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残響詩篇  作者: 宗一郎
序章:綴られぬ者達の夜明け
23/69

第18話:罪を焼く炎、赦しを求める声

【1】


アイン・カフカは、大書院監査局に所属していた青年だった。


誰よりも規律に忠実で、正典の“秩序”に身と心を、人生を、捧げていた。

父も母も、兄もそうだった。

それが当然のものだと信じて。



だが――その日。

上官は命じた。



「罪状は“外典”であること。

よって、この者を排除せよ」



対象は、ひとりの少女だった。

何もしていない。

ただ()()()()()()()()()()()


じっと、ただひたすらに怯える目で、アインを見つめている。


アインは震える声で問い返した。



「……本当に、理由はそれだけなんですか。

この子は“まだ”何もやっていませんが」



上官は鼻で笑う。



「フンッ。十分だろう?

正典の秩序を乱す芽は、全て摘むべきだ」




正典の秩序、とは?

目の前の罪なき少女を排除することが?

外典とはなんだ?

正典とは?


命令に逆らったら?

俺の家族はどうなる?友人は?同僚は?


なんでこの男は笑っている?

どうやって殺せと?

心臓を刺す?首を切り落とす?

なんで今日、ここに来てしまったんだろう。


目が泳ぐ。止まらない思考。

動悸で胸が痛くなる。

全身に血が巡る。

心臓の鼓動が耳に、脳に響く。




アインの中で、何かが音を立てて崩れていく。




気づくと――

上官の喉に、自分の手がかかっていた。

最期の抵抗を受け、片眼を失いながら。



その時から、アインの身体は炎に呑まれた。

正典の残響――“罪を焼き清める炎”は、

“罪を焼く忌まわしき炎”へと堕とされた。



あれは大書院の規則などではなく、上官の独断だった。

それでもアインは外典とされ、追われる日々を送っていた。

どこへ行っても追われ、疎まれ、逃げるように流れ着いた先で――


フラグメンツを率いる男に拾われた。



『ほお、〈罪火〉の男か。良いじゃないか。

己の正義に従い、罪を背負い、罪を燃やす。

そういう奴にしか見えない世界もあるだろう』



そう言って受け入れてくれた。

アインにとって、フラグメンツは初めて、“自分が居たいと思える場所”になった。




【2】


現在――フォーンシティ旧大聖堂。


焼けた空気が揺らぎ、

まるで聖堂そのものが内部から焼け崩れようとしていた。



アインの槍の根本から噴き上がるのは、

赤黒く、粘つくような業火。


それはただの炎ではない。

罪を抱えた者を、容赦なく炙り出す。



“罪を焼く炎”――

それは、罪を犯したアイン自身も例外ではなかった。



自らも焼かれ、肉が裂けるような強烈な痛みに顔を歪める。


だが、その瞳は澄んでいた。

苦痛の中でなお、決して揺らがない。



対するオスカーは、

光のエーテルを片手に掲げながら、その熱量に思わず後ずさる。


「……なんっと醜悪な。

形も、色も、光も……どれ一つとして美しくない。

整えてあげましょう」


アインは荒い息の合間に、笑いさえ浮かべた。


「…っぐ…はぁ…はぁ……。

整えるだぁ?ハッ……上等だ!!!」


槍がきしむほど握りしめられ、アインが踏み込む。

炎が床を這い、赤い軌跡を残した。



「罪を犯したてめえを――俺が燃やし尽くしてやる!!」



その叫びは怒号ではなく、裁きの宣告だった。


赤黒い炎がオスカーに襲いかかり、

光筆が火花の刃と化して迎え撃つ。

炎と光が交錯するたび、聖堂の空気が悲鳴のように震えた。




【3】


オスカーは炎を払い、距離を置く。

そして刺剣をひと振りした瞬間――


光の筆跡が描く巨大な円弧。


規則と対称性だけで構築された、美しき死の曲線。


ひとつひとつが芸術作品のように美しく、

しかしその全てが、人を殺すために最適化されていた。


「共に作品を完成させましょう!」


光筆が聖堂全体を覆い尽くす。



――だが。


アインの炎槍が一閃した瞬間。

たった一撃で、光の造形は形を保つ暇すらなく崩壊し、

彼の芸術作品はあっという間に灰へと燃え落ちた。



オスカーは思わず目を見開く。


「……っなぜ!

〈美賛の残響〉は、美しきものを全て理想の形へ昇華するはず……!」



アインの声は、地の底から響くような低さを帯びていた。


「美だの理想だの……。

てめえの都合で切り捨てて……それが美しい?

さっきからつまんねえことばっか言いやがって」


アインは一歩、また一歩と前へ。

炎が揺らめくたび、聖堂の空気が赤黒く染まる。



この場所で踏みにじられたもの――


外典市民の命。

焼却された絵画。

消された声、生活、生きた証。


それら全てが残響と呼応し、

炎はオスカーそのものを燃やすべき“罪源”と認識していた。


「罪火はな……“犯された罪”を焼くんだよ!」



「ぐ……おおぉっっ…!

熱……ああぁぁ……っっ…!!!」


炎がオスカーを焼き尽くす。

しかし、焦げた光筆の中に再び浮かび上がる――


炎の怪物。

かつてアインが処刑した上官の幻影。

オスカーが増幅させた、最も醜く痛い記憶。


オスカーの口角が歪む。


「来るな……寄るんじゃない……私を助けろっっ!!」



だが。

その幻影も即座に、罪火の炎に包まれた。


アインにとってそれはもはや、

自身と共に焼かれ続ける、赦しも請わない過去でしかない。



アインは槍を構え直す。


「……罪はな。

背負って、生きて、向き合うもんだ」


アインの身体が風のように消え――オスカーの眼前へ迫り。

炎槍が一直線に伸び。



オスカーの胸を貫いた。



美も理想も、完璧な線も――すべて炎の中で朽ちていく。



静寂。


オスカーの刺剣が床に落ち、光筆のエーテルは霧のように散った。

胸に開いた穴を見下ろしながら、かすれた声で呟く。


「……醜い……外典……やはり……」



アインは一歩も退かず、ただ静かに言葉を返した。


「うるせぇよ。人間みんな、醜く生きてんだ」


返事はなかった。


残ったのは、燃え終わった炎の残滓と、聖堂を包む熱だけだった。




【4】


アインが大きく息を吸い上げた瞬間――


身体の奥に隠れていた痛みが、一気に噴き出した。


「っっ…ぅ…!」


胸から脇腹にかけて焼け焦げた皮膚が裂けるように疼く。

服に貼りついた血が動くたびに引き剥がされ、全身の神経が悲鳴を上げる。



ただ立っているだけでも、視界が白くちらつく。

壁に手をついた瞬間、力が抜ける。


「……ちょっと、マジで……休まねえと……」


言葉が途切れた。


そのまま膝が落ち、アインは仰向けに倒れ込んだ。

焼けた皮膚が呼吸一つごとに痛みを訴え、

熱が全身を支配し、意識を奪っていく。


強い残響行使の反動もあり、彼の身体は、限界を超えていた。



「……あいつら……頼んだぜ……」



意識を手放す寸前、目に映ったのは、聖堂の天井に描かれた美しい絵だった。

誰かが命を削って世に遺した、この場に唯一残された作品。



今日、自分達が騒ぎを起こさなければ、彼らは死なずに済んだのか。

いつかこの男が、善の皮を被って闇に潜み、より多くを殺していたかもしれない。

犠牲を最小限に留められただけでも良かったのかもしれない。

いや、犠牲を出さずに救えた可能性もあったはずだ。



その答えは誰にも分からない。

あるのは結果だけ。


ひとりの罪人と、ひとつの芸術だけがそこに残った。

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