二章 第13話:緋にて終を選ぶのは
【1】
カズヤ。オルフェン。キリヤ。
いつもと同じように立ち、同じようにこちらを見ている。
――違う。
そう認識した瞬間、世界の輪郭がわずかに歪む。
本人達ではない。確かな違和感がそこにある。
だがそれが本物ではないと、断言することもできなかった。
視線を向ければ、確かにそこにいる。
声も届くし、息遣いも、気配も、何一つとして偽物には見えない。
いや。
(……どっちでもいい)
血に濡れた時点でもう、切り替えている。
今重要なのは、彼らが本物かどうかではない。
――この世界を成立させている“何か”であるかどうか。
それだけが問題だった。
外では雪が降り続いている。
白く、均一で、何もかもを覆い隠すように。少女の心すら。
⸻
【2】
「アマネ!」
カズヤの声が真っ直ぐに届く。
焦りも戸惑いもそのまま残っていて、間違いなく知っているはずの声。
しかしアマネの中では、それが意味を持つ前に、形だけを保ったまま滑り落ちていく。
そうしなければ、耐えられない気がした。
オルフェンが、わずかに口元を緩める。
「君だけは辿り着けたのかな? 真相に」
軽い声音のまま投げられたその言葉。
冗談でも皮肉でもなく、ただ事実の確認。
「はい」
それだけを答える。
キリヤもまた何も問い返さず、ただ一度だけアマネの目を見る。
わずかに頷き、その仕草には理解と受容が同居している。
「では、ご自由にどうぞ」
淡々と。
その言葉には躊躇も抵抗もなく、まるでそれが当然の帰結であるかのように。
(キリヤさん……)
温もりだったはずのものが、輪郭を失い、遠ざかっていく感覚。
さっきご馳走してくれた蜜煮。
淹れてくれた紅茶の香り。
かけてくれた気遣いが、ゆっくりと色を失っていく。
色を感じてしまえば、動けなくなるから。
それらを手放さなければ、ここから先へ進めないから。
だからアマネは、その全てを切り離すように闇へと向く。
アマネの足が、迷いなく前へ出る。
決意ではなく、感情ですらない。
“そこにあるものを処理する”という認識だけ。
仕事をこなす。
ただその為に、研ぎ澄ませてきたものがあった。
距離を詰める動き。視線の置き方。呼吸の整え方。
オルフェンは動じず、キリヤもまた動かない。
抵抗する理由が存在しないと理解しているかのように、その場に立ったまま微動だにしない。
「――ごめんなさい」
かすかに呟かれたその言葉は、謝罪か祈りか。
アマネは一切の躊躇なく刃を振るった。
空気を裂くわずかな音とともに軌跡が走る。
次の瞬間には首元が断たれて血が舞い、重力に従って崩れ落ちていく身体。
どこか現実味を欠いたまま、ただ生きていたものという結果だけを残し、床へと沈んでいく。
二つの存在が伏す。
血を浴びて赤く染まったアマネは、何の波も立たないまま。
ただ一つの工程が終わったという事実だけが、そこに残っていた。
⸻
【3】
「……お前……」
カズヤの声は掠れている。
目の前で起きた出来事を理解しきれないまま、言葉を探している。
それでも視線だけは逸らさず、崩れ落ちた二人と、その血に濡れたアマネとを交互に見ている。
「何、やってんだよ……」
問いは形になりきらず、それでも絞り出されるように落ちる。
アマネはゆっくりと、目の前のカズヤという存在を捉える。
「ごめんね……カズヤ。私――」
言葉はそこで途切れるが、それ以上を続ける必要もなかった。
「本気、なんだよな?」
刃を、カズヤの方へとゆっくり向ける。
「うん……」
その一言で、カズヤの中で何かが鋭く決まった。
ふぅ、っと息をする。
理解はできていない。
それでもアマネが、意味のないことをしているなどと思えなかった。
そう思えた時点で、選択はもう終わっていた。
理由は分からないが、意味がある。
それでいい。
――アマネのことなら、信じられる。
「アマネ」
「……なに?」
「お前に、やらせるわけにはいかねえだろ」
「――え?」
カズヤはゆっくりと一歩、二歩と下がる。
剣を抜き、深く呼吸を整えながら、視線をアマネへと向ける。
「……ちゃんと最後まで救えなくて、ごめんな」
ニッと笑う。
「目、閉じといてくれ」
その言葉には拒絶も恐れもなく。
ただの配慮と優しさ、選び取った覚悟。
「っ――カズヤ!! だめっっっッッ!!!!」
冷静に、作業としてこなすはずが。
カズヤの優しさに撫でられ、揺らいでしまった心が。
手を伸ばしてしまった。
しかしその手は握り返されることなく。
カズヤが己に向けた刃は、一息に首を掻き切った。
温かい血飛沫が、少女の眼前に舞う。
「ぁ……」
アマネの喉から声が零れ落ちた、その瞬間。
何かが、外れた。
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【4】
音が消え、空気が揺れる。
まるで現実そのものが維持できなくなっているかのように、都市全体が歪み始める。
石造りの壁が波打ち、直線であったはずの輪郭が柔らかく崩れる。
遠近が曖昧になり、視界の奥行きが引き裂かれるようにずれていく。
雪が空へと昇っていく。
空から降っていたはずの白が、地面から剥がれるように浮かび上がる。
粒となって空へと吸い込まれていくその光景は、時間の流れそのものが反転していることを、否応なく示していた。
時計塔の針が動く。
ゆっくりと着実に、逆へと。
境界の内にあるグレイシオンという都市が、世界が、成立しなくなり逆行する。
アマネの足元で、地面がひび割れた。
その裂け目は光と共に、ただ現実の境界線が引き剥がされるように広がる。
街路も建物も、残響も、全てを巻き込みながら、存在そのものをほどいていく。
それでもアマネは動じなかった。
ここまで積み重ねてきた全てが、意味を持たなくなっていくその過程を、ただ見ていた。
涙を零しながら、一つの怒りと共に。
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【5】
やがて、白だけが満ちる。
都市は消え、音は消え、重さも距離も曖昧になり、ただ均一な空間だけが残る。
ただの空間。
そこには何もない。どこかも分からない。
気づけばその真っ白な空間にいて、アマネは椅子に座らされていた。
その視線の先。
もう一つの椅子に、誰かが座っている。
――白と黒のフードを深く被った人間。
時計塔で見たあの姿と同じ。
顔はよく見えず、男か女かも分からない。
その存在だけが、異様なほどにはっきりとしている。
背もたれを前にして、雑に肘を乗せ、じっとアマネを見ている。
――やっと来たか。
そう言わんばかりの気配。
白き静寂が、二人の間に落ちる。
雪も、風も、音もない。
対面する二つの存在だけが、そこにあった。
フードの人物の口元がニヤつく。
「よお。今日も良き綴りを」




