二章 第9話:白天砕ける時の欠片
【1】
それは、雪の空を覆う時計。
雪で編まれた巨大な結晶。
幾重にも重なった幾何学模様が規則正しく組み合わされている。
ゆっくりと回転しながら、白い都市の上空に静かに存在していた。
秒針のように細い結晶が震え、分針のような層が軋む。
そして全体が一つの巨大な機構として、確かに“時”を刻んでいた。
「時計……だよな」
カズヤの声が、わずかに掠れる。
アマネも目を見開いたまま、その結晶をただ見上げていた。
「あのエーテル位相。“時の綴り”と同一です」
キリヤが抱える観測機のモニターに映る数値が、明確な一つの結論を指し示していた。
オルフェンの視線は結晶の中心へと向けられる。
「綴り本体は、グレイシオンの遥か下だ。
じゃあアレは鏡写し、みたいなものかな。
“時を刻む機構”が、あの形で外に出てる……?」
カズヤが焦りを隠せずに言う。
「どうすんだよ。あれ」
時間は無い、それは誰もが分かっていた。
日を跨ぐまで、残り三分を切っている。
「うーん、いや……妙だね。位相が綺麗すぎる」
焦りを見せず、オルフェンがぽつりと呟く。
キリヤが横目で見る。
「何か問題が?」
「特有のノイズが無い。揺らぎも無い。
本当に“綴り”なら、必ずそういった特徴が出るはず」
一拍の思考。雪だけが静かに流れていく。
「アレは“作られたもの”だ」
アマネが顔をしかめる。
「作られた、ですか……?」
オルフェンは結晶の一部を指差した。
「“時の綴り”じゃない。
本来あるべき流れを、別の機構が覆ってる状態、といったところかな」
キリヤが鋭く察する。
「すり替えられている、と」
「そう考えるのが一番自然だね。
つまり“偽物”だ。正しい時間の流れを阻害してる」
カズヤが剣を握る。視線を、空の結晶へ。
「じゃあ――ぶっ壊せばいいってことだよな」
オルフェンの眼鏡がわずかに光る。
「結果としてはね」
カズヤはアマネと目を合わせた。
「アマネ!」
「うん!」
時間は無く、他に手も無く、やれることは一つ。
互いに理解していた。
――日跨ぎまで、残り一分半。
⸻
【2】
キリヤが即座に動いた。
「足場は私が作ります」
その声に応じるように、空気中の雪がわずかに震える。
〈雪華の残響〉。
白が、形を持つ。
空中の雪が華を描いて凝固し、結晶の花弁のように幾重にも重なりながら螺旋を描いて空へと伸びていく。
静かに咲き上がる、巨大な氷の花。
カズヤとアマネを乗せ、そのまま一気に上空へと運ぶ。
風が唸り、雪が裂ける。
肌を切る冷気が容赦なく叩きつけてくるが、歯を食いしばり、ただ前だけを見る。
都市が一気に遠ざかり、白い街が縮み、世界が足元へと落ちていく。
そして――それが迫る。
眼前に聳える、巨大な結晶。
氷の塊というよりも、秩序そのものを固めたような構造。
それが、空間を震わせる振動を響かせ、ぎこちなく回転している。
とても人の身でどうにかできる代物ではないと、直感が告げていた。
それでもふたりは。
「アマネ……。これ、俺達でいけると思うか?」
「正直……できる気しないね……」
わずかな苦笑と共に、アマネはカズヤの手をそっと握る。
凍えて冷たく、震えている手。
「でも、勝てないと思った筆聖も、届かないと思った空も。
私達、みんなの力で越えてきたよね」
指先に確かな力が宿り、視線は空の結晶へ。
「だから……きっと大丈夫」
その言葉に、カズヤはニッと笑った。
根拠などない。必要ない。
ふたりの冷たい手の中に、確かな温もりが宿る。
「いこう、カズヤ!!」
「ああ、やってやろうぜ!!」
温かな光と共に、託された剣《イシュトリナ》を天へと掲げる。
カズヤは災厄の記憶へと意識を沈めた。
躊躇は無い。隣にいる存在を信じているから。
それでもなお暴れ狂う記憶を、剣を楔に繋ぎ止め。
光と共に、一つの白き嵐へと束ねる。
「「〈災厄の残響〉をここに綴る――」」
黒き嵐を白に染め、力の奔流が解き放たれる。
剣が振り下ろされ、空気が裂ける。
空間ごと、全てを裂き割った。
その一撃は、ただの斬撃ではない。
空間そのものに刻まれた“流れ”を引き裂く――白き嵐の巨大な刃。
次の瞬間、結晶に亀裂が走った。
一本。
最初は細く、確かな線。
それが広がる。
ひびが増え、連なり、構造そのものを蝕んでいく。
崩れる。光が砕けていく。
巨大な雪時計が、空中で静かに崩壊していく。
秩序がほどけ、形が失われ、破片は白い光となって溶けていく。
やがて白き嵐が止む。
何も残らず、風が消える。
雪だけが、終わりを告げるようにゆっくりと落ちてきた。
――日跨ぎまで、残り三十秒。
空が、元に戻っていた。
⸻
【3】
先ほどまで確かに存在していたはずの巨大な機構は、痕跡すら残さず消えていた。
カズヤは、息を整えながらゆっくりと地上を見下ろす。
蔓延っていた残響は全て吸い取られたように消えており、街の形も変わっている。
白だけに覆われた都市と、何事もなかったかのような静けさ。
「……終わった、のか?」
時計塔の頂で、キリヤが観測機を確認している。
「位相、正常化しています」
短く迷いのない報告。
オルフェンが満足げに微笑む。
「観測上も完璧、と。終わりだね」
白い息をふわっと吐き、空を見上げる。
あまりにもあっさりとした結論。
だが、それを否定する要素はどこにもなかった。
アマネが、空を見上げる。
白い空。何もない空。
「……これで……やっと……」
胸の奥に残っていたざわつきが、ゆっくりとほどけていく。
人も、灯りも、音も。
全てが“正常”に戻っている。
異様な歪みだけが、綺麗に消えていた。
――その時、時計の針が十二を指し示した。




