一章 第27話:災厄、翠風を識る
【1】
刃鳴りが、広間の空気を裂いた。
ゲイルの風刃は、抜かれた瞬間にはもう、そこにあった。
抜刀は動作ではなく、結果だった。
「うっ!!」
カズヤは反射的に剣を振る。
だが、刃と刃が触れ合うより先に、横合いから圧が来る。
ズンと空気が叩きつけられ、身体が半歩流される。
(やっぱ速え!!刃を避けても風が来る!
目で見るんじゃ無理だ……)
風が、間合いを縮めてくる。
床を滑るようにゲイルの姿が揺らぐ。
翠の風が足元で渦を巻き、彼の体を押し、運び、抜刀の地点へ“届かせる”。
――ヒュッと空気を裂く音。
音が遅れて追いついた。
カズヤは剣で受けるが、衝撃が腕を通して肩へ、背骨へと突き抜けた。
「がっ………!!」
剣が、震えた。
ゲイルは、感情のない顔で刀を戻す。
「“災厄の外典”。
俺の相手をすると言っていたが……どうした?」
再び、後ろから翠の流れ。
「くそっッ!!」
カズヤは跳ぶ。
床を蹴り、無理矢理に間合いを外した。
が、着地の瞬間を狙われた。
風が足を払い、思いっきり床に叩きつけられた。
急ぎ体勢を立て直すが、息が追いつかない。
「はぁ……はぁ……っッ」
思うように戦えない。剣を振るえない。風を纏えない。
全てを上に行かれている感覚。
(……掴まねえと………こいつから………)
――風の使い方を。
目の前の者は越えるべき相手であると同時に。
風を学ぶべき相手。
⸻
【2】
ゲイルは違う。
振るう刃は距離や位置、角度に関係なく、
彼と、刀と一体となって斬撃となる。
カズヤの風は、まだ“散っている”。
雑に吹かせているだけだ。
剣を振れば一応は纏う。
だがそれは、せいぜい刃や身体の周りを荒らす程度。
理由は単純だ。
感覚や距離感。目に見えないから、吹かせる場所も分からない。
対してゲイルの風は、最初から“線”になっていた。
刀が抜かれるより先に。
足が踏み込むより先に。
翠の流れが一本の道を決め、その上をゲイルがなぞる。
風が運んでいるのは、空気じゃない。
斬撃そのものだ。
(あいつは多分、残響で“風の道”が見えている。
はっきりと見えているから、操れる……)
理解、と呼ぶほど立派なものじゃない。
だがカズヤはようやく、ゲイルの強さの核だけは掴んだ。
ゲイルの姿が揺れた。
刀が走る。翠の風刃が、空間を裂いてくる。
「ぐっ――!考えてんだろうが!!」
カズヤは剣で受ける。
受けた瞬間、腕が砕けるかと思うほどの衝撃。
皮膚が裂け、熱が散る。
(駄目だ、真似できねえ……!)
風を感じることはできる。
だがそれは、操るとは程遠い。
目ではっきりと見えないものを、精密には操れない。
――ならば。
(見えているから操れる。逆は……?)
口に出し、自身に言い聞かせる。
「……風を掴めないなら、掴めるように」
見えるから操れるなら、
見えなくても操れる仕組みを作ればいい。
その答えは、すでに手に入れていた。
危機的状況に思考が巡る。
ゲイルは、風を“運んでいる”。
抜刀の線に風を沿わせ、踏み込みの重心に風を預け、刀身の軌道へ風を“連れてきている”。
そうやって束ねた風が、さらなる風を運び、風刃の連撃となる。
そこで記憶が蘇り、強烈に跳ねた。
灰の塔――あの“水野郎”。
セイル・オーウェルとの戦い。
〈理水の残響〉。
水を地面に沿って動かし、指の折りに合わせて曲がらせた。
自然を、命令で動かしてるんじゃない。
――自分がひいたルールに沿って動かしていた。
(……そうか!こいつら、理屈は同じ)
本来は見えないものを、見えるようにする。
ルールを与える。運び方を決める。役割を固定する。
だから、制御できる。
カズヤはニッと笑った。
それは挑戦者としての疼き。
「んなら、やってみっか……!」
風が見えないなら、地面に沿って走らせる。
セイルの水のように。
居合の気配。
ゲイルの翠の刃が抜かれる、その直前。
カズヤは、剣を水平に薙いだ。
狙うはやや目先、ゲイルがいる周りの床。
風は、見える形にはならない。
だが――辿り着くべき距離はゲイル本人が示している。
床に沿って伸び、這うように、地を舐めるように。
瞬時にゲイルの足元へ到達し、風が裂き上がる。
「……!」
翠風が裂かれ、ゲイルの体勢がほんの僅かに沈む。
(――いける!!)
ゲイルは沈んだ姿勢からそのまま強く踏み込み、真正面に斬り込んでくる。
カズヤはそれを剣で受けながら――吠えた。
「来いッ!!」
地と空に散っていた風が一斉に跳ね上がり、ゲイルの背後へ回り込む。
――ドンッ!!
衝撃が、ゲイルの背を叩き抜いた。
「……ちっ!」
不意の攻撃と痛み――ゲイルの目に、初めて苛立ちが宿る。
床・壁・足運び。
見えないなら、見える世界へ固定する。
なんとも荒く雑だが、今のカズヤにできる最大限の、風の制御方法。
⸻
【3】
――しかし。
ゲイルの瞳が、冷たく細まった。
「その程度で、俺に届くと思ったか」
嵐の前の、鳥肌が立つほど研ぎ澄まされた静寂。
ゲイルの周囲で、翠の風が収束する。
先ほどまでの風刃は、斬撃の延長だった。
だが今度の翠は――“刃を抜く為の世界”そのものを整えている。
刀身が鞘に納まったまま、空気の密度が変わっていく。
ゲイルの踏み込みが変わる。
速さではない――角度だ。
視界から消えたと思った刹那、右。その次の瞬間には左。
翠風が脚を運び、重心を運び、刃を運ぶ。
刀より先に“道”が敷かれ、ゲイルはその上を滑るだけのように踏み込んでくる。
――抜刀。
カズヤは辛うじて剣を差し出し、金属音が鳴った。
だが、受けたのは“刃”だけだ。
その瞬間にはもう、翠の風刃がカズヤの周囲を取り囲んでいた。
三つではない。
六。九。
斬撃の軌道が枝分かれし、風が刃の影を増やしていく。
「分っかんねえ……っ!!」
避けた先に刃がある。
受けた後ろに、退いた足元に刃がある。
風が、それぞれ別の意志を持つ獣のように襲いかかってくる。
ゲイルが刀を振るう。
カズヤが剣で受ける。
――だが、風刃は受けられない。
一つを弾いた余波が、二つ目の風刃となり。
二つ目の風刃を避けた“空白”を、刀身が縫う。
刃を防いだはずの瞬間、足元が裂けた。
「いっ……つ……!!」
皮膚が薄く削がれ、遅れて熱が跳ねる。
血の臭いが立つ。
受けた刃の“後ろ”に、さらに翠風が追撃する。
斬撃が終わらない。風が――終わらせてくれない。
肩が裂け、二の腕が切れる。
飛び散った血が、冷えた空気に吸われていく。
防ぐので精一杯だ。
攻める余白が、ひとつも落ちていない。
風は感じる。
だが次の瞬間には、置いていかれる。
剣の腕も、風の練度も――自分とは格が違う。
(なんとかして……勝たねえと……!!)
この先を戦い、生きていく為に。
アマネが生きていく為に。
ここは――通過点にしなければならない。
⸻
【4】
『君はまだ、“災厄の一端”にしか触れていない』
メキースの言葉が、ふいに脳裏をよぎった。
――それがきっかけだったのか。
あるいは追い詰められた心が、勝手に戸を叩いたのか。
カズヤの胸の奥で、何かが蠢いた。
黒い。重い。“感情”と呼ぶには、あまりにも異物。
喉の奥に鉄の味が広がり、世界の輪郭が薄くなる。
望んでいない。
だが、追い詰められた心が――
見ないようにしていた災厄の記憶と“眼”を合わせてしまった。
視界の端が、黒く滲み始める。
(バカか俺……しまった……!!)
今ここで出したら、全部壊れる。
けれど、黒いものは甘い。
“答え”の顔をして、奥から手を伸ばしてくる。
――全部消えろ。
――お前も失え。
――壊れろ。
その瞬間、ゲイルの動きがぴたりと止まった。
「……今のは」
刀が抜かれかけたまま、翠の風が一瞬だけ鈍る。
風詠みとしての感覚が告げている。
異質な風、人の感情の輪郭に収まらない風。
翠風が、触れてはいけないものに触れかけた。
ゲイルの視線が、カズヤの奥へ。
背後に漂い始めた黒い気配へと向く。
「お前は――何を抱えている?」
翠の風が、警戒するように震えた。
広間の空気が凍りつき、温度が一段下がる。
カズヤの胸の奥で、黒いものが――笑った気がした。




