第三十二話 君の本当のご両親についてもだ
夕刻前。
王城の一角にある取調室の扉を、アルヴィンは静かに押し開けた。
「……リリア?」
だが――
部屋の中は、しんと静まり返っていた。
椅子も、机も、そのまま。
ついさっきまで人がいたような空気だけが残っている。
しかし――
肝心のリリアの姿がない。
「……まさか」
アルヴィンは部屋の中央へ歩み寄る。
すると机の上に、
一枚の紙が置かれているのに気づいた。
手紙だ。
アルヴィンはそれを手に取る。
そこには、端正な筆跡でこう書かれていた。
――リリア嬢の希望もあって、
しばらくクラウゼル家で大切にお預かりします。
レオニス・クラウゼル。
「……なんだと!?」
思わず声が漏れる。
その時――
「どうした?」
背後から低い声が響いた。
振り向くと、そこには腕を組んだ
騎士団長ローエンの姿があった。
「団長……!」
アルヴィンは手紙を握りしめる。
「レオニスに……リリアを連れていかれてしまいました」
「王に守るよう命じられていたのに……!」
ローエンはその様子を見て、
ふっと口元をゆるめた。
「ほう?」
「今のお前を見ていると――
それだけではないように見えるがな」
アルヴィンが顔を上げる。
ローエンはニヤリと笑った。
「リリアが好きなのか?」
「なっ……!?」
アルヴィンの耳が赤くなる。
「団長! 調査対象……いや、いまや王からの命令による保護対象ですよ!」
「リリアは――」
ローエンが吹き出した。
「はっはっは!」
「お前がそんなふうにムキになるのは珍しいな」
「だ、団長……」
ローエンは肩をすくめる。
「いや、いいではないか」
「お前も人間らしくなってきたもんだ」
「リリアに感謝しないとな」
アルヴィンは眉をひそめた。
「どこまで私をからかうおつもりですか?」
「からかっているつもりはないがな」
ローエンは軽く手を振る。
「まあ心配するな」
「レオニスも、そう無茶はしないだろう」
「少なくとも、リリアのことは大切にすると思うぞ」
――大切にする。
アルヴィンの胸に、妙な引っかかりが残った。
(たしかに……レオニスもリリアを重要視していた)
(だが、それは――)
人としてではない。
女神という、利用できる存在としてではないのか?
そして、ふと。
別の考えが頭をよぎる。
(いや……)
(もし、やつが本当にリリアを好きになったら……?)
(その時、俺は……どう思うんだ……?)
その瞬間。
「まあ、しばらくは静養のために
レオニスのところにいるかもしれんがな」
ローエンの声が響いた。
まるで心の中を読んだようなタイミングだった。
「リリアにも食堂があるんだろう?」
「静養できたら戻ってくるさ」
「それに――」
団長は続ける。
「少なくとも、レオニスのところなら安全だ」
「お前はその間に、リリアの護衛に専念できるよう
他の仕事を整理しておけ」
アルヴィンは背筋を伸ばした。
「……はい。団長」
だがその胸の奥では、
言葉にできない焦りが渦巻いていた。
――一方その頃。
王都を出た馬車が、
西へ向かう街道を進んでいた。
馬車の中には、
リリアとレオニスの姿がある。
クラウゼル公爵家の領土は、王都の西側。
王都は北を山脈に守られ、
南は海に開かれている天然の要塞都市。
王国の領土は東西に広がっており、
東を――ヴァルディア公爵家。
西を――クラウゼル公爵家。
それぞれが守っていた。
やがて街道に、
海風が混じり始める。
リリアはそっと窓を開けた。
「……あ、私なぜここに…?馬車?」
レオニスが言う。
「君は見事浄化をやってのけたのだよ、大したものだ。
その後、少し意識を失っていた。家で休養するがいい」
リリアは目が覚めた。
「え!?クラウゼル公爵家で!?」
レオニスが言う。
「そうだ。もう少しでつく」
風が髪を揺らす。
潮の匂い。
リリアは海の方に来るのは初めてだったのだ。
「この匂いって……?」
レオニスが微笑む。
「海が近いんだ。潮の匂いがするだろ?そろそろクラウゼル家の邸宅だ」
彼は遠くを指さした。
「あそこの白い岬だ」
「岬?」とリリア。
レオニスはうなずく。
「クラウゼル家は西側を守るだけではない」
「海からの敵襲にも備えている」
「だから岬を要塞として邸宅を構えている」
リリアは目を輝かせた。
「海かー!」
「私、初めてかも!」
レオニスが驚く。
「そうなのか?」
「王都から出たことがなかったのか?」
リリアは笑った。
「この前、ヴァルディア公爵家に行ったときが初めてかな」
「そうか」
レオニスは頷く。
「じゃあ海はいいぞ」
その時――
馬車がゆっくりと止まった。
王都南西。
海を見下ろす白い岬。
そこに――
クラウゼル公爵家の邸宅があった。
「ここが……クラウゼル公爵家……」
リリアは思わず立ち止まる。
「ヴァルディア家が草原の城なら――」
案内役が言った。
「こちらは海の宮殿です」
岬の上に広がる巨大な敷地。
広さはヴァルディア家に劣らない。
だが雰囲気はまったく違う。
白い大理石の本館。
三階建ての建物は、
城というより――
芸術宮殿。
壁は白い大理石。
細く高い柱。
そして大きな窓は、
すべて海を向いていた。
まるで――
海を眺めるための屋敷。
さらに敷地は海へと続いていた。
段々状のテラス庭園。
崖が階段のように切り開かれ、
上から下へ――
三段の庭園が広がっている。
第一庭園。
白い噴水と彫刻。
第二庭園。
海風の花園とガラス温室。
第三庭園。
海を一望する展望テラス。
「す、すごい……」
リリアは目を丸くした。
だが本当の驚きは――
その先にあった。
岬の下。
巨大な石造りの港。
「えっ……港!?」
案内役が頷く。
「クラウゼル家専用の私設港です」
そこには大型帆船、貿易船、高速船が並んでいた。
さらに――
「向こうの建物は?」
「海洋研究棟です」
海図。
航海器具。
外国の珍品。
クラウゼル家は、海運・貿易・知識の公爵家。
やがて屋敷の扉が開く。
内部は――
ヴァルディア家とは違う世界だった。
白と青を基調とした内装。
磨かれた大理石の床。
天井の巨大なガラス窓。
そこから――
海の光が差し込んでいた。
「きれい……」
リリアがつぶやく。
壁には、世界地図、星図、外国の絵画。
「クラウゼル公爵閣下は学問家でもあります」
案内役が説明する。
「書庫は王城にも匹敵します」
そして最上階。
海を一望する書斎。
広がる水平線。
そこに立つ男――
レオニス・クラウゼル。
彼は静かに言った。
「海はいい」
「すべてが流れていく」
「権力も、運命も、人の歴史もな」
そして振り返る。
「君の部屋へ案内しよう」
案内された客室。
扉が開く。
そこは――
全面が窓だった。
目の前に広がる海。
ちょうど夕刻。
西の空に沈む夕日が輝いている。
「……素敵」
リリアは思わず見惚れた。
レオニスが言う。
「少し休むといい」
「もう少ししたらディナーだ」
「あとで呼びに来る」
リリアが驚く。
「え……レオニス様が直々に?」
レオニスは肩をすくめた。
「執事やメイドの仕事だと思っているんだろう?」
「うちは先進的な貴族なんだ」
「なんたって私がトップだからな」
「予定は自分で管理するし、身の回りのことは自分でやる」
そして、さらっと言った。
「それに君はただの客じゃない」
「私の妻になってもらう予定だ」
「おっと失礼」
「いまのはあくまで私の予定だったな」
リリアはため息をついた。
「そういう一方的なところがなければ、少しは尊敬したんですけど……
ここにも気づいたら連れて来られていたし…」
一拍置いて。
「あ……公爵様に対して失礼な物言いだったでしょうか」
レオニスは大笑いした。
「はっはっは!」
「面白いじゃないか、リリア!」
「女神様ではなく、リリアと呼んでいいかな?」
リリアは言う。
「女神様とは呼ばれたことありませんけど!」
レオニスは気にせず続ける。
「君も好きに話していい」
「レオニスと呼び捨てでも構わない」
「その方が面白い」
リリアは頭を抱える。
「だめだわ……」
「レオニス様と話してると調子が狂っちゃいます」
レオニスはまだ笑っていた。
「では、のちほどディナーで会おう」
そして扉の前で振り返る。
「その時に――」
彼は静かに言った。
「私が知っているすべてを話そう」
「リリア」
「君の――本当のご両親についてもだ」
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