2-4 恐怖心
第二章
焔帝編
第四話
帝国へ戻る途中だった。
黒い影。
消えた都市。
鐘楼に残された剣傷。
あれから二日。
グラムは珍しく静かだった。
ノアが横を見る。
いつもなら笑っている。
戦いたがる。
酒を飲む。
だが今は違う。
考えていた。
ずっと。
「珍しいな」
ノアが言う。
グラムが振り返る。
「何がだ」
「静かだ」
グラムは少し考えた。
そして笑う。
「そうかもな」
風が吹く。
しばらく沈黙。
やがて。
ノアが聞く。
「怖いのか」
グラムの足が止まる。
数秒。
沈黙。
そして。
笑った。
「怖いぞ」
即答だった。
ノアは少し驚く。
グラムは空を見上げる。
「知らん奴だからな」
「知らん強さだからな」
静かな声。
「見たことないものは怖い」
「負けるかもしれない奴は怖い」
そして。
肩を竦める。
「だから強くなる」
それだけだった。
⸻
その日の夕方。
二人は帝国領の小さな村へ立ち寄った。
人口二百ほど。
麦畑に囲まれた農村。
グラムを見つけた瞬間。
村人達の顔が明るくなる。
「グラム様!」
子供達が駆け寄る。
老人達が笑う。
農夫達が手を振る。
グラムは全員の名前を覚えていた。
子供を肩車する。
老人の荷物を持つ。
畑を見て回る。
ノアは少し離れて見ていた。
戦場では怪物。
ここでは英雄。
不思議な男だった。
村長が近付いてくる。
「お連れ様ですかな」
「まあな」
「グラム様には感謝しかありません」
村長は笑う。
「三年前の飢饉も」
「盗賊も」
「魔獣も」
「全部助けてくれました」
ノアは何も言わなかった。
ただ。
グラムを見る。
村人達が笑う理由が少しだけ分かった。
⸻
夜。
村人達が寝静まる。
ノアは目を開けた。
外から轟音が聞こえた。
地面が揺れる。
村人達が起きない程度。
だが。
普通の人間なら出せない音。
ノアは外へ出る。
気配を追う。
森の奥。
そこには巨大な岩壁があった。
高さ五十メートル。
幅百メートル。
天然の崖。
その前に。
グラムが立っていた。
巨大な剣を肩に担いで。
月明かりだけが照らしている。
ノアは黙って見る。
グラムは剣を構えた。
炎は出ない。
光も出ない。
何も起きていないように見える。
だが。
空気がおかしかった。
周囲の風。
熱。
音。
全部が。
剣へ吸い込まれている。
まるで。
世界そのものが剣へ集まっていくみたいだった。
ノアが眉をひそめる。
「何をしている」
グラムは答える。
「圧縮だ」
静かな声。
剣の周囲が歪む。
目に見えない何かが集まっている。
そして。
振る。
轟音。
岩壁が消えた。
斬れたのではない。
吹き飛んだのでもない。
存在ごと削り取られた。
その跡だけが残る。
ノアは黙る。
グラムも黙る。
そして。
ため息を吐いた。
「駄目だな」
ノアが聞く。
「何がだ」
「威力が出過ぎた」
静寂。
ノアは岩壁を見る。
消えている。
何を言っている。
グラムは真面目だった。
「本当は右端だけ削る予定だった」
⸻
再び剣を構える。
今度は逆だった。
力を抑える。
圧縮。
圧縮。
さらに圧縮。
剣の周囲に赤い粒子が浮かぶ。
炎ではない。
圧縮しきれなかったエネルギーだ。
グラムが振る。
何も起きない。
ノアはそう思った。
数秒後。
五百メートル先。
木の葉一枚だけが燃えた。
それだけ。
グラムは首を振る。
「太い」
ノアは呆れた。
葉一枚だ。
それ以上何を求める。
グラムは納得していない。
「まだ無駄がある」
⸻
「それがお前の能力か」
ノアが聞く。
グラムは頷く。
「焔圧」
初めて聞く名だった。
「エネルギーを圧縮する」
グラムは拳を握る。
空気が震える。
「増幅する」
次の瞬間。
地面を蹴る。
消えた。
ノアの隣に現れる。
転移ではない。
速過ぎるだけ。
「解放する」
グラムは笑った。
「それだけだ」
ノアは黙る。
それだけ?
違う。
筋力。
速度。
防御。
斬撃。
炎。
全部できる。
万能だ。
だが。
グラムは首を振る。
「違う」
まるで心を読んだように。
「能力が強いんじゃない」
剣を肩へ担ぐ。
「二十年以上鍛えただけだ」
静寂。
ノアは何も言えなかった。
英雄候補は能力に溺れた。
多くの英雄もそうだろう。
だが。
この男は違う。
毎日。
毎日。
毎日。
能力を磨いた。
世界最強になった後も。
まだ。
⸻
やがて。
グラムが剣を下ろす。
汗が流れる。
呼吸も荒い。
珍しかった。
疲れているグラムを見るのは。
ノアが聞く。
「眠れんのか」
グラムは笑った。
「眠れん」
素直だった。
空を見る。
黒い影がいた空。
鐘楼に残された傷。
そして。
自分より上手い剣。
「初めてだからな」
静かな声。
少しだけ悔しそうだった。
だが。
その目は燃えていた。
恐怖だけじゃない。
興奮もある。
世界最強を超える相手。
そんな存在を。
ずっと待っていたみたいに。
ノアは聞く。
「怖いんじゃなかったのか」
グラムは笑う。
「ああ」
そして。
再び剣を構える。
周囲の熱。
風。
力。
全てが集まる。
「怖いぞ」
月明かりの下。
世界最強は笑う。
「だから鍛えるんだ」
風が吹く。
焔帝グラム。
その男は才能で頂点に立った訳じゃない。
恐怖から逃げなかった。
努力をやめなかった。
だから強い。
だから届かない。
だから。
世界最強だった。
ノアは黙ってその背中を見ていた。
そして初めて思う。
この男が本気を出せば戦争でも戦場でも
今は勝てないかもしれないということを。




