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残響詩篇  作者: 宗一郎
第一章:共風と共に去りぬ
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一章 第24話:責務の拳、風の翼

【1】


《ソリスタの聖壁》内部、

大書院の業務区画は、完全に戦場へと変貌していた。



草原の戦士達が叫び、槍を振るう。

監査局の隊員達は短い号令を交わし、隊列を崩さず前進する。


一対一の戦いではない。

数と練度、その差が静かに、しかし確実に場を侵食していく。



――だが。


戦場の中心だけは、別の重さを持っていた。


ジャン・ポールは、拳を握り込んだ。

指を折り畳む音が、やけに大きく響いた。



武器は持たない。

否――必要がない。



「〈責務せきむの残響〉をここに綴る――」



低く、淡々と唱えられた。


空気が沈み、彼の足元から不可視の重圧が広がる。

筋肉が締まり、骨が鳴る。


外套の下で、肉体そのものが“役割”を帯びていった。



〈責務の残響〉。

それは、人類が積み重ねてきた義務と責任の記憶。

背負う責任の強さが、そのまま肉体を武器へと変換する。


逃げず、迷わず、折れず。

責任感。正義感。使命感。


――その覚悟が強いほど、肉体は硬く、拳は重くなる。



「先人達の責務に触れるたび、背筋が正される。

私もまた、その列に連なる者でありたい」


そう語った途端、ジャンの拳が消えた。



アインは反射的に槍を掲げる。


ガンッ――!!


金属音とも爆発音ともつかない衝撃。


「ぐっ……う…!!」


腕が弾かれ、肩から背中へと、衝撃が突き抜ける。


ただの殴打ではない。

重心、角度、速度――全てが計算された粉砕。



ジャンの眼鏡が煌めく。


論理的粉砕拳ロジカル・フィスト

我が拳は、論理的に対象を破壊する」


アインは歯を食いしばり、槍に火を走らせた。


「真面目な顔で、ふざけたこと言いやがる……」



〈罪火〉は使えない。

ならば――


火を纏った槍が、一直線に突き出される。


リーチと間合い、その一点突破を狙う。



だがジャンは、紙一重で身を捌いた。

半身を引き、軸足を入れ替え、最速・最短距離で拳を槍へ叩き込む。


槍が大きく弾かれ、露わになるアインの腹部。


「――っっ!」



ズドンッ、と鈍い衝撃。

アインの腹部に、ジャンの拳がめり込む。


「ッッ……ッが……!!」


呼吸が詰まり、視界が一瞬白くなる。



崩れそうになった膝をなんとか支えた。


(痛っっ……やべえな……。

分かっちゃいたがこの眼鏡坊主、強え……!)



動きが洗練されすぎている。


殴る為の拳ではない。

秩序を守る為に研ぎ澄まされた、“責務の拳”。



監査局第五課・封災課長。


災いとなりうる者と向き合い、外典を排し、数え切れない修羅場を踏み越えてきた男。


戦いの“質”が、違う。




【2】


周囲では、草原の戦士達が次々と押し返されていた。


連携。判断速度。

負傷者への即応。


ジャン配下の隊員達は、一切の感情を挟まない。

淡々と、確実に敵戦力を削っていく。


「ぐあぁっ……!」


草原の戦士達が一人倒れ、また一人が膝をつく。



アインの視界の端で、仲間が吹き飛ばされた。


(……まずいな。

劣勢どころじゃねえ。全部足りねえ)



「――だがよ、引く気もねえなッ!」


アインは槍を強く踏み込み、火を走らせる。



ジャンの拳が迫る。

しかしアインは、真正面から迎え撃った。


「黙って殴られ続ける趣味はねぇ!!」


火を纏った槍が、地を擦るように低く走る。

ただの突きではない。


相手の踏み込みを潰すための、間合い殺し。



ジャンは瞬時に反応。半歩、動きを止めた。


「………!」


わずかな遅れ。

それだけで、戦場では“通用した”と言っていい。



アインは、その一瞬を逃さない。


「――らぁっ!!!!」


踏み込み、連撃。

突き、薙ぎ、返し、火の軌跡が空間を焼き裂く。



ジャンは受ける。

避け、いなし、的確な動きで論理的に拳で捌く。


だが――


一撃。

アインの槍が、ジャンの外套をかすめた。


布が裂け、火花が散る。



ジャンは、わずかに目を細める。


「……なるほど」


初めて、明確な感情が声に乗った。


「力任せではない、か。

相手の動きを読み、攻め込む場所を選んでいる。

監査局の戦闘教範とは異なるが……実戦で生き残る動きだ」


それは淡々とした評価だった。


アインは、口の端を吊り上げる。


「そうかい。そりゃどうも。

褒められても全然嬉しかねえがな」




だがその中でジャンが、拳と共に問いを叩き込む。


「当時の記録では、お前は高く評価されていた。

――なぜ上官を殺した」



アインは歯を食いしばり、槍の柄で受け止める。

衝撃が骨まで響く。


「…………ッ!」


ジャンは拳を振るいながら続ける。

抑揚なき断罪の声が、拳と共に降る。


「なぜ捕まって、罪を償わない」



アインの目が鋭く吊り上がり、吐き捨てるように笑う。


「はっ!

てめえに言われなくても分かってんだよ。

俺は――道を踏み外した。罪を背負った。償いもする」


火槍を振るい、突き返す。


「だが、守ったものまで間違いだったとは思えねえ。

……だから償い方は、俺が決める!!」


息吐く間もなく、拳が来る。

アインは身を捻り、紙一重で躱す。



アインは吠えた。


「奴は“外典の子供を殺せ”なんて言ってきたんだ!!

てめえにそれができんのか!課長さんよぉ!!」



ジャンの眼鏡の奥。瞳は揺るがない。



「できる」



たった一言。拳が落ちる。床が砕ける。


「外典は危険だ。

可能性ではなく、統計でな」



アインの槍が火花を散らし、拳を受け止める。


「……統計。くだらねえな。

数字で計って殺すのが、秩序ってやつなのか!?」


ジャンの拳がさらに押す。


「“統計を無視した感情”こそが、犠牲を増やす。

私は嫌というほど、それを目の当たりにした。

たとえ殺してでも、秩序を守る」



アインの胸が、苛立ちではなく寒気で締まる。

この男は躊躇なく感情を捨て、()()()()()を切り捨てられる。


「守る?」


アインは笑った。だが目は笑っていない。


「秩序ってのはよ――

誰も泣かせない為にあるんじゃねぇのか!!」




【3】


槍がうなり、火が走る。

怒りの熱が、理屈の壁にぶつかる。


ジャンは受ける。

正面から。逃げずに。ひとつひとつを潰す。


「お前は――正しいことをしたつもりで、正しさを壊したのだ!」



アインは低く唸った。


「うるせぇな!

壊さなきゃ守れねえもんがあんだろうが!」


拳と槍がぶつかり、業務区画の書架が揺れた。

紙が舞い、記録が散る。



まるで相容れない二人を隔てるように――。



「であれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



ジャンの感じる“責務”がさらに強くなる。

それはそのまま、肉体の強化に繋がった。



責務こそが、彼の存在証明。



ジャンの踏み込みが、一段と速く。


「な――っ!?」


拳が、槍の死角から叩き込まれる。


「ぐ……このッ!!」


アインの身体が宙に浮き、床に叩きつけられた。

息が、肺から押し出される。



アインはすぐに体勢を戻すが、ジャンの攻勢は止まらない。


追撃。


拳、拳、拳、論理的な拳。


全てが急所を外さず、秩序の敵を倒す為だけに組み立てられた動き。


「……ああッ!!くそがっ!」


よろけたところを再び立ち上がる。



だが、痛みに負け足が一瞬遅れる。



その隙を、ジャンは見逃すはずもない。

勝機を見出したかの如く、坊主頭が光る。



「――終わりだ。アイン・カフカ」



拳が振り抜かれる。

誰の目にも、決着の一撃。



その時。



風が――鳴いた。




【4】


影が翔ぶ。



蒼い残像がアインの頭上を追い越した。


「あ……っ!?」


ジャンの視線が、僅かに上を向く。


「――何者だ」



背に広がるは、大きく蒼い翼。



「立てるか」



短く、鋭い声の持ち主が降りてくる。

着地と同時に、()()()()()()が記録区画へと雪崩れ込む。



アインの前に降り立った者。



渓谷の部族《カレッシャ》を率いる女戦士、イーリス。



アインは目を丸くして、舞い降りた女性を見た。


「あんた……。

姉御が言ってた渓谷の…族長だっけか」


「違う」


即答。


「渓谷を率いている者だ」


「それ族長って言うんじゃねえのか!?」



一瞬の間。


アインは槍を肩に担ぎ、軽く笑う。


「……ま、いいや。

やれるか?あの眼鏡坊主、信じられねえくらい強えぞ」


「どれほどだ」


「あー……、俺がもう一人分は欲しいとこだな」



イーリスはわずかに口角を上げた。


「なら、余裕だな」


皮肉めいた返答に、アインが笑い返す。



イーリスの周りで、風が集束する。



「〈鷹翔ようしょうの残響〉をここに綴る――」



彼女の背に、先ほど纏っていた蒼い風の翼が、再び形を成す。

骨格に沿うように、刃のような羽根が広がる。



それは渓谷の民の誇り。

草原と渓谷を自由に飛ぶ、一羽の鷹の自由の記憶。


空を裂き、風を蹴る力。



「渓谷はお前達に協力する。

――風はお前達の方へ吹いている」



イーリスは飛んだ。


床を蹴り、書架を踏み、天井すれすれまで一気に上昇。



ジャンの表情が、初めて僅かに動く。


「ほお、飛行の残響……」


声に、ほんの少しだけ警戒が混じる。



戦場が、立体へと変わる。


地上ではアインが圧をかけ、上空ではイーリスが機動する。


空と地。


二つの視点。

二つの殺意。


その中央で、ジャンは静かに構え直した。

眼鏡と剃り上げた頭が鋭く光る。



戦いは――ここから、本当の局面へと踏み込んでいく。

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