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残響詩篇  作者: 宗一郎
第一章:共風と共に去りぬ
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一章 第16話:二つの行軍

【1】


アマネ達がエルダレンの集落に戻ってきた頃。


太陽は真上に昇り、心地良い日差しが草原を照らしていた。



風の音が違う。

どこか落ち着き切らず、ざわついた気配を残したまま、草原を撫でている。



「皆さん、おかえりなさい!」


エルダレンの民達が労いの声をかけてくれる。

短い安堵の空気。



だが、それはすぐに緊張へと戻る。



集会所に輪が作られた。


先に戻ってきていた、カズヤとノエラの交渉班。

追って帰ってきた調査班。


それぞれの顔が、ひとつの場所に揃う。



その中央に立つのは、メキースだった。


いつもの落ち着きと、冷たい判断力を宿した眼差し。


「さて――それぞれ、状況を整理しよう」


静かな声。

それだけで、場の空気が締まる。



まず交渉班、ノエラが口を開いた。


渓谷の部族《カレッシャ》。

対立寸前だった状況は、なんとか剣を収める形へ持ち込めたこと。

代表の戦士イーリスは警戒を解かないまま。

それでも“敵対はしない”意思は見せたこと。



話をじっと聞いた後、メキースは即断した。


「うむ……。

信頼ではなく、均衡の上に乗っているだけだろう。

少しでも傾けば、崩れてもおかしくない」



メキースはその視線を別の方向へ移す。


「では――調査班の方も、状況を教えてくれ」



視線を受けたカムイが、ふぅっと息を吐いてから前へ出た。


「結論から言うと、まだ全体像には届いてないっす。

でも、成果ゼロってわけでもなくて」


そこには、明らかな手応えの光があった。



共鳴風の異常。

これはおそらく、アークティアの“綴り”に異常が起きていること。

そして、通常はすぐに消えるミレイの痛みが、

《ソリスタの聖壁》直下の断層地帯では続いてしまうこと。

風詠みを行っても、アマネの感情が詠めなかったこと。



それはつまり。



「アークティアの“綴り”は“感情の綴り”。

《ソリスタの聖壁》の直下、断層の底にあると思うっす。

んで問題は――リムランドの時と同じっすね。

なんで問題が起きてるか、どうやってそれを直すか、今は見えてないっす」




【2】


焚き火がぱちりと弾ける。

その音を区切りに、メキースがまとめる。



「――整理しよう」


視線は冷静だが、声には熱があった。


「我々は前進したが、まだ足りない。

“全体”が見えていない」



指を折る。


「共鳴風。渓谷の均衡。

そしてなによりも筆聖達――浮島側の動きだ」


場の空気が一瞬、重くなる。


「ヴァリウスが“感情の統制”に踏み切るタイミングは読めない。

明日にでも始めるかもしれない。一週間後かもしれない。

我々が何も掴めないまま時間を浪費すれば――全て、後手だ」


ノエラが静かに目を細める。


「……始まってから動いてちゃ、何もかも手遅れね」


「ならば」


メキースが全員を見渡す。



「浮島に対しては……、

こちらから、先手を打つ必要がある」



その言葉に、周囲の視線が鋭さを取り戻していく。


「先手、ですか……?」


アマネが小さく問い返す。


メキースは、迷いなく言った。



「――浮島に渡り、筆聖ヴァリウスを止める」



その言葉が、まるで燃料を焚べた時のように空気を揺らした。



「ただし、肝心の“大風脈”は閉じたままだ。

正規の渡航手段はすでに断たれている」


アインが唸る。


「結局、そこは見えずじまいだったからな。

監査局の飛空挺でも奪うか?」


「はははっ。それは豪快だが、無茶だろう」


メキースは笑った。


「草原を駆ける風脈も、空へ渡る大風脈も、ただの風ではない。

強烈な感情の流れが形を保ったまま、地を駆け、空へ昇る現象だ」


ノエラの目がわずかに見開かれる。


「……つまりは」


「そうだ」



メキースは片腕を組み、堂々と告げる。



()()()()()()()()()()()()()



言葉はあまりに簡潔。

だが、その意味はあまりにも無茶で、そして――大胆だった。


「強烈な感情を媒介にして、大風脈と同様の、昇る風を作り出す。

それができれば、浮島まで渡る活路はこじ開けられる」


全員の背を押すように、風が強く吹いた。


「なあに、問題ないさ」


メキースは笑う。



「鍵になるのはミレイくん、そしてカズヤくんだな。

彼らを軸に、この場にいる全員の力を合わせれば――“空を飛べる”」



無茶にしか聞こえない話。

成功する保証など、どこにもない。



だが、誰一人として顔を伏せなかった。


草原に明るく差す日差しが、彼らの決断を包む。



浮島に渡り、筆聖を止めるための決戦。

準備の始まりを告げるように、集落の上空を鷹が飛んだ。




【3】


空の高みにそびえる《ソリスタの聖壁》。


眩しい陽光の彼方に、飛空艇の影が現れる。



甲板が開くと、

白の長い外套を靡かせて、ひとりの男が姿を現した。


剃って艶のある坊主額。

布の張りと歩みの重さだけで、鍛え抜かれた筋肉の輪郭が否応なく伝わってくる。


そして、黒い丸眼鏡が光を受ける。

その視線は冷静で、しかし決して冷たいわけではない。

言葉を選ぶ者の目だった。


グローブをはめた指先で、風を測るように――

男は部下を大勢引き連れ、静かに聖壁の内部へと入っていった。



聖壁内部の会議室。


そこに、ヴァリウスはひとり座っていた。


「筆聖ヴァリウス・オルドレイク卿。

監査局第五課・封災課長。

――ジャン・ポールです」


「……ほう。お前が来るとはな」


穏やかだが、芯の揺らぎがない。

使命感に満ちたような声。



監査局第五課・封災課。


それは外典や堕ちた正典、

世界を襲う可能性のある危険人物と対峙する、という職務を与えられた者達。



ジャンは一礼し――

巨躯の筆聖へと言葉を送る。


「本日より、このアークティア大陸における災厄対策は、

我々封災課が――指揮下に入ります」


その態度には恭順と敬意が同居し、

しかし同時に、自身の責務を一切見失わぬ意志が宿っていた。



ヴァリウスはわずかに頷いただけだった。

感情を揺らさない、鋼の表情。


「そうか。好きに動け。

必要なら私の名を使え」



ジャンは一つ、事務的に告げる。


「事前資料の方針に従い――

浮島圏の状況把握と迎撃準備を最優先。

地上については、深入りせず情報収集のみに留める。

この認識で、よろしいですかな」


「問題ない。

地上に要員を割いたところで意味はない。

()()()()()。迎撃の備えに注力しろ」


それ以上の説明はなかった。

まるで、未来がすでに確定しているかのような口調だった。



ジャンは一瞬だけ眼鏡を押し上げる。


(ここで戦いが起きることを、最初から織り込んでいると?)


だが異議は挟まない。

彼の役目は判断ではなく、遂行だ。



――ヴァリウスの胸の奥に、わずかな波紋が走る。


(……メキース。お前は、どう動く)


静かで、しかし鋭い思考。


(お前は、必ず俺の前に立つだろう。

浮島へ渡れないこの状況でも、あり得ないはずの“翼”を得て。そういう男だ)



それは予測ではない。

確信に近い、理解だった。



ジャンは再び、自然な仕草で眼鏡を押し上げる。


その動きには、人の行動と選択を長年観察し続けてきた者特有の癖が、滲んでいた。



そして――気配を変える。


「ヴァリウス卿。もう一つ確認を。

この大陸に――

“災厄の外典”が侵入しているという報告は、事実でしょうか」


聖壁の風が、低く唸った。



一拍の沈黙の後、ヴァリウスは短く言い捨てる。


「ああ。耳には入っている」


さして興味もないという返事。

ジャンはそれ以上を求めず、静かに頷いた。


そして――はっきりと宣言する。


「対象個体には排除命令が下っています。

発見次第、我々封災課は最優先で、排除に動きます」



封災課課長としてだけではなく、“世界の秩序を守る者”としての声。


ジャンは一言、確認を添えた。


「よろしいですね――ヴァリウス卿」


「構わん。好きにしろ」


それが許可であり、

同時に、興味の外への宣告にも思えた。



ジャンは静かに頭を垂れる。


(……災厄の外典。

どのような存在なのか、確かめる義務がある――論理的に)


剃った坊主頭が鋭く光る。



彼は仕事を遂行するだけだ。

正典達を守るという責務を全うする為に。



監査局が動き始める。


《ソリスタの聖壁》へ――新たな影が落ちた。

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