一章 第14話:草原に差す闇と光明
【1】
カズヤとノエラが渓谷へ向かう一方で、
もう一つの行動が始まっていた。
草原の外れ、風の流れが急激に歪む地帯。
そこに、調査班――
アインとアマネ、カムイ、そしてミレイの姿があった。
「……ミレイちゃん。本当に大丈夫?」
アマネが振り返る。
「はい……。
もしかしたら、私の残響も役に立つかもしれないので」
ミレイは少しだけ肩を強張らせながらも、はっきりと頷いた。
カムイも心配そうに声をかける。
「……ミレイちゃん、無理は禁物っすよ?
何が起きるかうちらも分からんっす」
「分かってます。でも……、
風詠みが、逃げてちゃいけない場所だと思うんです」
その言葉に、アインは短くため息を吐いた。
「……分かった。
危なくなったらすぐ下がれよ」
「はい…!」
ミレイは、胸元をそっと握った。
⸻
【2】
風艇での移動。
やがて草原は終わり、地面はひび割れた岩盤へと変わる。
風は上下から吹き上げ、
空気そのものが“引き裂かれている”かのようだった。
頭上に大きく聳える、巨大な円環建造物。
《ソリスタの聖壁》。
圧倒的な存在感に、全員が息を飲んだ。
「しっかし、遠目で見てた時から思ったが……、
《ソリスタの聖壁》だっけか。
なんでこんなもんが浮いてんだ…?」
カムイが、風に揺れるゴーグルを持ち上げた。
「――浮いてるんじゃないっす。
落ちないように支えられてるって言った方が正しいっすね」
アインが眉を寄せる。
「どういうことだ?」
カムイは空と地面を交互に指差した。
「地下の断層で、風脈とエーテルの流れが直接ぶつかってて。
本来なら拡散して散ってくはずの力なんすけど――
《ソリスタの聖壁》が“輪”の形で固定して、循環させてるんす」
アマネが小さく呟く。
「じゃあ、あれはただの建物じゃなくて、
浮島全体を支える装置みたいなもの……?」
「そっす。その通りっすね。
聖壁の紋様は、風のエーテルを書き起こすもんっすね。
断層から吹き上げる風脈と、上から押し返す、聖壁の人工的なエーテル風。
その二つが釣り合ってるから、浮島全体が落ちないでいられるんすよ」
ミレイが驚いた顔。
「私も……知りませんでした」
「昨日、族長さんから超超詳しく聞けたんすよね〜」
(カムイさん、絡み酒じゃなかったんだ)
酷く酔っ払っている様子だったが、
ちゃんと話を聞いていたんだと、アマネは妙に感心した。
カムイの話を聞いて、アマネも気づく。
「大風脈は、今閉じられるって言ってたよね。
代わりに断層の風脈を使えば、浮島まで跳べるんじゃ……?」
カムイはキッパリと否定する。
「あ、無理っすね。
断層上は風脈が複雑で、糸屑みたいに絡んでるって族長さん言ってたんで。
風艇で突っ込んだりしたら、くるくるド〜ンと墜落っす」
横で聞いていたアインが「おー怖え怖え」と肩をすくめた。
カムイが地面に膝をつき、装置を広げた。
風艇での移動中、景色も見ずに手を動かしていたのは、
この装置を造る為――アークティア大陸用に再構築した《観測くん5号》。
風脈や共鳴風のエーテル位相を観測できるようになっている。
「ここらが、《ソリスタの聖壁》直下――断層地帯。
風脈がぶつかって、ねじれて、折り重なってるっす」
彼女はモニターを指し示す。
「共鳴風の位相は、この断層で増幅されてるっすね」
アマネが静かに呟く。
「“綴り”が、この近くにあるのかな……」
⸻
【3】
その時だった。
岩陰から、複数の影が現れた。
ぼろ布のように擦り切れた外套。
陽に焼けた肌はやせ細り、だが何より――その目が異様だった。
焦点が合っていない。
こちらを見ているはずなのに、誰も“今”を見ていない。
「……風が……風が、言ってる……」
「よくも……よくも俺の娘を……!」
掠れた声が、痛みに擦れたまま空へ滲む。
服装から、どこかの部族の民なのは確かだ。
だが、その誰一人として、ここへ自分の意思で立っているようには見えない。
共鳴風による“感情伝染”。
彼らもまたその影響を受け、
感情が無理やり掘り起こされているようだった。
悲しみが怒りに変わる瞬間――
後悔が何度も何度も繰り返され、形を失った瞬間――
そんな感情の行き場が、今もなお留まり続けているかのように。
だが、それだけでは終わらない。
残響の異常な発露。
ひとりは腕が異様に膨れ上がっていた。
毛が逆立ち、指が裂け、
皮膚の下で別の生き物が動いているような、不吉な影。
別の男は、虚ろな目で遠いどこかを見ている。
今この場にいながら、
心だけが“もう帰れない過去”へ取り残されているようだった。
アマネの目が大きく見開かれる。
(残響に呑まれた、外典……)
「っ…うっ……!!」
ミレイが強い痛みに襲われる。
怒り、恐怖、後悔――
強い負の感情が、ミレイの残響と呼応して痛みを与えてしまう。
「おい、来るぞ!」
アインが前に出る。
「アマネ、左右を抑えろ!
カムイ、ミレイを頼む!」
「分かった!」
「了解っす!」
⸻
【4】
戦闘は、混乱そのものだった。
アインの槍が、的確に相手を打ち払う。
殺さない。だが、止めるための一撃。
アマネは、その横で素早く間合いを詰めていた。
――速い。
――迷いがない。
だが、その動きはどこか“冷たすぎる”。
(……排除対象)
無意識に流れた思考。
その瞬間――
アマネの脳裏に、過去の光景が重なる。
綴士だった頃の仕事。
各地で“記録”の業務を行う最中に出くわした、
外典の記憶に呑まれ、制御不能になった人々。
脳にこだまする声。
『保護不能と判断する。排除せよ』
剣を振るう。
獲物を見定め、今まさに狩ろうとする獣の眼。
感情を殺して。
ただ、仕事として。
「…………」
目の前の“敵”に、同じ動きを取ろうとした。
その時。
「アマネッ!!!」
鋭い声。
アインが槍を滑らせて、彼女の刃を横から弾いた。
「…………やりすぎだ」
アマネがハッと目を見開いて、動きが止まる。
「……アイン、さん…?」
「お前の眼、普通じゃなかったぜ」
無自覚だった。
アインの言葉が、酷く胸に突き刺さった。
⸻
【5】
アマネの呼吸が乱れる。
「……私、わたし……」
アインは再び前に出て、ちらりとアマネを見る。
「……目の前にいるのは、“敵”じゃねえぞ」
その一言で、アマネははっとした。
目の前の相手を見る。
怒りに呑まれ、泣きながら叫ぶ人間達。
「生きてる……人間……」
アマネは剣を構え直す。
今度は、深く息を吸って。
放った金属糸で動きを止め、一撃。
相手が動けないように転倒させる。
武器だけを叩き落とす。
倒れた者達は、風が引くと同時に、意識を失った。
アインは槍を納め、アマネの方を見た。
元監査局の人間として、アインにも察するものがあった。
「……深くは聞かねえよ。
過去は消えない。俺も、お前も。
だが……今どう戦うかは、選べるんじゃねえか?」
揺れ動く眼。
アマネは、ゆっくりと首を縦に振った。
「……ごめんなさい……ありがとう」
⸻
【6】
やがて、戦いは収束した。
断層に吹き荒れていた風が、わずかに静まる。
しかし――ミレイはその場から動けなかった。
膝から崩れ落ち、地に座り込む。
肩は大きく上下し、息は掠れ、指先まで震えている。
「み、ミレイちゃん、大丈夫っすか……?」
胸を押さえたまま。肉体の痛みではない。
鈍い“痣”のような痛み――それがずっと、消えない。
「なんでか分からないですけど……、
この場所が……ずっと痛くて……。
いつもなら、少し経てば消えるはずなのに」
声が震え、吐息が乱れる。
まるで、この土地そのものが泣いているかのような。
「みんな、早くここを離れよう……!
ミレイちゃんが危ない!」
アマネが慌てて言い、皆が動く。
一行は急ぎ、その場を離れようとする。
――ただ、ひとりを除いて。
ミレイの様子を見て、
突如思考のスイッチが入ったカムイ。
彼女は断層の縁に留まり、《観測くん5号》を見つめていた。
視線を細め、早口で思考を回しに回していた。
「……ミレイちゃんのは、感情を敏感に感じ取る残響。
ここは《ソリスタの聖壁》の直下。
なんでこの場所だと痛みが続くんだろう。
エーテルの位相が一定なのも気になる。
エーテルがここに固定されてるみたいに。
固定?どういうことっすかね……」
呟きが、風の底に吸い込まれる。
思考は少しずつ、形を帯びていく。
ただの違和感が、理屈の骨子へ。
アインはその背中を見つめる。
見慣れた光景だ。
――出口を見つけようとしている時の背中。
「カムイさん! はや――」
アマネが駆け寄ろうとした瞬間、アインが手を伸ばして制した。
「俺が見張っとく。
さっきの連中も、俺が手当しといてやるよ。
お前はミレイを連れて、先に戻れ」
短い視線の交換だけで、アマネも理解した。
「もしかして、カムイさん……」
「こっから先は――あいつの仕事だ」
断層の奥。
風がこだまし続ける、アークティアの深い底。
その場所はただ荒れているわけではなかった。
何かが“ここ”を選び、刻み、縫い止め――そしてまだ、終わっていない。
カムイはぶつぶつと呟きながら佇む。
見えてきている。
思考を繰り返す度に、観測された位相を見る度に、
バラバラの点が、少しずつ、少しずつ、一つの線に成ろうとしている。
真実に手をかけようとしていた。
――ここが、“傷口”だということを。
そしてこの先に、“共鳴風の異常”、その核心があるということを。




