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残響詩篇  作者: 宗一郎
第一章:共風と共に去りぬ
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一章 第23話:裁く炎と裁けぬ男

【1】


怒号が《ソリスタの聖壁》へと叩きつけられる。



夜明け前。

空の骨格を支える大橋。



そこへ――

草原の戦士達とアインを先頭にした突入部隊が、風艇から飛び降りた。


橋が震える。

金具が鳴り、武具が軋み、心臓の鼓動が一つの音へ収束していく。



「皆、ゆくぞォオ!!!!!」

「おおおぉぉぉぉ!!!!!」



族長が雄叫びを上げ、巨大な槍を振り上げた。

草原の戦士達も、それに合わせて咆哮する。


その声は祈りでも命令でもない。

ここで退けば、地上にある全てが崩れると知っている。


草原の戦士達が一斉に走り、足裏が橋を叩き、風が割れる。



対して聖壁の上層から、迎撃の影が降り注いだ。


白い外套。規律で整列した動き。

監査局の戦闘部隊。


その間に、風紋の刻まれた軽鎧の戦士達。

浮島の民、《ファルティア》。



「止まれーー!!!」

「侵入者は全員確保、必要なら排除!!」



刃が交錯する。


金属音と火花。

風の裂ける音。

誰かの息が潰れる音。


アインの槍が前線を薙ぎ払う。

族長の号令が背を押し、草原の戦士達が一斉に突き進む。



――だが、監査局は崩れない。


軍人らしい整然とした包囲。

一対一ではない。角度で殺しに来る“集団の論理”。


そこにファルティア兵の風が重なる。

踏み込みが速く、間合いの詰め方が異様に洗練されている。

まるで、戦う為に訓練された風。




アインは唇を吊り上げた。


「ちぃっと厄介そうだな……!」


槍を握る指に熱が走り、残響が火を灯す。

燃える火槍が空を裂き、敵列に爪を立てた。


斬撃。衝撃。

エーテルの、残響のぶつかり合い。


橋の縁が欠け、石片が大地へ落ちていく。

下を見れば終わり。

だが誰一人、視線を落とさない。



押し返される。

踏ん張る。血が滲む。

それでも、アイン達は一歩一歩、前へ押し込んでいく。



理由は一つだ。



「止まる気はねぇんだよ――俺達は!!」



叫びと共に、アインの槍が再び唸る。

戦士達も合わせて叫ぶ。


彼らの背中には、任された未来がある。


守るべき草原がある。風の民がいる。

そして――支配させない為の、最後の抵抗がある。



空の玄関口は、今。


命で、こじ開けられようとしていた。




【2】


戦場は、徐々に聖壁の内側へと押し込まれていった。


剣戟の火花が、風の圧が、

逃げる余地を一つずつ削っていく。


回廊を越え、門を砕き、血と怒号の渦のまま――

彼らは内部へ押し入っていった。



混乱する戦況の中、四方に分かれながらひたすら戦闘が行われる。


目の前の敵を撃ち払い、内へ、先へ、上へ。


突き進む内に、やがてアインは数名の戦士と共に、異質な空間へと踏み込んだ。



そこに広がっていたのは、

石と金属で組み上げられた巨大な区画だった。


天井は高い。

梁の間を淡い光が流れるように走り、

風ではなく、秩序がこの空間を巡回しているように見えた。


壁一面に並ぶ記録棚。

年代、分類、案件名――

世界の出来事が、あまりにも整然と棚へ収められている。


書架は微かな音を立てて回転し、

端末の表面には、まだ処理を終えていない“記録”が淡く揺れていた。




――大書院の業務区画。



ここは戦場ではない。

大書院の綴士つづりし達が、世界で起きた出来事を、

記し・封じ・選別する為の場所。


人の感情も、争いも、犠牲も――

その熱を削ぎ落とし、数字と文章へ変換するための場所だ。



綴士達はすでに退避しているらしい。

椅子は並び、机は整い、筆記具も器具も揃っているのに、そこには誰もいなかった。


“仕事だけ”が置き去りにされたような静けさ。


 


「……ここは……」


誰かが、思わず声を落とす。


「記録区画、か。聞いたことあんな……」


アインは戦闘の緊張を残したまま、歯を噛みしめた。



剣を振るうには、あまりにも静謐。

血を流すには、あまりにも無機質。


戦場としては、致命的なほどに不釣り合い。




【3】


業務区画の奥。


高く積み上げられた書架の影から、

部下を従え――ひとりの男が、静かに歩み出た。


足音が響く。

この床は戦場のために作られていない。

だからこそ彼の歩みは、争いの音より先に、空間へ染み込んだ。



剃り上げた坊主頭。

白の外套。

黒縁の丸眼鏡。


監査局第五課・封災課長。


――ジャン・ポール。


 


彼が姿を現した瞬間、この区画の空気が締まった。


威圧ではない。

殺気でもない。


秩序が降りてきた、という感覚だった。


乱れた呼吸が、乱れた心拍が。

ここから先は許されない、と叱責されるように整っていく。



「……そこまでだ。アイン・カフカ」



低い声。抑揚はない。

だが名を呼ばれた瞬間、全員が悟った。


――狙われているのは、彼だと。



「想定通りだ。

正面突破。草原の戦士達。

派手で分かりやすい、優れた陽動。よほど()()らしい」


ジャンは視線を逸らさない。

淡々と、戦況を評価する声音。


「だがこの区画へ辿り着いた時点で、役目は終わりだ」



その言葉に、アインの表情が硬くなる。


(……誘い込まれた、ってか……?)



ジャンは続ける。


「戦況は私が管理している。

侵入は、規模も方向も“想定の範囲内”だった」


冷静すぎる。


「“災厄の外典”も別ルートで侵攻しているのだろうが……、そちらは別で固めている。

――私が最優先で排除すべき対象は、お前の情報を得た時に確定した」



視線が、迷いなく一直線に捉えた相手。


かつて、同じ組織にいたはずの男。

同じ規律の下で戦っていたはずの存在。


 

アインは、口角を上げた。


「……なるほどな。

俺を仕留める気で、ここを“狩場”にしたってわけか」


「ここは《ソリスタの聖壁》内でも、監査局の管轄区画。

無関係な者は退避済みだ。余計な被害も出ない」


眼鏡の奥の視線が、まっすぐアインを射抜く。


「何より――お前に相応しい場所だろう。

筋を通さず逃げ続けた反逆者を終わらせる。

……最も合理的だ」



業務区画の静寂が、糸のように張り詰め、軋む。



ここは記録の場所。

だが今、この瞬間――


断罪の場へと、変わっていく。




【4】


“灰の祭典襲撃事件”は、封災課にとっても記憶に新しい。

その概要は、すでに監査局内で詳細まで共有されていた。


表向きには、“災厄の外典”による被害として処理されている。

だがジャンの知る限り、実態は異なる。


彼らは()()()()()()よりも、

確定した損耗――現に生じた被害をまず優先する。

秩序とは、憶測ではなく結果で編まれるべきものでもある。



そして、その被害をもたらした者の名は――。



「アイン・カフカ。

上官殺害。外典転落。逃走。監査局の面汚し」


言葉は刃のように整えられていた。

感情を挟まないからこそ、逃げ場がない。



空気が凍りついた。


ジャンは背筋正しく、アインへ宣告を振り下ろす。


「お前の罪状は、すでに確定している。

ここで終わらせるのが、筋というものだろう」



アインは、鼻で笑った。


「昔何度か、あんたの下で働いたことがあったっけか?

相変わらず言葉が固ぇな」


槍を担ぎ直し、視線を真っ直ぐ返す。


「……なあ、課長さんよ。

その“筋”ってのは、誰が決めてんだ?」



ジャンは瞬き一つせず、眼鏡を整えて答える。


「全ては正典の記録が決める。

秩序が決める。論理が、規則が、責務が決める」


それは彼の信仰だった。



アインの息が一つ、深くなる。


「……じゃあよ。

その秩序が間違ってた時は――どうすんだ?」




張り詰めた静寂が、ひときわ深くなる。


業務区画の端末が、淡い光を脈打たせた。

まるでこの会話すら、記録しているかのように。




【5】


アインの内側で、残響が燃え上がる。


〈罪火の残響〉。

罪を照らし、燃やし、断ち切るための力。



胸の奥で、いつもの感覚が立ち上がる――はずだった。



「〈罪火の残響〉をここに――」



だが。


アインは“何も起きていない”ことに気づいた。


火が灯らず、熱が走らない。

胸の奥が、底抜けに静まり返っている。


「………!?」


アインの目が、初めて大きく見開かれた。



ジャンは静かに言う。


「無駄だ」


一歩、踏み込む。その姿勢は揺るがない。


「お前の残響は把握している。

〈罪火の残響〉、罪を燃やす力だ」


そして、淡々と断じる。



「だが、()()()()()()()()()()



嘘ではない。誇張でもない。


彼は本気でそう思っている。

揺らぎが、一切ない。


何よりアインの残響そのものが、それを証明している。


「清廉潔白を貫いてきた。

少なくとも、この職務においてはな」


背筋は真っ直ぐ。視線は曇らない。

自分の判断を疑うという発想自体が存在しない。



「燃やすべき罪など――私には存在しない」



(……こいつ……!!)



〈罪火の残響〉は、罪そのものを燃やす力ではない。

世界に刻まれた“罪源”と、

それを罪として成立させる“証人”が揃った時、初めて炎になる。



人は大なり小なり、何か暗いものを抱えて生きている。


小さな嘘や誤魔化し。

目を逸らした瞬間。

誰かを傷つけた記憶。


たとえ些細であっても、

()()()()()()()()()()()があれば、それは“罪源”となりうる。


そしてその事実を自覚し、心から否定できない限りは。

本人自身が、その罪の“証人”となることもある。



だが――この男には、それがない。


少なくとも自分の選択を“一度も”疑ったことがない。

秩序の側に立つ己を、永遠に正しいと信じている。

 


視線の先で、坊主頭が灯火を反射した。


罪を犯しているかどうかアインには知る由もないが、ここにいるのは、悪人ではない。



むしろ善良で真面目で、職務を全うする有能な――秩序の化身。




それはアインにとって初めて直面する、絶対的な相性の壁だった。

アインの頬に、焦りの汗が滴る。



「さて、どうすっかな……」

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