二章 第6話:雪に舞う風の軌跡
【1】
カズヤとアマネは観測機《レゾナンス》を携え、北区へと向かった。
グレイシオンは、巨大な時計塔を中心に広がる円状都市。
中心から伸びる大通りを隔てて、四つに区画が分かれている。
南と西。そこは正典の人間が住む区画。
観測や研究の施設が並び、研究者達の灯りが、夜通し消えることはない。
そして北と東。外典の居住区画。
研究都市として整えられるより前から存在していた、流れ者達の街。
罪人、外典、居場所を失った者達やその子孫が寄り集まる場所だ。
これらは完全に隔てられているわけではない。
エーテル結晶の採掘や危険な調査は、主に外典の仕事。
あるいは研究者が観測の為に、外典の居住区画へ足を踏み入れることもある。
それでも、空気はどこか違う。
物理的な距離感か、あるいは正典・外典という線引きがもらたすものか。
――目に見えない境界が、この街には確かに存在していた。
大通りの先。北区へ足を踏み入れたふたり。
空気が重く、静けさの質が異なる。
人の気配が無く、まるでこの区画だけ、街の時間が腐り落ちてしまったかのようだった。
路地の奥では、誰かが笑っている。
だが、そこには誰もいない。
地面には割れた瓶。
乾いた血のような黒い染み。
壁には意味の分からない刻み跡。
そして――そこにいたもの。
罪人の影。歪んだ怪物。
名前も形も持たない影のような存在。
それらが、街の通りをゆっくりと徘徊していた。
「……これ全部……外典の残響か」
カズヤが低く、暗く呟いた。
アマネは観測機を通して周囲を見渡す。
「うん……全部、そうみたい。混ざってるのもある」
その時、影が急速に動く。
崩れた建物の隙間、暗い路地の奥から黒い塊が次々と滑り出た。
残響の獣。
歪んだ牙。長く裂けた口。骨のように細い四肢。
だがその身体はどこか曖昧で、雪の中に溶け込むように揺れている。
一匹の獣が地面を蹴り、アマネへと襲いかかる。
「こいつッ!!」
カズヤは瞬時に剣を抜いた。
空気が裂け、カズヤは足を踏み込み剣を振るう。
衝撃を浴びた獣の身体が宙で砕け、黒い残響が霧のように雪へ溶けた。
翠風――蒼空の戦いで、確かに視えていた風の軌跡。
当然今は視えない。
視界にあるのはただの空気、ただの風。
カズヤは必死に思い出そうとする。
眼と脳に刻んだあの軌跡を、風の流れを。
あの時の感覚を、自分のものにしようと。
その背後で、別の影が動く。
人型、手には血混じりの歪んだ刃。怪しく微笑む罪人の残響。
それが躊躇無く、カズヤの背中へ振り下ろされようとしていた。
――瞬間、閃光の軌跡が宙を駆ける。
剣から放たれた金属糸が空を駆け、残響の刃を弾き飛ばす。
そのまま糸が首へ巻き付き、締め上げる。
「………」
アマネがブレードを払い、無言で引き寄せる。
そして躊躇なく振るわれた刃が、残響の首を裂いた。
影は音もなく崩れ、雪の中へ溶けていく。
背後から、横から、屋根の上から。
罪人、傷だらけの兵士、血に濡れた獣達。
それらが一斉に襲いかかった。
アマネが大きく腕を払って糸を放つ。
銀の線が宙を走り、刃が振るわれ残響を切り裂く。
だがその動きの中で、思考がわずかに歪んだ。
研ぎ澄まされた戦闘感覚。
外典。
排除。
綴士として過ごした日々が無意識の中で蘇る。
――そこにアインの声が落ちる。
『深くは聞かねえよ。過去は消えない。俺も、お前も。
だが……今どう戦うかは、選べるんじゃねえか?』
「っ……!」
言葉が胸の奥で揺れ、アマネの刃が――ほんの一瞬だけ止まる。
その隙、獣の影が血を奪わんと地面を蹴った。
黒い残響がアマネへ飛びかかる。避けきれない。
「ぁ――」
その時、風が薙いだ。
カズヤの刃が横から割り込み、獣を裂き飛ばす。
「アマネ! 平気か!?」
アマネは一瞬だけ目を伏せる。
思い出したくない感覚と、まだ打ち明けたくない過去が淡く交錯する。
「ッ……ごめん! 大丈夫だから!」
⸻
【2】
周囲にはまだ残響の群れ。雪の中で影が蠢いている。
カズヤとアマネが連携して刃を振るい、一体ずつ数を減らしていく。
しかし、あまりにも数が多い。
「くそっ。全然減らねえ……」
カズヤは剣を握り直した。
その時、ふと気づく。
アマネが飛ばす金属糸は、細い銀の線が宙へと走る。
そして風が触れた瞬間――糸が、微かに震えた。
糸の上を、雪が走る。
まるで見えない刃がそこを通ったかのように。
(……これだ)
風の軌跡は視えないが糸なら――見える。
カズヤが叫ぶ。
「アマネ!!」
「え!?」
「糸を飛ばしてくれ! あいつらを囲うように、思いっきり広く!!」
カズヤの指示を即時そのまま実行する。
――戦うふたりの間に、理屈の説明など要らなかった。
ブレードが振るわれ、金属糸が大きく空へ放たれる。
もう一本、予備のブレードも使い、どこまでも広く。
数秒の間に、細い銀の線が空間を覆うように張り巡らされた。
風が触れ、糸が震えた。
視えないならば、軌跡を描けば良い。
雪が走り、見えない風の刃が糸の軌跡をなぞってゆき、そして。
「災厄の残響――風の軌跡をここに綴る!!」
風が解き放たれ、空間全てが刃へ変わった。
糸の張られた軌跡を、風の刃が一斉に駆け抜ける。
屋根の上で砕け、路地の奥で消え、通りの影で崩れる。
そこにいた外典の残響の群れ――尽くが一斉に裂けた。
風が最後に雪を巻き上げ、白い渦を作った。
――静寂が降り、雪だけが降り続く。
アマネが白い息を吐いた。
「……すごい……」
カズヤは肩で呼吸しながら笑う。
「いや、アマネのおかげだ……ありがとな」
剣を鞘へと戻す。
「んでも……残響、全部消しちまったな……」
「ううん、大丈夫」
アマネは軽く首を振った。
「ちゃーんと、観測機は仕掛けておいたから」
戦闘の最中、アマネが傍らに置いていた観測機は、現れていた残響の情報を確かに収集していた。
「ははっ……やっぱ頼りになるよ、お前」
外典の住む街で、雪と共にふたりの絆も少し積もった気がした。
そして遠く眺めるように――巨大な時計塔の頂で、残響が一つ、淡く揺れた。




