一章 第9話:線が引かれた世界を問う
【1】
夜が落ちきる頃。
エルダレンの集落には暖かな灯火が灯り、
草原を揺らす風に合わせて楽の音が流れ始めた。
歓迎の宴――
旅人が来た夜、エルダレンが最も大切にする儀式だ。
大きな焚き火が組まれ、風紋の布を纏った歌い手達が輪になり、
“風の来た道”を詠う古い歌を響かせる。
その声は、草原そのものが歌っているかのようだった。
並べられた料理には、
野草を練り込んだ香ばしいパン、
風乾した羊肉の串焼き、
草原で採れる香草を使ったスープ。
そして、エルダレン特有の“風酒”と呼ばれる爽やかな酒が杯に注がれる。
「……美味い…全部美味い…っ!」
カズヤが少し目を潤ませて感動していると、
その背をバンバンと叩きながらアインが豪快に笑った。
「はっはっはっ!!
お前、意外と食いもん好きなんだな!」
「う…しゃあねえだろ!味薄いもんばっかだったんだ」
ノエラは歌に耳を傾けながら、表情を穏やかにしていた。
「素敵な歌声ね……」
アマネも、焚き火の光を浴びて微笑む。
「なんか…あったかいですね」
その隣で、ミレイも控えめに頷く。
「……エルダレンは、風を大切にするから。
人にも、優しくなれるんだと思います」
さらにその横。
カムイは風酒で顔を真っ赤にしながら、エルダレンの族長に絡んでいた。
「最高っすねぇ!うち、生き返る思いっす!!
ところでぇ、なーーんであの浮島って浮いてんすかぁ!?!?
浮島にはどうやって行くんすかぁ!?」
「あ、ああ…それはだね……」
メキースはそんな賑やかさを眺めながら、誰よりも静かに杯を掲げた。
「……みんな、よく戦ってくれたからな。
今日くらいは、ゆっくり羽を休めよう」
ゆらめく焚き火に美味い飯、美味い酒。
ノエラ達とメキースの、積りに積もった話。
カズヤとアマネ、メキースとのささやかな交流。
酔っ払ったカムイの面倒臭い絡み。
歓迎の歌とともに、皆の胸に染み込んでいった。
リムランドでの戦いから、どこか緊張と不安、焦燥が続いていた日々。
ようやく訪れた、穏やかな一晩だった。
⸻
【2】
宴が佳境を越え、歌い手の輪が少しずつほどけていく。
焚き火はまだ赤く、
草原の夜風がその火の匂いを引き延ばしていた。
宴の喧騒に疲れを覚えたカズヤは、
少し離れた風下、石に座って風の音を聞いていた。
そこに、一つの足音が近づいてきた。
「良い夜だね」
低く諭すような声の主。
メキースだった。
彼は杯を二つ片手に、カズヤの傍らへ腰を下ろす。
不思議と圧はない。ただ、風が落ち着く。
「酒は飲まねえぜ、俺」
カズヤが肩をすくめると、メキースは小さく笑った。
「ははっ、それは残念だ。
――ダンから聞いたよ。
君がどうやって彼女と出会い、そして逃がしたかも」
「俺は……いつも通り助けただけだ。
気づいたらこんなとこにいたけどな」
「そこが、君の危うさで、強さなんだろう」
メキースは闇に沈む草原の“広さ”を見て、静かに言った。
「この世界――正典と外典で線が引かれた世界。
君はどう見ている?」
唐突な問い。
生まれ方でも、生き方でもなく。
ただ“宿ってしまった記憶”という、それだけの理由で引かれる線。
その線ひとつで、歩ける道が選ばれ、背負う運命が決められてしまう世界。
それは善悪の話ではない。
“仕組みとして、そうなっている”という残酷さの確認だった。
メキースの問いは、答えを求めるものではない。
この世界を、どんな景色として見ているのか――
その視点そのものを、静かに試す問いだった。
カズヤは少し迷ってから、ぽつりと答える。
「……線を引いたのは“世界の事情”かもしんねえ。
外典の怖さも、身をもって知ってるよ。
でも、その線の向こうにも生きてる奴らがいるって……それだけは、忘れてほしくねえって思ってる」
メキースは、微かに目元を緩める。
「良い答えだ。
――君は、線の内側の幸せよりも、
“線から零れ落ちた命”の方を見てしまう人間なんだろうね」
メキースは静かに語る。
「……人はな、カズヤ君。
“正しいと思う分類”を作ると、安心する。
正典と外典。善い記憶と悪い記憶。
――線を引いてしまえば、線の外を踏みつけていても、人はあまり気にしない」
その声音は穏やかなのに、言葉が刺さる。
「私は、そういう仕組みに何人も殺された。
救いたかった……大事なものを沢山ね。
だから、断章の詩を立ち上げた」
カズヤはじっと聞いた。
救いたかったという言葉が、痛烈に脳を揺さぶった。
メキースは少し間を置き、苦笑まじりに続ける。
「……とはいえ、君達に理想を押しつけるつもりはない。
君は君の、アマネ君はアマネ君の理由で。
ここまで来た」
そして、火の光が届かない場所で、ほんの一瞬だけ目を細める。
「――君達はまだ若い。
傷つき方も、きっと私より痛いだろう。
それでも……力を借りたいと願う、愚かな大人達を助けてくれないか?」
目には見えない、差し出された手。
カズヤにとってはその一言だけで十分だった。
自分が今ここにいる意味。
この世界で生きる意味。
戦う理由を満たす言葉。
冗談混じりに、ニッと笑って言う。
「手を伸ばされたら、
ちゃんと手を差し伸べるって決めてんだ。
メキースさん。あんたの言う、愚かな大人達にもな」
メキースはその言葉に、そっと優しく微笑み、静かに杯を傾けた。
「ありがとう。
――今日は一段と、酒が美味いよ」
風がひとつ、焚き火の火の粉を持ち上げた。
その匂いはどこか乾いていて、それでも“始まり”の気配がした。




