二章 第8話:夜空に刻まれる雪時計
【1】
夜のグレイシオンを、四つの影が雪を蹴る。
広場へ伸びる放射状の街路を進むほど、塔は大きく、そして高くなっていく。
まるでこの街の全てを見下ろす観測者のように、白い闇の中に静かに立っていた。
カズヤが走りながら問う。
「あれ、アタリか?」
その前を軽い足取りで走るオルフェンが、肩越しに振り返る。
「うーん……」
少し考えるような顔をしたあと、あっさりと言った。
「正直ハズレな気はする。勘だけどね」
「おい」
オルフェンは指を一本立てる。
「でも調べる価値はある。何事も、ダメ元さ」
キリヤが冷静に時計を見る。
「日跨ぎまで、残り十一分です」
その言葉で、四人の足がさらに速くなる。
⸻
【2】
中央広場へ飛び込んだ瞬間、巨大な時計塔が頭上に迫った。
塔の時計部分――その外縁の上に立っている黒い影。
フードを被った人物。
まるでカズヤ達を誘うかのように、開いた扉へ滑り込み、歯車の影が巡る時計の内部へと静かに消えていった。
時間はない。
塔は高く、内部へ入り階段を上がる余裕などない。
カズヤが空へ鋭く視線を送る。
「こっから飛べってか……」
キリヤが一歩下がった。
「――私が押し上げます」
アマネが振り返る。
「え?」
キリヤが膝をつき、手を雪へ埋めた。
その瞬間、足元で雪が震える。
「〈雪華の残響〉をここに綴ります――」
まるで巨大な花弁が咲くように、氷の層が幾重にも重なりながら塔の上へ向かって伸びていく。
その結晶の中心が盛り上がり、四人の足元を押し上げた。
「上へ参ります」
雪が束ねられ、やがて氷の柱となった。
都市の景色が、瞬く間に遠ざかっていく。
屋根が小さくなり、大通りが細い線になり、街灯の光が星のように散っていく。
氷の柱は止まらない。
そのまま――時計塔の頂へと突き上げた。
結晶が崩れ、四人は時計部分の縁へ着地する。
巨大な歯車の裏側から、鈍い機械音が響いていた。
カズヤが思わず下を見た。
「……とんでもねえな」
「残り七分です」
キリヤは相変わらず淡々としていた。
⸻
【3】
四人はそのまま時計の内部へと踏み込んだ。
歯車の奥には、思いのほか広い空間が広がっていた。
円形の床。崩れた石。雪がわずかに舞い込み、薄く積もっている。
そしてその中央で――立っていた。
白と黒が混じったフード付きのコートで全身を包む。
背は高く、男性のようにも女性のようにも見える。
顔は影に沈み、一切見えない。
だが、その視線はこちらを捉えているように感じられた。
沈黙。
誰も言葉を発しない中、やがてフードの人物が、ゆっくりと片手を上げた。
黒いグローブ越しに人差し指を、軽くカズヤ達の方へ。
くい、と。ほんのわずかな動き。
まるで「来い」とでも言うような、あまりにも軽い仕草。
カズヤの眉がぴくりと動く。
「上等じゃねえか」
カズヤが剣を抜くと同時に床を蹴り、風を纏った刃が一直線に走った。
しかし――刃は、空を切る。
身体が雪の粒のように揺れ、わずかに位置をずらした。
アマネの腕も反応する。
金属糸が空中を走り、円を描くようにフードの人物を囲む。
糸が交差するが、捉えられない。
「え!?」
カズヤが舌打ちする。
「当たってんのか、これ!?」
「違うね、位相が揺れてる」
オルフェンの声だった。
振り返ると、彼はキリヤと共に、何かの装置を起動している。
水晶の盤面に光が走り、残響の波形が幾重にも重なっていた。
カズヤが叫ぶ。
「おいあんた筆聖だろ! 強いんじゃねえのか!」
オルフェンはへらへらと軽く手を振る。
「いやぁごめん。僕、戦いは専門外だから」
「はぁ!?!?」
アマネが金属糸を走らせる。
カズヤが再び斬り込む。
だが、攻撃は何度もすり抜ける。
動かず、ただそこに立っているだけなのに、刃が届かない。
オルフェンが腕を組み、ぽつりと呟く。
「なるほど……位相の揺らぎ」
キリヤが反応する。
「どういう意味ですか?」
「これ、やっぱり残響だよ。
限りなく不安定な……もう少しデータが欲しいね」
その時。
アマネの糸が空中を横切る。
カズヤの剣が、その軌跡をなぞる。
風が走り、刃がその身をはっきりと貫いた。
――初めて、当たった。
フードがわずかに揺れ、その身体が雪の霧のように崩れ始める。
低い声が響く。
『……観測は、もう終わった』
僅かに見えた口元は、笑っていた気がした。
姿は霧散し、雪の粒のように静かに消えていく。
カズヤが剣を下ろす。
「倒した……のか?」
オルフェンの顔がわずかに曇る。
「いや――」
その時、グレイシオンの夜空が歪んだ。
⸻
【4】
都市の上空で雪が渦を巻き始める。
凍った空気が軋み、街灯の光が揺らぎ、無数の残響が空へ引き寄せられていく。
カズヤが外を見て、顔を上げた。
「時計……?」
雲のように広がる雪が、ゆっくりと形を変える。
巨大な時計――美しい雪の結晶。
それは都市を覆うほどの大きさで、夜空の中心に浮かび上がっていた。
まるで、空そのものに刻まれた時計のように。
オルフェンの瞳が煌めく。
「これは……面白いね……!」
巨大な結晶がゆっくりと回転する。
雪の都市が軋み、時計塔の針がわずかに震えた。
キリヤはあくまで冷静に、手元の時計を見た。
「あと――三分です」




