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二章 第7話:雪闇見下ろす時計塔

【1】


グレイシオンの街は、夜になっても眠ってくれない。


空を何かが駆け、何かが地を滑り、どこかで金属音が鳴る。

聞こえてくる笑い声は、人のものかどうかも分からない。


いくつもの残響が重なり合い、奇妙な活気に包まれている。



カズヤとアマネが宿へ戻った時、奥にはすでにオルフェンとキリヤが座っていた。

テーブルの上にはモニターと観測装置。



オルフェンが視線だけを向ける。


「満足のいく結果だったかい?」


カズヤは疲れた顔で、椅子へドスッと腰を落とす。


「……地獄だな。

怪物だの罪人の残響だの、好き放題だった」



キリヤも静かに問う。


「観測はできましたか?」


アマネは観測機をテーブルへ置いた。


「はい。データ、取れてると思います」



オルフェンが装置を操作すると、モニターに円形の図が浮かび上がる。

その上に、光点が一つずつ灯っていく。

四つの区画――今日観測された残響の位置が、位相データと共に記録されていた。


「へえ、思ったより取れてる。悪くないね」


オルフェンは楽しげに笑った。


「じゃ質問。昨日と一致する残響は?」


アマネは少し考え、ゆっくりと首を振った。


「覚えている限り……ありません」



オルフェンは椅子の背にもたれ、肩をすくめる。


「ま、そうだよね。

一日中巡っても、全体の半分を見て回るのが限界か。

広いのも今だけは困りもんだね」


軽い口調だったが、その言葉が落ちると部屋の空気はほんのわずかに沈んだ。




昨日が毎日変わる。残響も変わり、景色も変わる。

だがその中に、必ず一つだけ変わらない残響があるはずだった。それが“特異点”。


時の綴りの異常と、残響の発露は繋がっている。

つまり“特異点”を突き止めれば、この異常の正体が掴める。



――そのはずだった。


今日の観測では何も見つからなかった。



「そんじゃ、勉強会だね」


オルフェンがモニターの地図を指で叩く。


「南区」


アマネは身を乗り出した。


「空飛ぶ犬。燃える水路。戦場。消えるパン屋――それと、空中で止まったまま落ちない雪、逆さに流れる影、同じ顔の人が三人同時に歩いてる通り、誰もいないのに鳴り続ける鐘、途中で言葉が巻き戻る会話、火が付いてるのに燃えない布、通りの真ん中でずっと回り続ける歯車……」


「西区」


「凍った水路に春の花。影の兵士。城壁の中で行軍。

空に固定された鳥の群れ、地面の下を流れてる光、音だけ残ってる市場、風化した小屋、時間が遅れて動く人、途中で消えて別の場所に現れる足跡……」



オルフェンが次々と質問を投げ、アマネが思い出しながら答える。

カズヤはその横で腕を組み、そのやり取りを心配そうに眺めていた。


「覚えられんのか……これ」


オルフェンが笑う。


「覚えてもらわなきゃ困るよ。

僕らの未来は、アマネ・チャペックにかかってるからね」



アマネは真剣な表情で、黙って情報を見つめていた。



昨日を覚えているのは自分だけ。

街の誰も、オルフェンも、キリヤも、カズヤでさえも、日を跨ぐと昨日を忘れる。


だから自分が覚えなければならない。

都市の景色を。残響を。全てを。



――こればかりは、頼れるのが世界に自分しかいない。




【2】


やがて時計塔の針が、ゆっくりと十二へ近づいていく。



残り十分。



オルフェンが伸びをした。


「今日は……ここまでかな」



カズヤが窓の外を見る。残響が乱れる奇妙な夜景。

その光景を、アマネも静かに眺めていた。


(今日も……みんな、忘れるんだ)


胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。



その時――ふと視線が遠くへ向いた。


都市の中心にある巨大な時計塔。

白い雪の中、その時計部分に黒い影が立っていた。




フードを被った人間。




遠すぎて細かくは見えない。ただ、じっとそこに立っている。

作業員だろうか。残響だろうか。偶然だろうか。


だが、妙に目を奪われた。


(あれって……?)


その瞬間、時計の針が十二を指した。



世界が揺れる。

灯りが歪む。音が途切れる。雪が一瞬、空中で止まる。




そして――昨日が、また変わった。




【3】


朝、アマネはベッドの上で目を覚ました。

木の天井。宿の部屋。誰もいない。



(やっぱり……)



扉がノックされると同時に、元気な声が聞こえた。


「おはようございます!」


扉を開けると、小さな男の子が立っていた。


「今日も良き綴りをー!」


アマネはなんとか笑顔を作る。


「お、おはよう!」


また違う人間になっているが、もう受け入れるしかない。




一階へ降りると、カズヤ達が朝食を食べていた。

パン。紅茶。見覚えのある光景。


「お、アマネ。おはよう」


カズヤが手を振り、アマネも返す。


(また説明、かな……)


それから昨日と同じような話をした。

オルフェンはすぐに理解し、キリヤが頷く。カズヤだけが困惑していた。




そしてまた、全員で街へ出る。

二日目の観測は昨日よりも速かった。


残響を観測し、記録し、街を巡る。

外典区画で小競り合いもあったが、逃げに徹して観測を優先した。


アマネ自身の作業効率も上がってきたのか、昨日よりも多くの残響を観測できた。


しかし覚えている限り、同じ残響は無い。



――結果は同じだった。




【4】


雪の夜。


結局、今日も決定的な手掛かりは見つからなかった。


アマネは静かに窓辺へ歩き、冷えたガラスへそっと手を触れる。

外では雪が変わらず降り続く。

街の灯りと残響の光がゆらゆらと重なり合いながら、どこか現実感の薄い夜の都市を作り上げていた。



連日の調査。戻れば勉強会。覚え続ける残響。

胸の奥に、少しずつ疲労が溜まっているのを感じていた。

身体の疲労じゃない。心の疲労。



(本当に……このやり方で解決できるのかな)



疑いが、ほんのわずかに心へ滲み出す。




だが――窓の方、視界の端で何かが動いた。

都市の中心にある巨大な時計塔。


そしてまた、いた。


塔の時計部分。

降りしきる雪の向こうに、黒い影がひとつだけ立っている。



フードを深く被った人間。



遠すぎて顔は見えない。

だが確かにそこにいる。昨日と同じ姿形。



アマネの胸が強く鳴る。


「やっぱり……!」


勢い良く、カズヤ達の方へと振り返る。


「みんな! 時計の所を見て!

昨日も同じ時間、あそこにいたの。フードの人!」



オルフェンがゆっくりと椅子から立ち上がった。

灰色の瞳が窓の向こう、時計塔の頂を静かに見据える。



強い疑念。単なる偶然。

しかし今は、喉から手が出るほど欲しい手掛かり。


「……調べてみる価値あり、ってところかな」


カズヤが指を鳴らす。


「今からだよな」


オルフェンの口角が上がる。


「当然♪」




雪の中、フードの影はまったく動かない。

まるで、この都市の時間そのものを見下ろしているかのように。



キリヤが手元の時計をちらりと見た。


「日跨ぎまで、あと十五分です」


オルフェンは楽しそうに笑う。


「どうせ終わるなら、後先考えずに行こう。

最後の観測対象は――アレだ」



カズヤが迷いなく剣を手に取った。

アマネも装備を急ぎ携え、キリヤも道具を一式抱えた。



四人は宿を飛び出す。

扉が開いた瞬間、夜の冷たい空気が頬を刺す。


石畳を踏む足音。

遠くで揺れる残響の光。

街全体が、何かの前触れのように静かに震えている。



都市の中心。



巨大な時計塔が、雪の闇の中で静かに、彼らを見下ろしていた。

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