第17話:血と炎の審美
【1】
フォーンシティの上層――
灰の祭典の夜、街の熱は最高潮に達していた。
鐘が鳴り、人々は歌い踊り、様々な匂いが香り、
祈りの列は灰の塔へとゆっくり流れ続ける。
その空気を覆い潰すように、アイン達は強烈な爆音や破壊音を上げた。
人々の目を惹き、薄闇を切り裂くように駆けていた。
アインの行動は鮮やかで大胆だった。
路地に転がしておいた煙玉が爆ぜ、監査局の隊員達が慌てて散開する。
「なっ……なんだお前ら!?」
「包囲しろ! 逃がすな!」
五、六人の隊員達が取り囲むが、
アインは槍を軽く振っただけで、その包囲を乱し、次々と地面に叩き伏せた。
殺さず、急所だけを外し、しかし二度と追ってこれないように確実に。
「悪いな!
このクソみてえな祭り、ぶっ壊させてもらうぜ!!」
隊員達を倒しながら、次の合流地点へ向けて駆けてゆく。
とにかく荒らし、しかし住民を傷つけないよう丁寧に、兵士の目を引き、陽動を全うする役目。
半分ほどは、上層や正典、大書院への憂さ晴らしの意も込められていた。
だが、大通り脇の小道に入った瞬間――
鼻を刺すような、鉄と肉が混じった臭いが流れ込んできた。
「……!?」
祝祭の街に似つかわしくない、生々しい臭い。
異質な“死”の気配。
アインは思わず脚を止め、眉をひそめる。
臭いの方向は、古い石畳に囲まれた十字路の先。
――今は廃墟となっている、フォーンシティ旧大聖堂。
酷く嫌な予感がした。
⸻
【2】
大聖堂の扉を押し開けた。
ゆっくりと、中の様子を確かめるように。
瞬間、アインは息を呑んだ。
――そこは聖堂というより、美術館の死体安置所だった。
壁には焼け焦げたキャンバス。
床には崩れた額縁と煤、砕かれた陶器。
ところどころに散った血の滴。
焦げた臭いと、血の臭いが混じった最悪の空間。
そしてその中心で――
まるで舞踏会の準備でもしているかのように優雅に立つ男がいた。
雪のように白い外套。
胸元には過剰な装飾と、監査局の身分を示す紋章。
碧髪は巻き上げられ、笑みは常軌を逸して柔らかい。
華美、という言葉をこれ見よがしに体現したような風体。
男は、倒れ伏して動かない市民を片手で持ち上げ、頬を指ですべらせた。
血の軌跡が赤い線となってひいた。
「……この者は、泣きながら死んだ。
だが涙の軌跡は美しかった。最期だけは、記録に残す価値がある」
アインの喉の奥が焼けるように熱くなる。
「……何してやがる」
男は微笑んだまま、
まるで迷い込んだ動物にでも語りかけるように、アインを見て言った。
「監査局の人間として……裁いているだけですよ。
これらは外典にも関わらず、正典のように振る舞い、ここで暮らしていた」
すでに肉塊と化してしまった人々。
破壊された美術品の数々は、彼らが作り出したものだったのだろう。
しかし、その手はもう二度と、芸術を生み出せない。
ぐずぐずに崩れてしまった絵画を踏み躙りながら、男は言う。
「気色の悪い行いだとは……思いませんか?
外典が生み出した芸術など、一つたりともこの世に存在してはならない」
狂った信念が、この聖堂全体に染みついている。
会話する気にもならない。
アインの怒りが、槍の先から今にも滴り落ちそうだった。
⸻
【3】
聖堂の中央で、血に濡れた手袋をゆっくり整えながら、男は優雅に一礼した。
「監査局の、オスカー・グレイと申します。
今このひととき限りですが、お見知り置きを」
その声音は穏やかで、まるでパーティで自己紹介でもしているようだった。
オスカーは刺剣を軽やかに掲げた。
「もしや、外の騒ぎを起こしたのはあなた方ですね?
感謝してますよ……良い目眩しになってくれて。
前々から、ここの外典どもを始末したくて仕方なかった」
――空気が静かに歪む。
まるで筆でなぞるように、剣を空間にひと振り。
すると光の筆跡が宙に描かれ、滑るように実体化した。
「〈美賛の残響〉をここに綴ります――」
まっすぐで、歪みひとつない完璧な光の軌跡。
それらがアインの頭上・足元・背後に迫っていく。
アインは次々とそれを避ける。
安直な軌道、容易い回避。火で払い、槍を捌いて撃ち落とす。
バチィッ!!!
その時、アインの視界の端で、壁の焦げ跡がぐにゃりと動いた。
そこから這い出すように浮かび上がったのは――
巨大な炎の怪物。
いや、怪物ではない。
それはあの日、自身が殺した上官の姿。
アインの呼吸が一瞬止まる。
「……てめえ……何して……」
オスカーはうっとりと囁いた。
「私の〈美賛の残響〉は――美を賛え、醜を滅します。
あなたの中で最も醜い部分……それを、形にしただけですよ」
火が自分の喉元にまでせり上がる感覚。
怒りで心臓が跳ねる。
激情に呑まれそうになるのを必死に堪える。
だがその隙を、オスカーが見逃すはずがなかった。
美しき光の筆跡が連続して走り、
聖堂に鏡めいた軌跡を描きながらアインを包囲する。
「あなたの苦痛は、醜さへの罰です」
光の筆跡がグンッとアインの槍を跳ね上げ、
飛び込んできたオスカーの鋭い蹴りが腹部へ突き刺さる。
アインは痛みに思わず後退し、
なお追いすがる光筆を槍の柄で必死に弾く。
さらに炎の怪物も、火を散らして殴りかかってくる。
オスカーの嗤う声が響く。
「ひひ……。
美しい作品にして差し上げますから……!」
オスカーの攻撃を捌く隙を突かれ、
炎の怪物の拳がアインの腹部を深く抉る。
「!!ぅぐ……っ…!」
アインは膝をつきながら、槍を地面へ叩きつけた。
呼吸が乱れる。
痛みに加えて、怒りと火の跳ねる音が、頭の内側で暴れ狂っている。
そして――アインの眼が静かに燃え始めた。
⸻
【4】
アインの放つ火と、オスカーの光筆が絡み合う。
オスカーが息を継いだ隙に、アインは槍を握り直し、
火を纏いながら強く踏み込んだ。
ギィンッ!!
と槍と刺剣が噛み合い、二人の顔が触れそうなほどの距離で止まる。
オスカーは炎の怪物を指し、笑みを浮かべた。
「くく……ほら、あなたの罪が燃えている。
自らの醜さを、ちゃんとご覧なさい。
そして私にも見せてくださいよ」
煽るような甘い声。
アインの罪を“芸術の素材”にしようとする残酷な美意識。
だがアインは――笑っていた。
それは怒りでも、悲しみでもない。
たったひとつの決意の笑み。
「罪は醜い。当然だ……。
見たけりゃ見せてやるよ、俺の“醜さ”を」
火ではなく、“炎”が槍を包む。
赤い軌跡が、罪の形をした幻影を焼き消し始めた。
アインの瞳が、確かな覚悟の光を宿す。
封じていた“炎”が溢れ出す。
「〈罪火の残響〉――罪を焼く炎をここに綴る」




