2-5 軍事国家
第二章
焔帝編
第五話
帝国首都ヴァルハイム。
世界最大の軍事国家。
人口五百万。
高くそびえる城壁。
無数の兵士。
整備された街路。
ノアは初めて帝国の中心へ足を踏み入れた。
想像していたより。
ずっと平和だった。
商人が叫ぶ。
子供が走る。
恋人達が笑う。
共和国と戦争中とは思えない。
ノアは周囲を見回した。
「どうだ」
隣を歩くグラムが聞く。
「普通だな」
「普通だろ」
グラムは笑う。
「戦争してるのは軍だ」
「国民じゃない」
ノアは黙る。
その言葉は妙に重かった。
しばらく歩く。
すると通りの向こうから兵士達がやって来た。
グラムを見つけた瞬間。
表情が変わる。
歓声。
敬礼。
憧れ。
信頼。
兵士達の顔にはそれしかなかった。
「グラム様!」
若い兵士が駆け寄る。
まだ二十歳にもなっていない。
「次も勝てますよね!」
グラムは答えない。
兵士は笑う。
疑っていない。
欠片も。
「グラム様がいれば負けません!」
周囲も頷く。
当然のように。
当たり前のように。
ノアはその光景を見ていた。
兵士達が去る。
しばらく沈黙。
そして。
ノアが言った。
「これか」
グラムは黙る。
「お前が言っていたのは」
風が吹く。
ノアは続ける。
「お前が勝つ」
「お前が守る」
「お前が決める」
「だから考えなくなる」
静寂。
グラムは笑わなかった。
空を見上げる。
そして。
小さく呟く。
「反論できんな」
初めてだった。
グラムがノアの言葉を否定しなかったのは。
そのまま二人は軍司令部へ向かった。
帝国軍最高司令部。
巨大な会議室。
将軍達が集まっている。
共和国戦線。
神聖国。
消えた都市。
黒い影。
世界中の情報が並んでいた。
グラムが席に座る。
将軍達が一斉に姿勢を正した。
会議が始まる。
各地の報告。
戦況報告。
被害報告。
そして。
最後に黒い影の話題になった。
誰も正体を知らない。
誰も目的を知らない。
重苦しい空気が流れる。
その時。
一人の将軍が口を開いた。
「グラム様」
「どうされますか」
ノアは視線を向ける。
将軍だった。
帝国軍最高幹部の一人。
それなのに。
自分の意見を言わない。
答えを求めている。
グラムへ。
いつも通り。
当然のように。
グラムは静かに聞いた。
「お前はどう思う」
将軍が固まる。
「え?」
「聞いている」
静かな声だった。
「お前はどう思う」
将軍は答えられない。
考えていなかった。
グラムが決めると思っていた。
いつもそうだった。
だから。
考えていなかった。
会議室が静まり返る。
誰も喋らない。
グラムは周囲を見る。
将軍達。
参謀達。
全員同じ顔だった。
答えを待っている。
自分で考えずに。
グラムは目を閉じる。
そして。
小さくため息を吐いた。
「やっぱりか」
その声は誰にも聞こえなかった。
会議が終わる。
夜。
司令部の屋上。
帝都の灯りが広がっていた。
グラムは酒瓶を片手に座っている。
ノアも隣へ来た。
しばらく沈黙。
やがて。
ノアが聞く。
「どうした」
グラムは街を見下ろした。
子供達。
商人。
兵士。
無数の灯り。
守ってきたもの。
その全てを。
そして。
静かに言った。
「俺が間違っていたのかもしれんな」
ノアは何も言わない。
グラムは続ける。
「守れば守るほど」
「頼られる」
「頼られるほど」
「考えなくなる」
風が吹く。
グラムは苦笑した。
「皮肉なもんだ」
世界最強。
焔帝グラム。
誰よりも国を守ってきた男。
その男が今。
初めて自分の在り方を疑っていた。
ノアは街を見る。
そして。
少しだけ思う。
英雄を否定するのは簡単だ。
だが。
グラムがいなければ。
この街は今も存在したのだろうか。
答えは分からない。
また一つ。
分からないことが増えた。
その時だった。
屋上の扉が勢いよく開く。
副官だった。
息を切らしている。
顔色が悪い。
異常なほど。
グラムが立ち上がる。
「何があった」
副官は報告書を差し出した。
震える声。
「北部要塞都市ベルグ」
静寂。
「消滅しました」
風が止まる。
ノアとグラムの表情が変わった。
人口十万。
帝国最大級の要塞都市。
生存者。
ゼロ。
グラムは報告書を読む。
そこには最後の一文だけが記されていた。
⸻
空に黒い人影を見た
⸻
グラムは静かに報告書を閉じた。
そして。
初めて怒りを滲ませる。
「二度目か」
夜空を見上げる。
黒い影はいない。
だが。
確実に近付いている。
次は帝国だった。




