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第九話「不遜で不敵で薄情な男」

「————ロア・エルデット。私の姉です」


 紹介する間も、姉の呼吸は変わらなかった。

 よく似ていると言われた顔を、

 隣にいる男がどう見比べたのかは分からない。


「強かったんだな」


「はい。私より、ずっと」


 答えには迷わなかった。

 私が円卓に入ったことを、姉はまだ知りもしない。


 八咫烏さんは机のそばの椅子を引いた。


「座っていいとは言っていませんが」


「もう座っちゃった」


 溜息が出た。

 この人は、どこへ行ってもこうなのだろうか。


 机に積んだ手紙も、本も、

 目には入っているはずだった。


 けれど、何を調べているのかとは聞かれなかった。

 気を遣っているのではなく、たぶん、興味がない。


「貴方を調べれば、魔法研究が進むかもしれない。以前、そう申し上げましたね」


「ああ。セバチャンにも聞いたよ。俺、思ったよりヤバい疑いかけられてんだな」


「モンストロを生きたまま調べられれば、何百人もの兵を救う成果が得られるかもしれません。それに……姉を起こす方法も」


 国のため、と言う間は顔を上げていられた。

 最後だけ、姉を見てしまった。


 昨日までなら、口に出すことさえ躊躇った望みだ。


 何度も期待して、

 そのたびに丁寧な断りの手紙を受け取った。


 もう同じことを繰り返すまいと思っていた。


 それなのに、サクサが私を見た。


 ならば、姉も。

 どうして、そう思わずにいられるだろう。


「まだ俺をモルモットにする気?」


「……迷っています。貴方にも分からないことなら、専門の研究者に委ねるべきではないかと」


「俺のためみたいに言うなよ。殆ど人体実験なんだろ」


「ええ」


「じゃあ嫌だ。天地がひっくり返っても嫌だね」


 彼は背もたれへ身体を預けた。


 姉の姿を見ても、答えは変わらなかった。

 そのことに失望してから、自分が何を期待していたのかに気づいた。


 部屋へ通せば、少しは。

 この寝顔を見れば、あるいは。


 私は、姉まで使おうとしたのか。


「今朝、サクサが私を見つけてくれたんです。声を掛ける前に、廊下の端からまっすぐ手を伸ばして」


「よかったじゃん」


「他人事ですね」


「他人だしな、実際」


「……なら、尚更。ありがとうございます」


 片手をひらひらと振られた。

 それで済まされてしまうことが、少し悔しかった。


 こちらは、あの小さな手が迷わず私を掴んだ時、

 うまく息もできなかったのに。


 サクサは明日も、この人を探すだろう。

 いなくなった理由を、私はどう説明すればいい。


 姉を助けるために必要だった、と。

 そう言えば、あの子は頷くかもしれない。


 自分まで困らせてはいけないと思って、黙って頷いてしまうかもしれない。


 それは嫌だった。


「姉を助けるために、サクサに新しい目をくれた人を引き渡した。そう聞いたら、姉は怒るでしょうか」


「知らねえよ。初対面だぞ、その女とは」


 耳をほじり始めたので、思わず口を閉じた。


「……そういう意味ではなく」


「寝てる奴が喋るのは寝言だけだろ。返事がないからって俺に聞くなよ。捕まえるってんなら、俺も相応にやるだけ」


 姉なら、そんなことは望まない。

 そう言ってくれればよかったのに。


 そうすれば私は、姉の望みを守るために、姉を助ける機会を手放せた。


 ずるい考えだと分かっている。

 

 だが、目を覚ましたいに決まっていると考え始めたら、もう何も選べなくなる。

 

 私を庇って倒れた人だ。

 今度は私が助けなければならない。


 そのために、この男を差し出す。


 顔を上げると、目が合った。

 やはり、言えなかった。


「少しは、言い方を考えられませんか」


「考えたら、引き渡さないでくれる?」


「それとこれとは別問題です」


「じゃあ、決めたら教えて」


 私が決めかねている間に、

 彼は勝手にくつろぎ始めた。

 

 苦しんでいることさえ、

 少しも汲むつもりがないらしい。


「そういうところですよ。モテませんよ、貴方」


「甘い言葉吐いた口で、刀吐く男の方がよっぽどモテねえよ」


 妙に納得させられたのが、また腹立たしかった。


「まあ、できれば揉めたくねえけど。飯は美味いし、寝床もある」


「理由はそれだけですか」


「無理やり絞り出せば、まだあるけど」


「結構です」


「なんなんだよ。じゃあ俺の用事。サクサに剣、教えてやってよ」


「この話の後で、よく頼めますね」


「ずっとお前の話だったじゃん。俺にも喋らせろよ」


 言い返せなかった。別に、納得したわけではない。


「騎士の剣ならお前だろ。明日の朝とか空いてない?」


「私には任務も、屋敷の務めもあります。そもそも、貴方がサクサを騎士にすると仰ったのでは?」


「俺じゃ、この先は教えられない。だからお前に頼んでんだよ」


 それが人に物を頼む態度ですか。

 言いかけて、やめた。


 私が頼まれている。

 姉を起こすことでも、

 この男の正体を証明することでもなく、


 明日の稽古を。


「……あの子は倒れたばかりです。普通の訓練をさせるわけにはいきません」


「そこを考えるのが師匠の仕事よ」


「貴方がそれを言いますか」


 八咫烏さんは笑った。私は笑わなかった。


「姉は、教えるのも上手だったんです。私は怪我をしないかと心配するばかりで。あの子に、どこまで許していいのか……姉なら、もっと上手く」


「じゃあ、姉ちゃん起きるまで待つ?」


 顔を上げた。

 待てるものなら、待ちたかった。


 明日には起きると言ってくれるなら、

 何もかも置いて、ここにいたかった。


「俺が聞いてんの、明日の予定なんだけど。教えたくないなら、別の奴を――」


「教えたくないなんて、言ってないでしょう!」


 声が響いた。慌てて寝台を振り返る。

 

 姉は眠っていた。


 何を騒いでいるの、と笑うこともなかった。


「じゃあ、教えてやってくれよ」


 少しも怯んでいない顔。

 少しも怯えていない顔。


 たった十日なのに、

 この人がどういう人間か、もうよく分かっていた。


 面白くない、面白くない、面白くない。

  

 私はつい、身を乗り出した。


「教えられます。あの子がどこまで動けるかも、休ませるべき時も、貴方より分かります」


「じゃあ任せるわ」


「その軽さが腹立たしいんです! 一度私に勝ったからといって、何もかも――」


「あれ、気にしてたんだ?」


「していません」


「今、自分から言ったじゃん」


「負けたことは認めています! 全て貴方より劣っていると思われるのが、心外なんです!」


「だから教えてくれって頼みに来たんじゃん」


 言い返そうとして、言葉がなくなった。


「……紛らわしいんです、貴方の言い方は」


「聞きたくねえ話には、一発で返事すんのにな」


「余計なことを言うからでしょう!」


 近すぎる顔に気づき、ようやく身を引いた。


 何をしているのだろう、私は。

 

 当主として落ち着いて話すつもりだった。

 円卓の騎士として、この男の処遇を決めるはずだった。


 それなのに、馬鹿にされたくなくて、むきになっている。


 姉と稽古をした日は、いつもこうだった。

 負けるのが嫌で、今日はおしまいと言われても、木剣を抱えて後ろをついて回った。


 ————ニアは負けず嫌いね。


 あの笑い方まで、覚えている。

 もう一度聞けるならと、思ってしまう。


 目の前の男を差し出せば。

 こんな時まで、まだ。


「……何で泣いてんの」


「見ないでください」


「忙しい顔だな」


「誰のせいだと……!」


 声が詰まって、顔を背けた。

 

 姉を思い出すほど助けたくなるのに、

 助かった姉に何をしたか話せなくなる。


 どちらを向いても、あの人の顔があった。


 どうせ治る保証などない。

 そう思えれば、少しは楽になるのだろう。


 でも、もし。もし治せたら?

 

 読み返しても変わらない手紙ばかりの中へ、

 ようやく現れた可能性だった。


 私が断れば、この方法を試す日は来ないかもしれない。


 それでも、本人は嫌だと言った。

 

 私には何度でも姉を選ぶ理由があるけれど、彼には一つもない。


「……明朝、半刻。まずは足運びから見ます」


 今、答えられることだけを言った。


「助かる」


「休ませる時は休ませます。口を出さないでください」


「出さねえよ。分かんねえもん」


 本当にひどい男だ。

 慰めもしないし、姉を助けるとも言わない。


 それでも、この人がサクサを助けたことは消えなかった。

 

 妹の恩人を差し出しておいて、

 その妹と姉を囲んで笑う。


 そんな光景を、私自身が許せるだろうか。


「貴方も来てください」


「何で。お前がいるじゃん」


「サクサは貴方を探すんです。私一人に押しつけるつもりですか」


「俺、朝弱いんだけど。時間、遅くならない?」


「私には務めがありますので。八咫烏さんと違って」


 彼が言い返しかけ、黙った。

 やっと一つ返せた。少しだけ、口元が緩む。


「……お前、負けず嫌いだな」


 息が止まった。

 優しい声でも、大らかな笑顔でもない。


 ————ニアは負けず嫌いね


 姉とは、まるで違う。なのに、嬉しかった。

 

 こんな男に言われて、

 こんな時に嬉しいと思ったことが、


 また苦しかった。


「————はい。結構、根に持つ方ですので」


 八咫烏さんは嫌そうな顔をして溜息を吐いた。


 彼のその顔を見ると、

 なにかに勝ったような気がして気分が少し良くなる。

 

 私は予定表を引き寄せ、

 明朝の欄へサクサの名前を書いた。


 その隣に八咫烏と書くと、本人から文句が来た。

 聞こえないふりをした。


 姉に、あの子の稽古を見せたかった。

 

 誰が教えたの、と聞かれて、私ですと答えたかった。


 少し得意になっているところを見抜かれて、また笑われたかった。


 そのためなら、何をしてもいいと思っていたのに。


 今は、どうしても思えなかった。


「八咫烏さん。貴方の処遇ですが」


 彼の目から、億劫そうな色が消える。


 まだ、言わずにいられる。

 

 もう少し考えると答えれば、

 今日も、どちらの未来も手放さずに済む。


 姉が起きる未来と、

 この人を裏切らずに済む未来を、

 頭の中だけには残しておける。


 昨日も、そうした。

 今日も同じことをしたら、明日は何と言うのだろう。


「私は、貴方を研究院へ引き渡しません」


 声は、思っていたより静かだった。


「お!」


 それだけだった。

 私は今にも言葉を取り消しそうなのに、

 この人は、少し上手く話が進んだくらいの顔をしている。


 それでいい。

 私が何を手放したかなんて、

 彼に背負わせることではない。


「ただし、国に説明せず、ここへ置いておくこともできません。そのために、協力していただきたいことがあります」


「恩返しに何でもします、とは言わねえぞ」


「私だって、貴方のために何でもするとは言っていません」


 言い返すと、彼は少し笑った。


「じゃあ、聞こうか」


 机の手紙を脇へ寄せた。


 治せないと書かれた返事は、

 やはり一通も捨てられなかった。


 姉へ手を伸ばしかけて、やめる。

 

 温かいことを知っている。

 触れたら、もう一度だけ考え直したくなる。


 姉さん、ごめんなさい。


 ごめんなさい。ごめんなさい。


 何を謝っているのか、まだ分からない。

 

 助ける機会を手放したことか。

 それでも、間違えたくなかったと思っていることか。


 私は手を膝へ戻し、目の前の男を守るための話を始めた。

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