1-10 撤退
第一章
英雄狩り編
第十話
帝国親衛隊壊滅。
その報告は翌朝には本陣へ届いた。
副官は報告書を握りしめていた。
手が震えている。
親衛隊。
帝国最強。
英雄直属。
その部隊が全滅した。
しかも。
たった三人相手に。
「……あり得ない」
副官が呟く。
その向かい。
グラムは朝食を食べていた。
「そうか」
興味深そうに報告書を受け取る。
親衛隊長死亡。
生存者なし。
推定討伐者ノア。
数秒。
沈黙。
そして。
「全滅したか」
副官は頭を抱える。
「全滅したか、ではありません!」
珍しく声を荒げた。
「親衛隊です!」
「知ってる」
「帝国最強です!」
「知ってる」
「全滅しました!」
「知ってる」
グラムはパンを齧る。
副官は深呼吸した。
落ち着け。
相手はグラムだ。
常識で話してはいけない。
「どうしますか」
グラムは窓の外を見る。
前線。
進軍中の帝国軍。
勝っている。
戦場では。
だが。
補給は限界だった。
「撤退だな」
副官の動きが止まる。
今。
何と言った。
「……撤退?」
「そうだ」
「ですが!」
副官が立ち上がる。
「戦況は優勢です!」
「知ってる」
「共和国は限界です!」
「知ってる」
「なら何故!」
グラムは笑った。
「飯がない」
静寂。
副官は言葉を失う。
グラムは地図を指差した。
補給拠点。
全部潰されている。
輸送路も。
倉庫も。
港も。
「戦争は兵士がする」
グラムが言う。
「俺じゃない。それをあいつから学んだ気がする」
副官は黙った。
初めて聞いた。
グラムがそんなことを言うのを。
「ノアは正しい」
静かな声だった。
「俺を見ていたんじゃない」
「帝国軍を見ていた」
グラムは立ち上がる。
巨大な剣を背負う。
「負けたな」
副官は拳を握る。
悔しかった。
だが。
否定できない。
帝国軍は。
戦争に負けた。
⸻
同じ頃。
共和国首都アステリア。
会議室。
将軍達は騒然としていた。
「帝国が撤退する!」
「本当か!?」
「確認済みです!」
歓声。
拍手。
誰もが笑っていた。
奇跡だった。
焔帝グラム率いる帝国軍。
その撤退。
あり得ない。
本来なら。
だが。
一人だけ。
笑っていない男がいた。
ノア。
リゼが隣を見る。
「勝ちましたね」
ノアは地図を見ていた。
「そうだな」
反応が薄い。
リゼが首を傾げる。
「嬉しくないんですか」
「嬉しい」
「見えません」
「そうか」
本当に見えなかった。
ノアは考えていた。
グラムの言葉を。
⸻
俺を倒しても戦争は終わらん
⸻
あの言葉。
ずっと残っている。
⸻
その夜。
共和国中が祝宴だった。
酒。
歌。
歓声。
英雄のいない勝利。
歴史的快挙。
誰もがそう叫んでいる。
だが。
城壁の上。
ノアだけは夜空を見ていた。
足音。
リゼだった。
酒を持っている。
「参加しないんですか」
「しない」
「でしょうね」
リゼも隣に座る。
しばらく沈黙。
夜風だけが吹く。
やがて。
リゼが言った。
「英雄を倒したかったんですよね」
「そうだ」
「でも今回は倒してません」
「そうだ」
「なのに勝ちました」
ノアは黙る。
それが答えだった。
リゼは笑う。
「少しは分かりました?」
「何がだ」
「戦争です」
静寂。
ノアは空を見る。
そして。
小さく呟いた。
「まだ分からん」
本音だった。
本当に。
何も。
⸻
その時だった。
城壁の下。
伝令が駆け込んでくる。
顔色が悪い。
異常なほど。
「緊急報告!」
周囲がざわつく。
伝令は息を切らしながら叫んだ。
「神聖国軍が国境を越えました!」
静寂。
宴が止まる。
誰も理解できない。
神聖国。
同盟国。
共和国の。
その神聖国が。
何故。
伝令は続ける。
「先頭には英雄セレス!」
ざわめき。
混乱。
悲鳴。
ノアだけが動かなかった。
静かに立ち上がる。
そして。
夜空を見上げる。
「来たか」
本物の英雄。
グラム。
そして。
聖女セレス。
英雄狩りの戦いは。
まだ始まったばかりだった。




