を上げる。
執行者は続ける。
「お前はまだ終わっていない」
その時だった。
第二階層全体が揺れた。
轟音。
今までとは違う。
もっと重い。
もっと大きい。
空間そのものが軋んでいる。
案内人の顔色が変わった。
初めてだった。
本気で焦ったのは。
「まずいですね」
グラムが振り返る。
「何だ」
案内人は上を見る。
天井を。
その先を。
塔のさらに上を。
「第三階層が動いています」
ノアが眉をひそめる。
意味が分からない。
だが。
執行者だけは理解していた。
静かに塔の上を見上げる。
そして。
小さく呟いた。
「始まったか」
その声には。
初めて緊張が混じっていた。
世界最強を圧倒した男。
執行者。
その男が警戒する存在。
塔が揺れる。
空間が裂ける。
天井に巨大な亀裂が走る。
第二階層の空が割れた。
そこから。
何かが落ちてくる。
人影だった。
ゆっくりと。
まるで重力など存在しないかのように。
執行者の目が細くなる。
初めてだった。
感情を隠さなかったのは。
「お前か」
落下してくる人影が笑う。
楽しそうに。
本当に楽しそうに。
そして。
口を開いた。
「久しぶりだな」
その瞬間。
グラムの背筋を冷たいものが走る。
黒い影を見た時とも違う。
執行者を見た時とも違う。
本能が叫んでいた。
危険だと。
絶対に近付いてはいけないと。
だが。
その男は笑っていた。
まるで旧友と再会したように。
執行者だけを見ながら。




