第三十五話 どうして……私は食堂に預けられたのでしょうか
翌朝――クラウゼル家の広大なキッチンに、ひとりの少女の姿があった。
淡い蜂蜜色の髪を揺らしながら、エプロン姿で立つその人影――リリア・ルミナスである。
昨晩、彼女はエリシアに頼んでいた。
――朝食を、自分に用意させてほしいと。
「さて、腕を振るっちゃうわよ」
くるりと振り返り、誰もいない厨房に向かってリリアは笑う。
「レオニス、エリシア、待ってなさい!」
広い厨房は貸し切り状態。
だが、リリアはひとりではない。
『リリア、三人で食べるにはなんか量多くない?』
炎をまとった小さな精霊――フレアが、ふよふよと宙を漂いながら首をかしげる。
『三人で食べるわけじゃないと思うよ?』
静かな風の気配とともに現れたエアリスが、穏やかに言った。
「うん」
リリアはにっこり笑う。
「ここに住んでいる人にも振る舞おうと思ってるの」
その言葉に、精霊たちは顔を見合わせ――同時に笑った。
◇
――実はその頃。
厨房の外では、追い出されたはずの調理師たちが、こっそりと扉の隙間から様子をうかがっていた。
「……あれが、女神のリリアさん……?」
「か、かわいいな……」
「……ていうか、何作ってるんだ?」
「いい匂い……スープか……?」
ひそひそ声が飛び交う中――
「あ」
リリアが、ぱっと顔を上げた。
扉の外にいる使用人たちにリリアが気づいたのだ。
「もう少ししたらできますので、皆さんもどうぞ」
「えっ、僕たちのもあるんですか!?」
「はい、ご用意させていただいております」
その一言に、ざわめきが広がる。
「……僕たちのもあるらしいぞ」
「女神様って、優しいんだな……」
◇
数十分後――
食堂に運ばれたのは、湯気を立てる野菜スープと、焼きたてのパン。
その香りは廊下を伝い、屋敷中へと広がっていた。
――そして。
噂は瞬く間に広がる。
「女神が食事を振る舞うらしい」
「しかも、全員分だって……!」
気づけば食堂には、クラウゼル家の使用人たちが集まり――
数は、軽く数十人を超えていた。
「えっ……」
リリアはその光景に、思わず固まる。
「お、おおい……」
そのとき。
「こんなに招待していたのか?」
振り返れば、レオニスが立っていた。
「あの……ちょっと予想以上でしたが……」
リリアは苦笑いを浮かべる。
「沢山作ったので大丈夫だと思います……えへへ……」
「そうか」
レオニスはわずかに口元を緩める。
「せっかくの“妻”の初料理を食べ損ねては困るからな。私が最初にいただこう」
「だから妻じゃないですよ!?」
リリアは即座にツッコんだ。
「……相手にしなくていいよ」
横でエリシアがこそっと囁く。
リリアはくすりと笑い――
パンとスープを、ひとりひとりに配り始めた。
◇
そして――
一口、口にした瞬間。
「――っ!」
誰もが、言葉を失った。
体の奥に、じんわりと広がる温もり。
疲れがほどけ、心が軽くなる。
「す、すごい……これが、女神の……」
「体が軽い……!」
「こんな料理……初めてだ……!」
レオニスもまた、目を見開いていた。
(……これが、女神の加護か)
エリシアは両手を胸に当て、静かに目を閉じる。
幸福感が、全身を満たしていた。
そして使用人たちも――
「一生忘れません!」
「本当にありがとうございます……!」
「お、おおげさですね……」
リリアはやや引き気味に笑う。
「いや、おおげさではない」
レオニスが静かに言った。
「リリア、君は気づいていないのだな」
「ふふ」
エリシアが楽しそうに笑う。
「リリアさん、自分で気づいてないのね」
「そ、そうなんだ……」
リリアは頬を赤らめる。
「私、やっぱり、女神の力……持ってるんだ……
料理に加護?が付与されてるのね…」
「心身を癒す力だと思われる、伝承にも残っているんだ」
レオニスは淡々と分析する。
「おそらく君の常連は、健康だ。多少調子が悪くても、これを食べていれば回復する」
「でも……」
リリアはふっと微笑んだ。
「悪いことじゃなくて、よかった」
「当然だ。女神の力だぞ?」
「常連さんも、貴族のご婦人も、孤児院の子たちも……」
リリアはゆっくりと周囲を見渡す。
「みんなに癒しを届けられていたなら……私、嬉しい」
――その日の食事会は、大絶賛のうちに幕を閉じた。
そして、帰宅の時間。
屋敷の前には――
使用人たちが、ずらりと並んでいた。
「えっ……」
リリアは驚く。
「ヴァルディア公爵家の時は、みんな仕事をしていたのに……」
「言っただろう?」
レオニスが静かに言う。
「この家は普通の貴族ではない。オルド・セラフィム――神の末裔の集まりだ」
「みんな、家族も同然なんだ、上下はない」
「そして、私は代表に過ぎない」
「もちろん、外部の者がいる時は、一般的な貴族のように振る舞うがな」
リリアはその言葉を噛みしめる。
「すごい……」
「みんなが家族で、役割を持って……身分差がない世界なんて……」
「リリア」
レオニスが告げる。
「君も、その一員だ」
「え……」
「みんなは、君を家族だと思っている」
リリアは、見送る人々の顔を見る。
――優しい笑顔ばかりだった。
「リリアちゃん!またおいで!」
「公爵様が嫌なら、僕たちに会いに来て!」
「……公爵様が嫌って、どういうことなんだ?」
レオニスが首をかしげる。
「お兄様、そろそろ時間ですよ」
エリシアがやんわりと促す。
「ああ、そうだな」
こうして、リリアのクラウゼル家での滞在は終わった。
馬車に乗り込むその直前――
「リリアちゃん」
エリシアが、静かに言う。
「私たちは家族だから。突然できた家族かもしれないけど……」
「これからもずっと、あなたのことを想っている」
「食堂が大事なら、そこにいていい」
「でも――あなたの故郷は、ここにもあるってこと」
「忘れないでね」
「……エリシアちゃん……」
リリアは涙ぐみながら微笑む。
「ありがとう。また来るね……!」
馬車が走り出すとき、レオニスの従者の一人が、レオニスに何かを耳打ちした。
だが、リリアはそれに気づかなかった。
レオニスは従者の話を聞いて、一瞬、悲痛な表情を浮かべたが、
周りに悟らせないようにした。
そして、リリアを乗せた場所は走り始めた。
リリアの食堂まで馬車が走り出してから、少しの時間が経った。
揺れる車内で――リリアは隣の男を見る。
「あの……質問してもいいかな?」
レオニスに向けて、静かに問いかけた。
「どうして……私は食堂に預けられたのでしょうか
一緒にクラウゼル家の使用人として、神の末裔として
働くこともできたんじゃ…」
その問いに――
レオニスは、わずかに目を細めた。
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