サブエピソード:機環の技師、やらかす
【1】
セントラルドミナ・大書院管理の地下工房。
ある一部の区画だけはいっつも、とっ散らかっていた。
工具。分解された観測端末。謎の歯車。
半分食べかけの食事。
いつ脱ぎ捨てられたかも分からない下着。
そしてその中心に女性がいた。
背が低く、ボサボサの黒髪。
「よーしよしよしよし……来てる来てる来てるっすぅ……!」
彼女は机に突っ伏すような姿勢で、モニターを凝視していた。
三日寝ていないが、目は輝いている。
「いやーもう……天才っすねぇ、うち」
誰もいないのに自分で頷いた。
カムイ・ボルヘス。
大書院所属技師、年齢二十四。
観測機構改良班。
そして――間違いなく天才だった。
⸻
【2】
「オメェ、また徹夜か!」
背後から、主任技師のお爺さんの声がした。
カムイは振り向かず答える。
「寝てる暇が無いだけっすー」
「徹夜やろがい」
主任は机の惨状を見た後、腕を組む。
「進捗は?」
「ありますあります。むしろありすぎて困るっす」
カムイはモニターを指差した。
「誤差、出てるんすよ。判定位相」
主任の眉が動いた。
「……どの程度や」
「0.07%」
「ほんなら許容範囲じゃろ」
主任は即答したが、カムイは首を振った。
「違うんすよ。これ、ほら。
特定条件で偏るんす」
歪む位相。
モニターを見る主任の顔が、少しだけ硬くなった。
「……ってーことは」
カムイは言い放つ。
「記憶によっては、外典寄りにズレやすくなってるってことっす」
装置の動作音だけが響いた。
⸻
【2】
数日後、検証は終わった。
結論は仮説の通り。
正典・外典の判定で使われている綴り式。
その一部が、特定位相を外典側へ補正している。
原因は古い仕様の継ぎ足し。
――つまり、今の正典・外典判定システムには欠陥がある。
カムイは自信満々に報告書を提出した。
褒められると思っていた。
だが違った。
報告書を提出して数日後の会議室。
会議の空気は終始重かった。
慣れない空気に、カムイは窒息しそうになる。
上席の綴士が書類をパサっと閉じた。
「――この件は、ここで止めましょう」
カムイは瞬きをした。
「はい?」
「誤差は許容範囲内です」
「え、違うっす。
偏りあるって書いてるじゃないすか」
別の老年綴士も口を挟む。
「再検査を行えば、社会的混乱が起きるだろう?」
「でも間違ってる可能性があるんすよ!?」
「はん、ただの可能性じゃないか」
しゃがれた声で、冷たく笑い飛ばされた。
会議はそのまま締められた。
「制度の信頼性を揺るがす報告は出せません」
カムイは理解してしまった。
あー、そういうこと。
これは技術の問題じゃない。
政治。
会議後、全員が去り、無駄に広く感じる部屋。
主任技師のお爺さんが、小さな背中をポンポンと叩く。
「オメェは悪くねえよ。忘れろ」
「でも……」
「やることはやったやろ。技師としては。
あとは……どうにもならねえこともあんだ」
カムイは納得しようとした。
だが心の奥で何かが引っかかった。
消えないもやもや。
⸻
【3】
それから二週間後。
カムイにとって、起きてほしくない事案が発生した。
《外典》の判定を受けた子供が拘束された。
判定を不服とし、親と共に逃げ出したらしい。
嫌な予感がして、カムイは慌てて記録を見た。
エーテル位相。補正値。
誤差のパターン。
手元で誤差を補正し、本来あるべき数値で再判定してみる。
――結果は《正典》判定。
(これ……うちが報告したやつ……)
血の気が引いた。
背筋が急激に凍り、身体が震える。
頭皮が痺れ、目がチリチリした。
つまりこの子は。本当は。
その深夜。
カムイは絶対にやってはならないことをした。
「……やるしかないっすよね」
モニターの光だけが空間を照らす。
指が震える中、彼女は深く息を吸った。
「〈機環の残響〉をここに綴る――」
歯車の光が空間に浮かび、論理が無理やり接続される。
「ちょっとだけ……ほんのちょっと」
彼女は正典・外典の判定方法をごく一部、誤差の補正だけ書き換えた。
あるべき形、正しき形へ。
結果は即座に変わった。
拘束された子供の判定も、正典寄りへ再計算された。
カムイは小さく笑った。
「うし。これが正しいんす」
誤っていることを正しただけ。
痕跡も最小、完璧なはずだった。
しかし――技術に明るい彼女も、大書院という組織の構造理解には甘かった。
⸻
【4】
判定結果は、システムだけで決定されるわけではない。
紙の書類。綴士の確認印。
回覧履歴や監査局の照合。
複数の処理が並行して存在する。
面倒な手続き、それゆえに絶対性が担保される。
――翌朝、不一致が見つかった。
「あれ……ちょっと待って。
この案件、昨日は《外典》判定だけど?」
「でもシステムでは《正典》って」
「ええ……?」
警報が鳴った。
「判定基準変更を検知!!」
「内部犯だ!!」
カムイは顔面蒼白になった。
(え、なんでぇ!?!?!?)
気づいた時にはもう遅い。
逃げ場はなく、廊下の先に監査局の隊服が見えた。
終わった。
そう思った瞬間。
――腕を引かれた。
「こっちよ」
低い女の声。黒いコート。鋭い目。
だが不思議と安心感があった。
「走って」
手を引かれて導かれるまま、カムイは反射的に従った。
⸻
【5】
廊下を走りながら、カムイの頭に疑問が浮かんでいた。
(なんで、逃げ道……?)
女には迷いがなかった。
裏通路も搬出口も、警備の死角も。
まるで全てを把握している動き。
なんとか外に出たところで、カムイは息を切らしながら言った。
「はぁ……はぁ……。
なんで……助けたん、すか……はぁ……」
女は少しだけ考えてから答えた。
「アナタのこと、見てたから」
全く予測できなかった返答。
「……はい?」
カムイはパチパチと瞬きだけした。
「判定システムの誤差報告を出して、無視されたでしょう」
背筋が冷えた。
「な、なんで、知ってるんすか……」
「大書院にもね、アタシ達の協力者がいるの。
アナタが唯一、“誤差”に気づいて、ちゃんと声を上げた」
あまりにもさらりとした回答に、カムイは言葉を失う。
「制度より真実を優先する人。そういうの貴重なのよ。
子供が拘束された記録を見たら、あなたは絶対何かやると思ってた。
ダメなことだとしても、納得いかない、って」
カムイは黙った。
その言葉の通りだ。否定できず、図星。
女ははっきりと、カムイの目を見て言い放つ。
「だから待ってたの。アナタが“しでかす”時を。
その決断から、アナタを助ける為に」
⸻
【6】
カムイの声が、自然と震える。
「うち……。
うち、間違ってないっすよね……?」
女は真っ直ぐ即答した。
「間違ってないわ。
アナタは正しく人を救おうとした、優しい技師よ」
その言葉を聞いた瞬間。
安心したのか、怖かったからか、認められたからか。
涙がボロボロと溢れた。止められなかった。
女は静かに続ける。
「――アタシ達と、一緒に来ない?」
カムイは差し出された手を見た。
少し迷ったけど、それでも、その手を握りたくなった。
その日、天才技師は大書院を追われた。
代わりに――断章の詩の天才技師が生まれた。




