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残響詩篇  作者: 宗一郎
序章:綴られぬ者達の夜明け
27/69

第22話:筆聖グレース - 至高の刃

【1】


綴り層の光が揺れる。


筆聖グレースが一歩、ゆっくり前に進むだけで、空間全体に沈黙が広がった。

アマネとカムイは、その圧だけで呼吸が浅くなる。



「――来なさい、アマネ・チャペック」



グレースの声は穏やかで、しかし世界の理そのもののように重かった。



アマネが影のように消え、ワイヤーブレードが銀の軌跡を描く。

風と光が交錯するような速度で、彼女はグレースの懐へ一気に飛び込む。


キンッ。

小さい音。


だが、アマネの一撃は、わずかに傾けられた筆聖の刃によって、

吸い込まれるように逸らされた。


「――っ!」



アマネが踏み込みを変える。


上段から、横薙ぎから。

後方へ跳ね、斜線に回り込み――

ワイヤーブレードが舞う度に、数十の軌道が線を引いた。


しかし。


刃の角度は誤差一つなく。

グレースは動じず、最小限の動きで全ていなす。



アマネが呼吸を置いた一瞬の隙をついて、グレースが踏み込む。

そして明確に、アマネの片腕を落とさんとするグレースの剣閃。


咄嗟に身体を捻り、金属糸で逸らすことで回避する。

アマネに最低限の技量が無ければ、間違いなく今右腕は失われていた。



緩急も含め、どれだけの速度で、

何度攻め立てられても、受け、転じ、流し、

そして僅かな隙も許さぬ致命の一閃。



“達人”という言葉が相応しい、極められた技巧。



筆聖――。

あらゆる権限を掌握し、大書院の頂点に立つ存在、という()()()()()()

その力、その技術は、戦いにおいても至高の領域。



「……速さは確かです。ですが、まだ甘い。

太刀筋も乱れていますね」



アマネの胸がズキリと痛んだ。

思考をどう巡らせても、勝利への道筋が全く見えなかった。




【2】


後方でカムイが叫ぶ。


「アマネさん!援護入れるっす!!」


複数の簡素な小型飛行機械が四方の光輪から飛び出し、エーテル弾を連射する。

青い光が弾丸のようにグレースへ。


だが、グレースが剣を軽く回しただけで、

エーテル弾は吸い込まれるように散った。


これもまた、必要最小限の動き、的確な動作。


アマネはその間に踏み込むが――



「――遅い」



グレースの刃がわずかに動いただけで、アマネの足元へ恐ろしい切っ先が迫る。

アマネが跳躍し、かろうじて避ける。



胸が締め付けられるような圧。

呼吸が乱れ、心臓が早鐘を打つ。


筆聖の瞳から、わずかに光が漏れた。


「……ここに入った時点で、

覚悟は決まっていたのでしょう?」


アマネが歯を食いしばる。

そしてすぐに、異様な雰囲気を感じ取った。



空気の揺らぎ、エーテルの奔流。

肌で感じる、残響の気配。


グレースの剣先から灰色の光が溢れる。



「〈灰祷かいとうの残響〉をここに綴る。

――人々は灰と共に祈り、文明を築いてきた」



綴り層全体が“灰色の祈り”で塗り替えられた。


熱も冷たさも消える。

音が消え、風が止み、光までもが沈黙する。



アマネの呼吸が急激に浅くなる。


「……!?……重……!」


急激な身体の重さ。

それはアマネにとって、唯一の利点を奪われるのと同義だった。


身体だけではない。

精神すらもどこか重い。

感情が霧のように薄れ、胸の奥に灯る“熱”が消えていく。



「灰の祈りは、心の熱を鎮めます。

怒りも、迷いも、痛みも……すべて、祈りの中へ」



物理的な重さではない。

精神へかかる負荷、重さ、無気力。


アマネが膝をつきそうになる。

力の入らぬ身体でカムイも叫ぶ。


「アマネさん!!」


だが声は届かない。


グレースの〈灰祷の残響〉は、心の波そのものを静める。

戦う意志すら奪う“鎮魂の祈り”。




【3】


グレースの足元に、一筋の金属糸が走る。

アマネのわずかな抵抗。


しかしそれは一瞬のうちに弾かれる。



「くっ……!!」


アマネの体は鉛のように重い。

視界は滲み、刃を握る指先すら震えている。

眠気すらも生じてきた。


グレースが静かに剣を構えた。

動きの鈍った少女の身体を断たんと、狙いを定める。


「――あなたの命に、慈悲を」



「待って!筆聖!!

アマネさんはただ……生きたいだけなんす!」


カムイが叫ぶ。

その言葉は、祈りの前にかき消えていった。




グレースの剣が、アマネから生を奪わんとする。


アマネの膝が落ちかけたその時――




空間全体が一瞬、震えた。

灰祷の祈りが揺らぐほどの衝撃。


カムイもグレースも、その違和感に気づかされる形で目を向けた。



遠く――


ここへ入ってきた扉の先から、()が吹き抜けてくる。


「……?」


アマネの髪が揺れた。心臓の高鳴りを感じる。


灰色の外套を風に翻らせて――

“彼”が突き破るように飛び込んできた。



「――アマネ!!!カムイ!!!」



ふたりの名を叫びながら、

荒い息を吐き、剣先から風が散る。


グレースはその光景を見ても、眉一つ動かさなかった。



「……来ましたか。“災厄の外典”」




【4】


アマネの震える肩を、カズヤは強く支える。


「また遅れちまったな。……悪かった」


〈灰祷の残響〉が、カズヤの風に押されてわずかに揺らぐ。


アマネの胸に、わずかな熱が戻る。


「うん……大丈夫!」



カズヤはすぐに後ろを振り返りカムイを見る。


「う、うちも平気っす……よ!」


カムイもそれに合わせて、親指を立てて応える。


カズヤは口角を上げて、黙って頷いた。

そしてまた前を向き。



――筆聖を見据えた。



グレースもまた、カズヤに視線を向ける。


「セイル隊長とまだ戦っているかと思いましたが……。

随分と早い到着でしたね」


「塔が空洞のおかげでな。

風に乗って飛び降りてきた。

……千切れるかと思ったぜ」


理屈にさほど興味はない、

といった具合にグレースは少し目を閉じた後、そして静かに剣を下ろした。



カズヤはアマネをかばうように半歩前へ出る。


「……あんたが筆聖だな」


「ええ。その通り」


カズヤは、怒りを押し殺した声で続けた。


「ずっと…大書院の偉い奴に聞きたかったことがある。

――外典を……あんたらはどう思ってる?」


グレースの瞳が、静かに細められる。



「“外典”とは、残響の不調和。

世界に乱れをもたらす存在。清められるべきものです」



カズヤはその返答に、納得できないものを覚える。


「…っ…外典だって……同じ人間だろ。

なんで、追い出すような真似すんだよ」


グレースに、僅かな感情の揺らぎもない。


「外典は、潜在的に危険を宿す者です。

本来であれば何も起きないうちに、災いの芽を摘みとるべき。

ですが我々は、それを“追放”で済ませている。

……“慈悲”は、すでに与えています」



カズヤの拳が震えた。

それが絶対的に正しい、と言わんばかりの物言いが許せなかった。



「……んならもう一つ聞く。

この街は上の連中が潤って、下の連中が苦しんでる…。

あんたは、その現実をちゃんと見てんのかよ。

沢山の人が、不幸になってんだぞ!」


グレースは淡々と告げた。


「大勢を保つために、誰かが沈む。

それは不幸でも不正でもない――“構造”です。

上層は正典が多く、下層は外典が多い。

ならば、どちらを優先するかは明白でしょう?」


一切の揺るぎがない返答。


「私は感情ではなく、理によって世界を守る者です。

個人の悲しみに同情し、均衡を崩すわけにはいきません」



カズヤは――

その理屈に、怒りとも哀しみともつかぬ表情を浮かべた。


返す言葉も見つからなかった。

返したところで、何かが変わるとも思えなかった。



「……そうか。…そうかよ」


綴り層の光が震える。

カズヤの風が荒れ、灰祷の沈黙が軋む。



災厄が再び、彼の中で大きく鳴り響いていた。

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