二章 第11話:雪華のおもてなし
【1】
宿の外へ出ると、雪は変わらず降り続いていた。
白く、何もかもを覆い隠してしまうような世界。
その中で、キリヤさんは振り返るでもなく歩き出した。
「こちらです」
迷いのない足取りで進んでいく。
連れて来られたのは、街の外れにある小さな建物だった。
使われていないようで、けれど手入れだけは行き届いている、そんな場所。
扉を開けると、外とは別の空気が流れた。
「暖めておきました」
火の匂い。乾いた木の香り。
ほんのりとした温かさが、冷えた身体を包み込んでくれた。
「道中、景色も所々変わっていましたが、ここが無事なのは幸運でした」
そう言いながら、キリヤさんは台所で何かを作っていた。
湯を沸かし、煮込んでいく。
無駄のない動き。慣れているかんじ。
やがて、差し出されたのは温かな料理と紅茶だった。
塩漬けの肉と根菜をじっくり煮込んだ濃いスープ。
傍らには、薄く焼かれた硬い平焼きのパン。
そしてもう一皿、淡く甘い香りを漂わせる、果実の蜜煮。
綺麗な意匠のカップには、琥珀色の紅茶が穏やかに満ちている。
「さ、どうぞ」
キリヤさんの短い言葉。
向かい合って座り、二人で静かにそれを口にする。
ああ、美味しい。
じんわりとした温かさが指先から伝わってくる。
冷えきった感覚が、ゆっくりとほどけていく。
でも、急に呼び出されたと思ったら、温かな料理が振る舞われた。
キリヤさんが何を考えているか、いまいち掴めなかった。
「あの、なんで……?」
「おもてなしです。かなり落ち込んでいるご様子だったので」
「え。いえ、でも……。
なんでもないです。ありがとうございます」
意外だった、なんて正直には言えなかった。
そこからしばらく言葉は無く。
食事の音、火の揺れる音、外で降り続く雪の気配だけが流れていた。
そういえば、私はキリヤさんのことをあまり知らない。
アークティアからの移動や、ここでの調査。
何を話して良いか分からなくて、形式的な話題だけ。
「気を許しちゃダメよ」とノエラさんからの助言もあった。
でも。
この場所の温かさや、目の前の静かな所作を見ていると――やっぱり、悪い人ではない気がした。
⸻
【2】
やがて、自然と口が動いた。
「キリヤさんは、アトラシアの出身なんですか?」
問いをそっと落とす。
綺麗な金の髪や、透き通った雪肌は、アトラシアの人らしい素敵な特徴。
当たり障りのない話題だが、少しでもキリヤさんを知ってみたい。
キリヤさんは紅茶を一口含み、それから落ち着いた視線でこちらを見た。
「母がアトラシアの出身です。
私は他所で生まれましたが、両親の仕事の都合で、幼い頃にこの地へ移り住みました」
「お母様の……そうだったんですね」
「両親は研究者で、分野を横断して様々な技術に関わっていました。
このアトラシアの観測技術を学び、発展させる為に来たのです」
淡々とした説明。
少しだけ考えてから、私は問いを続ける。
「じゃあ……どうして筆聖の秘書を?」
キリヤさんは手に持っていたカップを置いた。
「端的に言えば、修行です。
ここにいれば最高峰の技術に触れ続けられるので、環境としては最適です」
「修行、ですか」
予想していた答えとは全然違った。
キリヤさんは気にした様子もなく続ける。
「幼い私の面倒を見ていたのがオルフェンです。
まだ筆聖になる前の、いち研究者でしたが。
――親戚なのです、あれは」
「親戚!? どおりで……」
ようやく腑に落ちる。
秘書にしてはあの妙な距離感も、やり取りも。
キリヤさんは、わずかに首を振った。
「面倒を見ていた、というよりは放置に近いですが。
オルフェンは人間にあまり興味がありません。私も含めて」
言い切る声音に迷いはない。
「なので勝手に生活して、勝手に学びました。
ここはその頃から使っていた別宅です。
やがて彼は筆聖となり、両親は大書院本部へ招集され、別の研究へ移りました」
残されたものは環境と、積み上げた時間だけ。
「そういう背中を見てきたので、研究者として私も追いつきたいのです」
静かに結ばれた言葉。
身の上話を聞いて、ちょっと申し訳ないと思った。
キリヤさんを誤解していた。
「……ごめんなさい。正直、意外でした。
もっと、ただ淡々と仕事する人だと思ってました……。
憧れとか目標とか、そういうのがあると思ってなくて」
キリヤさんはほんのわずかに視線を逸らす。
「意外にも、私は野心に満ち満ちているのです」
淡々の奥に、確かに積み上げてきたものがあるのだと、そんな温度があった。
⸻
【3】
「それよりも、アマネさん」
キリヤさんは2つのカップに紅茶を再び注いで、続けた。
「あなたのことも、少し意外でした。
申し上げにくいですが、もっと冷たい人物だと思っていたので」
「私が、ですか?」
「記録を調べさせていただきました。失礼ながら、過去についても。
外典が起こした事件でご両親を亡くし、その後綴士として働く中で、外典排除の任務にも自ら志願していたと」
その言葉だけが、はっきりと形を持って落ちてきた。
「――それは、復讐の為ですか?」
やわらかな声だったが、逃げ場はなく。
ただ手の中の紅茶の温もりだけが、現実を引き戻してくる。
「……最初は、そうだったと思います。
でも……色んな人と関わっていくうちに分からなくなって。
ただ、やらなきゃって――」
言葉はそこで止まり、形にならない何かが胸の奥に残った。
キリヤさんはそれ以上追わず、ただ窓の外を眺めていた。
「……不思議だったのです。
記録上、外典憎しで働いていたようなあなたが、今は外典達と行動を共にしている。
一体どのような人間なのか。正典と外典の間で、何を思っているのか、と」
正典と外典の間。その通りだ。
外典は怖い存在。子供の頃からそう教わってきた。
両親を奪われた辛さも、外典を恨むことで慰めてきた。
理性の中では、彼らも同じ人間で、悪い外典こそ敵なのだと信じてた。
それでも、外典は排除すべきという意識が、ずっとどこかに潜んでる。
そんな中、あの集落で私を救ってくれた外典の人達はとても温かくて。
手を伸ばしてくれたカズヤの手は、どこまでも優しくて。
結局今も、カズヤに何も言えないまま。
外を眺めるキリヤさんの眼に映る、多様な残響の群れ。
「正典と外典。
役割として、分類として、管理する為に区切られています。
――ただ、それが全てだとは思っていません」
「え?」
胸の内がわずかに揺れる心地。
「外典と関わりたいとは思いませんし、積極的に排除したいとも思いません。
ただ与えられた仕事をこなし、研究を行うだけです」
「キリヤさん……らしいですね」
「あなたは、違いますか?」
「……私は……」
「正典が正しいと信じ、外典を憎むことで自分を保ってきた。
しかし今は揺らいでいる。そういう状態なのでしょう」
重ねられる言葉は淡々としているのに、確かに重さを持って胸に落ちてきた。
「それで良いと思いますよ。
時が経てば、答えも変わります。算術のように、一つに定まるものではない。
――それが人間です」
時が経てば、答えも変わる。それが人間。
私へ向けてくれた、キリヤさんなりの助言。
キリヤさんはカップを持ち上げ、残った紅茶を飲み干してから、再びこちらを見た。
「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」
「?」
「カズヤさん達外典。良き出会いだったと思いますか?」
迷いなどあり得なかった。
「はい。とっても」
その言葉に、キリヤさんは――微笑んだ。
「そうですか」
初めて見る、綺麗な表情だった。
淡雪の中で咲く氷の花の、一瞬の煌めき。
やがてキリヤさんは視線を街へ戻した。
白亜の都市。変わらないようで、変わり続ける景色。
「研究では、上手くいかず煮詰まった時ほど、原因は身近なところにあるものです」
身近なところ。私はごくりと息を呑んだ。
「慣れるほどに見えなくなっていく部分がありますので。
そこを見ていくのも、良いかもしれませんね」
美味しい料理と紅茶。淡々としているのに温かい言葉。
これが雪華のおもてなし。
キリヤさんのことを少しだけ理解できた。
それだけで、凍りついていた思考に、わずかな熱が戻った気がした。
二人で窓に並び、何も言わず同じ景色を見つめる。
何度も繰り返してきたはずの光景が、ほんの少しだけ違って見え始める。
――本当に、全部見えていたのか?
その問いが、初めて輪郭を持つ。
「それでは、アマネさん。
時間を使ってしまいましたが、調査を進めましょう」
キリヤさんが手を差し出してくれる。
「元、とはいえ同じく大書院の者として。この挨拶を」
大書院お決まりの挨拶。久々にこれを口に出す。
数ヶ月前までは毎日言っていたから、なんだか不思議な気分。
「「――今日も良き綴りを」」
手を取って、声を合わせる。
同じ気持ちで、同じ言葉を一緒に出す心地の良さ。
その瞬間、胸の奥で何かが引っかかった。
あれ?
――今日も良き綴りを。
――今日も良き綴りを。
頭にこだまする。
何度も聞いた言葉、繰り返される朝、必ず訪れるその声。
『おはようございます。今日も良き綴りを』
今日も良き綴りを。
同じ言葉、同じ始まり。
――本当に、全部見えていたのか?
『もう一度、朝から夜まで全てを見直すんだ』
なぜ、毎朝この言葉で始まるのか。
疑念にすらなっていなかったものが初めて、疑問として形を持ち始める。
何かが確かに、核心へと触れかけている。
――酷く、酷く嫌な予感がした。




